「我と我が血と我が名において」
思いがけぬところから、奇妙な声が聞こえてきた。シュリアストは首を捻り上げるようにして、上に視線をさまよわせる。
「分かたれし天より地へ波打つ刃の裁きを与えよ」
「ヴァルト?」
声の主は、ヴァルトだった。魔導師団の制服に合わせたような黒い髪は、間違いなく彼だ。それでも、シュリアストは確かめるように名を呼んでしまった。普段の軽口とは全く違う、厳かと言ってもいい口調で、声色も別人のようだった。
魔導師団最強と言われるその男は、すぐそばの塔に立っていた。全身を、陽光とは違う光が取り巻いている。天に向けて広げていた両手が、胸あたりまで下りてきた。
光が、ヴァルトの手の間に凝縮しつつあった。ぬけるような青空の下、少年のような魔導師の顔は下から光を受け、周囲とは真逆の陰を作っていた。ふわり、と前髪が揺れている。足元から、ゆるい風までも沸きあがっていた。そこは完全に、シュリアストの知らない世界だった。
「詠唱系……」
聴きなれぬ単語が、シュリアの鼓膜に触れる。発言者は、隣に立っているモリンだった。
「"波紋の刃"か」
「波紋……何?」
魔導師団長ティグレインが紡いだ言葉も、シュリアストには初めて聴くものだ。鸚鵡返しに問い返すしかない。
「詠唱系最上級魔法"波紋の刃"。あれを唱うるに足る魔力の持ち主は魔導師団にも他におるまい」
ティグレインは、あっさりと恐ろしい事実を口にした。
「その威力の程は…」
ティグレインは言いかけ、急に「フッ」と息を吐いた。口角がわずかに上がっているところを見ると、笑ったらしい。灰銀の髪がさらりとなびく。
「見れば判ろう」
その語尾をかき消すかのように──
「うぉら行ったれやー!!」
あまりと言えばあまりにも彼らしい掛け声が、ヴァルトの口から放たれた。先ほどの神秘的な雰囲気は消え、見慣れた、悪童のような笑顔である。掲げた手に輝いていた光の塊は敵軍の真ん中に叩きつけられ、膨れあがり、爆発してすべてを飲み込んだ。
「!」
半球のかたちをした光は、その威力を城外だけにとどめなかった。シュリアスト達のいる城壁にも、まばゆい波が押し寄せる。空気そのものを震わせた衝撃は、すぐさま分厚い石壁をも揺るがせた。
「わっ」
モリンが身をよじって顔を庇う。幸い、彼の立っている場所は防壁の陰だ。
シュリアストは、咄嗟に剣を盾にした。身体の大半も、防壁に隠れている。にもかかわらず、顔の皮が剥がれ、肉が弾けるような錯覚に陥った。
なるほど、「波紋の刃」とはよく言ったものだ。爆音が、熱風が、交互にあるいは同時に身をさいなむ。閃光に、目が灼けるような痛みを訴えた。全身のあらゆる感覚が、鋭い刃で切り裂かれているかのようだった。それでもシュリアストは、薄くではあるがしっかりと目を開け、戦場から視線を外さなかった。
視界を白く眩ませる魔術の持続時間は、実は、さほど長くなかったのだろう。しばらくすると、景色は、もとの色を取り戻した。何もかもが元通り、と言うわけにはいかなかったが。
城外には、壊れた木偶をひと思いにぶちまけたような光景が広がっていた。人間──あるいは、人間だったモノ──達は、倒れ、転がって方々に散らばっている。どこからか、荒野を吹き渡る風のような音が響いていた。耳鳴りがしているのか、地鳴りか。どちらにしろ、先ほどの魔術の余韻であることには間違いない。
「何だ今の」
下方から、泡を食ったような喚き声が聞こえる。
「魔法?」
「すげぇ!」
兵士達が騒いでいる。驚嘆に歓喜が滲んでいた。味方の攻撃であればこその快哉だ。
「こっ…」
防壁に手をついたモリンの額に、じわりと汗が滲んでいた。
「こんな魔法が…」
呆然と呟くモリンの後ろから、シュリアストは城外を凝視していた。
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