Radwair Chronicle
"わずらいの兆(きざ)し"
〜the Beginning of the Loop〜
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 既視感、をディアーナが感じたとしても無理はない。
 同じ時間、全く同じように、ベッドの中で背を向けて寝ているレリィを彼女は見た。昨日と違うのはただ、ベッドの足元にある空の鳥かご。
「あ、」
 全てを悟ったように、ディアーナは微笑んだ。
「逃がしてあげたんだね」
 レリィの聴覚が凍った。無邪気に笑みながら、ディアーナはなおも続けた。
「レリィならそうするかもって、思ってた」
 心臓の鼓動を聞きながら、レリィは動かなかった。動けなかった。ようやく咽奥から搾り出した声は、百年を経たようにかすれていた。
「出てって」
「え?」
「…一人にして」
 二度目は言葉を和らげた。それが、友への配慮の限界だ。
 ただならぬ様子のレリィにディアーナは戸惑い、だが声をかける事もかなわず、不安げな眼差しをレリィの背に送っている。
「一人にして」
 繰り返した。切羽詰った声は、今にも引き裂けんばかりだ。
 ディアーナは、彼女としたことが、かける言葉が見つからなかった。後ずさるように扉に下がり、そこで、ひとつ深呼吸をする。
「…元気、出してね」
 それだけを言い残して、ディアーナはきびすを返した。バタン、と扉の閉まる音が続く。
 レリィは軋む胸奥の痛みに耐えかね、枕に強く歯を立てた。ディアーナの気遣いすら、自分を責め立てているとしか受け取れない。
 ディアーナ。ディアーナ。わたしが殺したなんて、あの子は夢にも思わないだろう。あの子は私を善人だと思ってる。きっと誰のことをもそう思ってる。
「…違うよ、ディアーナ」
 レリィは微笑んだ。
 両の手を軽く広げてみれば、払っても最後まで離れなかった羽毛がまだまとわりついているようで。握りしめてみれば、頭とのつながりを断たれてもなお脈打ち続けた小さな心臓がまだ動いているようで。
 わたしは汚れてる。誰かを助けるために、わたしは、汚れてく。
 わたしはそう生まれた。そして、わたしはそう生きていく。
 気づいてしまった。もう、一緒に笑えない。もう、一緒にいられない。最初から、巫女として生まれたときから、そんな資格はなかった。
 あなたは女王。皆に愛されながら生きていけばいい。
 わたしは巫女。皆に恨まれながら死んでいけばいい。
 絶望が、絶叫が、まさにレリィの口からあふれ出ようとしたその時。
 扉を叩く音がした。

−  ◇  ◆  ◇  −

 仏頂面のまま花束を持って立っていた。いつもの前開きの服を着ている。背が高い。兄も高いが、弟も劣らない。シュリアストはどこかしら自分にあきれたような溜息をついて、その花の束を投げ渡した。
「昨日の礼だ」
「…え?」
「借りは返すのがシルドアラ流だ。…そんなもので礼になるかはわからんが」
 後半は早口になる。レリィは自分の置かれた状況をつかみかねた。
「借りって?」
「だから…、昨日助けてもらった奴に、」
 不機嫌そうに目線を逸らしたまま、ぼそぼそと続ける。
「借りがあったからだ」
 ますます混乱の体で、レリィは尋ね返す。
「どういうこと?」
「もういい。とにかく助かった」
「ちょっと、でも、…いらない…べつに」
「返されても困る」
 言葉以上に顔が正直だ。
「他のものがいいなら他のものにする。とにかくそれは俺もいらない」
 ―――シュリアストは大陸語がすごく上手だけど、焦ってる時は妙に言う事が率直になりすぎるの。
 ディアーナが笑っていたのを思い出す。
「だから……、何がいいんだ」
「なにがって、べつに…なにもいらない…」
「だったら花ぐらい受け取れ!」
 沈黙が降りた。
「じゃあ…もらうけど…」
 五十歩譲ったつもりのレリィに、百歩譲ったつもりのシュリアストが再度溜息をつく。
「…なるべく、」
 やはり目を合わせないまま、呟くようにシュリアストは言う。
「迷惑はかけない。…昨日は悪かった」
 返事は不要とばかりにふいと体をひるがえす。後姿を見送って、レリィは手元に目を落とした。
 ―――花なんて、
 もらっても誰にもあげられない。普段なら治療の礼に届けられる作物や装飾品を、あれこれと理由をつけてはディアーナやティグレインに押し付けてきた。もっとも昔は礼の受け取り自体を頑なに断ったものだが、ディアーナの説得に押されて、いつからか受けいれるようになっていた。
 貢物を受け取ってもらったことで安心したように、患者やその家族らは言うのだ。『また今度もよろしくお願いしますね』と。それが巫女を縛る見えない鎖を強固なものにしていくとも知らずに。
 レリィの伏せた睫毛に一瞬陰が差すが、息をついて首を振った。清楚な白い花に鼻を近づけ、軽く吸い込む。
 ―――いい匂いがする。
 買って来たものだろうか。どこかで摘んだものだろうか。いや、わざわざ摘みに行くはずもない。そう打ち消したレリィの考えを、ディアーナやかの男の兄が聞けば笑うだろう。彼はあの目立つ姿で花売りに話しかけることができる気性ではない、と。
 ―――悪い人じゃない。
 ―――でも。
 でも、あの人はディアーナの……。
 不意に息苦しさを覚えて、強く吐息する。
 考えない。何も考えない。今日は眠ろう。お風呂に入って。食事はいらない。眠ろう。
 花束を扉の外にぱさりと落とし、レリィは音もなく部屋へと戻った。

End.


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