Radwair Chronicle
"囚われの魂"
〜Two Choices〜
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 長かった今年の夏がようやく終わろうという頃。
 ラドウェアを襲った謎の疫病が姿を消して半月を経た。死者が十二名で済んだのは、ひとえに巫女レリィの力によるものだ。
 だが当の巫女は、このところふさぎこむばかりであった。
 ―――どこまでも見慣れてる変わり映えのしない景色
 ―――頭が痛くなる
 ―――逃げたい
 ―――ここから逃げたい
 今に始まった事ではない。中庭の階段に腰掛けて、レリィは遠く空を見つめた。青一色の空に、まばゆい太陽の光をまといながら、綿を無造作に引きちぎったような雲が浮かんでいる。
 名の知らぬ鳥が、大空を悠々と舞い、山の向こうに消えた。
 彼女の帰る場所は巫女の館しかなかった。溜息と共に立ち上がり、鎖をかけられたように重い足を引きずって館に戻り、扉を閉めると、レリィはベッドに深く腰掛けた。煮えたぎる胃から逆流する吐息は、濃縮された毒に相違なかった。
 ―――ああ、もう
 ―――死んでしまえば全てなくなるのに
 目を閉じれば、治療の失敗により死亡したその十二名の家族ら老若男女の投げつけた言葉が、恨みのこもった視線が、すすり泣きが、号泣が、脳裏を幾度となくかすめていく。
 ―――するものか
 ―――自分に同情なんて、するものか
 レリィは歯を食いしばり、きつく眉を寄せる。半眼の両目から、涙がこぼれた。やがてそれらの重力に耐え切れぬかのようにレリィは枕に突っ伏し、呪うように囁き祈る。
 ―――死んでしまえ
 ―――わたしは、死んでしまえ
 ―――役立たずの巫女に、生きている資格などあるものか
 ―――死ね。このまま死んでしまえ。そう、
「殺して」
「何で?」
 前ぶれなしに枕元に降り落ちた声に、レリィはぎくりとして起き上がった。
 いつどうやって現れたか、漆黒の魔導服の男が椅子にかけて足を組んでいる。
 驚愕の表情も一瞬のこと、レリィは再び沈んだ顔に戻り、毛布をかぶった。
「……理由なんて」
「理由なんて?」
「どうでもいい」
「そう?」
 お決まりの笑みを浮かべたまま、男は―――ヴァルトは目を細めた。
 時が、流れる。
 ぽつりと、レリィが言った。
「甘えてるだけだわ、わたし」
「何で?」
「……治療が」
「治療が?」
 レリィはしばらくためらった。
「怖いの」
 そして叩きつけるように彼女は続けた。
「そんな駄目な巫女は死ねばいい」
「ふむ」
 ヴァルトが自分の顔に手を当てる。
「誰かに何か言われたの?」
「………………」
 『どうして助けてくれなかった』『お前のせいだ』『お前さえしっかりしていれば』『お前さえ―――』
 人々が口に上らせなかった言葉までもが、今やレリィの中で隙もなくこだましていた。
「みんな……わたしのせいだって……わたしなんかいなければいいって……」
「言われたの?」
「みんなそう思ってる!」
 失われた者やその家族と同じだけ、それもその数と同じだけ、彼女は傷つき、もはや自暴自棄のように自分を責め立てている。そんな状態のままで今日も三人を治療した。壊れかけた歯車を彼女は必死で回し続けている。
 ヴァルトは何も言わない。風が梢(こずえ)を鳴らす音だけが、しばし部屋を支配した。窓から見える空はまた形を変え、山々の間にわだかまっている。
「死ねばいいのよ」
 レリィの冷たい横顔が言い切った。ヴァルトは片方の眉を上げる。
「死ねば……なにも感じなくてすむもの。つらい思いをしなくたってすむもの」
 ヴァルトは押し黙った。こんな時でさえ、彼の表情が“本物”であるかは疑わしい。
 そのヴァルトが問うた。
「生きてて、楽しかった事はないの?」
「なかった……なにも……。思い出せない……」
 レリィは毛布を頭からかぶる。鼻をすする音がした。
「死ねば……楽になれると思った……ずっと思ってる……今も……」
 ヴァルトはじっと耳を傾ける。
「死ねば……苦しまなくてすむ……わたしそれしかない……」
 レリィの声が途切れてしばらくして、ヴァルトは穏やかに尋ねた。
「何が、苦しいの?」
「……生きてるのが……」
「生きてる事の、何が?」
「……もう、だめなの……もういやなの……!」
 声を詰まらせるレリィに、少しの間を置いてヴァルトは言った。
「可哀想に」
 言葉と共に、彼の手が毛布の上からレリィの頭をなでた。
 ―――『可哀想に。』
「つらかったんだ?」
「―――っうっ……」
 レリィの咽奥がぎこちない音を立てる。
「う……あ……うああああ……!」
 抑えきれぬ声を上げながら、ぼろぼろとあふれる大粒の涙を枕に染み込ませる。聞き分けのない子供を眠らせるように、ヴァルトは頭をなで続けた。
「レリちゃんのおかげで助かった人もいっぱいいるんでしょ。レリちゃんがいなかったら百人は死んでたわ」
 毎日十数人の治療を繰り返した日々それ自体が、レリィを狂わせる一因だったと言ってもいいだろう。このままボロボロになって自分も死んでしまえばいい、そう思った事も確かにある。
「レリィ。もっと愛されなさい」
 ヴァルトは、毛布を両手で自分の顔に押し付けて泣きじゃくるレリィにそっと囁いた。
「お前はラドウェアのお飾りで、ずっと他人に利用されてきた。もっと打算なしに愛されることを覚えなさい。役に立つからじゃなく同情じゃなく、お前の存在そのものを愛する人もいるんだから」
 しゃくり上げていたレリィが、頭を左右に振った。
「理解……できない」
「拒否さえしなければいつか理解できる」
 もう一度レリィは頭を振る。が、彼女が自分に向けた刃を降ろすことはできたようだった。泣き終えて目を薄く開いた幾分すっきりした横顔が、その証拠だった。

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