Radwair Chronicle |
"わずらいの兆(きざ)し" 〜the Beginning of the Loop〜 |
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「―――はあっ」 大きく息を吸って、レリィは意識の中に浮かび上がった。急激に感覚を取り戻した全身が、恐怖の名残に震える。肩で息をしながら、ぼうっとした景色を視界に入れていると、 「患者は?」 声にびくりとして横を見る。シュリアストだ。 「あ…あ…、うん。まだ…」 「駄目だったのか!?」 「あ…明日まで待って。大丈夫…」 大丈夫だから。レリィは自分に言い聞かせる。 事情をつかみかねているのは間違いないが、シュリアストは表面上は無表情のままで、腰を上げた。青年を横抱きにかかえて持ち上げ、馬の背に引き上げる。次いで、頭を押さえながら立ち上がったレリィに手をのべた。 「……え?」 「乗れ」 「えっ?」 「早く」 レリィは呆然と口を開閉させる。やがてその口から、小さな声が漏れた。 「…いや…」 「は?」 「いや…いやっ…」 かすかに首を振る。レリィの体に震えがぶり返した事に、シュリアストは気づかなかった。声を荒げる。 「何してる、乗れ!」 「いや! 一人で帰れる!」 「来る時は乗って来ただろう!」 「あれはッ…急いでたから…っ!」 叫ぶように言ったレリィの両目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。 突然のことに唖然とするシュリアストの前で、レリィは抑え切れない慟哭に、口を押さえてうつむいた。シュリアストは素早く辺りを見回し、声をひそめる。 「いいから乗れ! こんな所で…」 ヴィルオリスに見つかったら自分が半殺しにされる。とシュリアストが言いかけたかどうかは、彼が口をつぐんでしまった以上、定かではない。 「…とにかく、早く戻らないとまずいだろう」 「一人で帰って」 「な…」 意味不明のわがままに逆上しかけるのをシュリアストはぐっとこらえ、袖で目を押さえるレリィに背を向けた。 「もういい。勝手に―――」 言いよどみ、言い直す。 「勝手について来い」 手綱を引っ張って、シュリアストは馬を歩かせる。数歩進んだが、後ろについてくる気配がない。息をついて、きびすを返した。下を向いたままのレリィが、数歩の位置に立っている。 「ついて来いといったのが―――」 乱暴に歩み寄り、レリィの腕をつかんだ。レリィは驚いて振りほどこうとするが、シュリアストは構わず大股で馬の待つ方へ歩む。 「いや! 放して! 放して!!」 「お前についてくる気がなくても! 俺には連れて帰る義務がある!」 歩調を緩めて、シュリアストは振り返った。 「一人で帰れるわけないだろう」 「…………」 「馬が嫌なら歩く。…帰るぞ」 腕をつかむ手の力を抜いて、レリィの袖を指先で軽くつまみ、シュリアストは手綱を持った。 今度はおとなしく引かれるまま歩きながら、レリィは前を行く長身の背を眺める。 ―――悪い人じゃ、ない。 まだ涙の乾かぬ目をこすり、ひとつすすり上げる。 ―――悪い人じゃ、ないんだ……。 ―――でも。 でも。 誰かに、似てる。背の高い、たくましい、あれは、誰だっただろう。 ―――怖い。 本能がそう継がずにはいられない理由を、レリィ自身は思い出せない。 夜をどうにかやり過ごして、白み始めた空を眺めながらようやく眠りについた。体にまとわりつく暑さで目覚めたのは昼過ぎだ。 眠気とせめぎ合う意識を、扉を叩く音が呼び覚ました。 「レリィ、起きてる?」 遠慮がちな声と共に顔を覗かせたのはディアーナだ。「うん」とも「ううん」ともつかないうめきを漏らして、レリィはゆっくりと身を起こす。 「起こした?」 「ううん、起きてたから。…どうかした?」 「あのね。昨日、レリィが元気ないって聞いたから」 ディアーナは背後に隠していた鳥かごを見せた。 「ケガしてて、私が面倒見てた子なんだけど。もうほとんど治ったから、レリィにあげようと思って。…とってもきれいな声で鳴いてくれるの」 かごの中の小さな鳥は、見慣れぬ景色に戸惑うように落ち着きなく枝を移る。その動きを目で追いながら、レリィは小さく呟いた。 「…そういうこと」 「え?」 「なんでもない」 ベッドから足を下ろす。 「ありがと、ディアーナ。……本当にいいの?」 「うん。可愛がってあげて」 「…………」 レリィは曖昧にうなずいた。 ディアーナは少しの間話を続けたが、レリィはといえば全くの上の空だった。そんな彼女を気遣いつつ、ディアーナは早々に退出した。疲れていると思ったのだろう。 静まり返った部屋のベッドから、レリィは動こうとしなかった。前の主に似たか、小鳥が気遣うようにさえずる。 「…ごめん」 聞き返すように、小鳥がまたさえずる。レリィは首を垂れ、今度ははっきりと口に出して呟いた。 「ごめんね…」 動きを知ったばかりの人形のように、彼女はひどくぎこちなく首を動かす。重い腰を、ゆっくりと上げる。 ―――支払ってもらわねばな、相応の贄を。 足を、踏み出す。前へ。 ―――慣れたものだろう、生贄の儀式など。 手を、伸ばす。指先が、精巧に作られた鳥かごの扉にかかる。 ディアーナがよく出してやっていたのだろう。恐れる様子もなく小鳥が手先にじゃれついてくる。 ―――くびり殺すのだ、お前の手でな。 巫女の紫の瞳は、すべてが終わるまで無表情だった。 |
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