Radwair Chronicle
"その死を乗り越えて"
〜a Memento〜


 前かがみ気味に膝の上で手を組んで、椅子に腰掛けていた。何をするでもなく、漫然と。
 ふと気づくと、赤毛の少女が目の前に立っていた。小さな手を無造作にこちらに伸ばしてくる。
「ください」
 何を、と思う。と同時に、手の中にある小袋入りの飴が思い当たる。それを渡してやると、少女はこくりとうなずいた。
「ありがとう」
 横をすり抜けて、少女は走り去っていく。目だけで追ったが、すぐに視界から消えた。
「パパー」
 背後で、少女が父を呼ぶ声がする。
「これあげる」
「ああ。ありがとう、マリル」
 はっとして振り向く。聞き覚えのある声―――だがそれは既に、二度と聞くことの叶わぬはずの声。
 立ち上がって身を翻す。何もない。声のした方へ数歩走る。しかしながら、少女も、その父の姿も、そこにはなかった。ただ、一本の剣が突き立っているだけだ。柄頭には赤い宝石。
『先代女王の夫、グローティス様の形見の剣だ。名剣だよ』
 そう言った笑顔が思い出される。
 形見ということは、その以前の持ち主の死を経た、ということに他ならない。
 どこからか差す光に、剣の刃と宝飾がきらめく。それを目の前にして、手を伸ばすでもなく、その場を去るでもなく、ただ力なく見つめ続ける。
 そして―――目が覚めた。
 月明かり。寝台の上に横たわっている自分。一瞬どこにいるのかわからなかったが、どうやら自分の部屋だ。開いた窓から流れ込む、ひんやりと湿った空気。深夜だろうか。
 気だるく半身を起こそうとして、右腕の重さと違和感に気づいた。月の光と左手とで確かめる。板で挟んで固定されているようだ。
 エンガルフに右腕を握りつぶされ、コウが自分をかばって命を落とし、死者の群をなぎ倒しながら進む兄の力で城に帰還して、魔導師の塔でヴァルトの治療を受けようとした―――そこまでは覚えている。ひとまず、腕の処置は終わったのだろう。
 右腕をかばいながら身を起こす。辺りを見回すと、一本の剣が鞘ごと壁に立てかけられ、月光に身をさらしているのが目についた。柄頭には赤い宝石。形見の剣だ。
 形見ということは、その以前の持ち主の死を経た、ということに他ならない。
 不意に、涙が頬を伝った。瞼(まぶた)を閉じる。そのまま前に倒れ込むように体を折る。胸に穴が開いたような、とはこのような気分を言うのだろうか。ひどい虚無感と喪失感にさいなまれる。
『お前は、大事に……』
 何を、言いたかったのか。あの最後の言葉は。
 過去にも、心にごく小さな爪痕を残したとでも言うべき、忘れられない言葉はいくつかある。
『肉親とはなるべく離れない方がいい』
『自分を捨てるような真似だけはしないでくれ』
『君は、生きてる』
 人を大切にする人だった。
 自分には、理解できなかった―――理解しようとしなかった。裏切られたことが、裏切ったことが、彼にはないから軽々しく言えるのだと思っていた。
『お前は、大事に……』
 何を。
 大事にすべきものなど何もない。守るべきものを、かつて自ら斬ったこの腕で、いったい何が守れるものか。
 ラドウェアに来て間もない頃。妻を喪(うしな)った絶望感に打ちひしがれるまま、自暴自棄になっていたあの頃。自分が彼に向かって吐き捨てた台詞を、今も覚えている。
『俺は何も要らない。俺には何もない!!』
 そして、その時のコウの表情も、今なお鮮明に覚えている。呆れではなかった。軽蔑でもなかった。あれは確かに、悲しみの表情だ。
 ―――あったじゃないか。
 左の手のひらで、顔を覆う。
 ―――俺はずっと、兄に支えられて、コウにもディアーナにも手を差し伸べられて、
 ―――俺は、
 ―――俺は……
 咽の奥でくぐもった音がした。わずかに、首を振る。
 ―――どうしてだ。
 ―――今さら……今さら、
 ―――遅すぎるじゃないか……!
『お前は、大事に……』
 人を。命を。
 最期にそうできなかった自らの代わりに―――。
 ふたしずく目の涙が、頬を伝った。
 剣は静に佇(たたず)み、次なる持ち主の啜(すす)り泣きを聞いていた。

End.


感想をぜひお聞かせください!

選択肢の回答&送信だけでもOKです。
読んだよ! よかった 次が楽しみ また来るよ
お名前(省略可)
コメント(あれば)



▽ Chronicleインデックスへ戻る ▽