Radwair Chronicle
"欲動"
〜Against Thanatos〜


 ―――高いところは、きらい。
 ―――衝動に耐えきれるかわからないから。
 城の三階踊り場、石壁の窓から五歩ほど距離を取った位置で、レリィは吹き込む春風を感じながら目を細めた。窓から見える澄んだ青空に、横に長い引っかき傷のような雲が浮かんでいる。もう少し窓に近寄って庭を見下ろせば、この季節を待って一斉に芽吹いた木々が目に入るだろう。
 だがレリィはむしろ、半歩後ずさった。
 ―――窓際に立って、身を乗り出して、そのまま手を離す……そんな衝動。
 ―――その時わたしを後押しするなにかに、負けない保証はどこにもない。
 レリィは慎重に息を潜(ひそ)める。ヴァルトであれば、そこに彼女の緊張を見て取ったことだろう。何かが通り過ぎるのを待つように、レリィは息を殺し、彷徨(さまよ)おうとする目を狭い空に必死に固定する。
 想像は容易(たやす)かった。風を受けながら落ちていく体、重力から開放された感覚、はためいて小刻みに肌に触れる衣、一瞬のうちに迫る地面、それを見る開いた瞳の表面の乾きすらも、手に取るように感じる―――そんな気がする。
 ―――でも、最後の瞬間に、わたしは生きていたいと願うのかしら。
 ―――首の骨が折れて、脳が飛び散って、その時になって、「死にたくない」と叫ぶのかしら。
 空気を少しずつ胸に吸い込み、一気に口から吐く。
 ―――そう、きっと、今なら。……今なら、きっと、そう思う。
 あるかなしかの微笑が、薄い唇に浮かんだ。
 ―――だから、高いところは、きらい。
 そっとレリィはその場を離れ、窓に背を向けて、一段ずつ階段を降り始めた。

End.


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