Radwair Chronicle
"囚われの魂"
〜Two Choices〜
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 だが事はそれでは解決しなかった。
「ヴァルト、レリィと話をしてあげて」
 それもまた、龍の血の女王の予知能力だったのかも知れない。
「ヴァルトじゃなきゃ駄目なの、お願い」
「んー? 何で?」
 姿勢を正した真摯なディアーナと対照的に、爪の手入れをしながらヴァルトは生返事した。
「ヴァルトじゃなきゃ駄目なような気がするの。お願い」
「女王命令?」
「女王命令」
「陛下、ここんとこいっつも女王命令ですよ」
 そう言いながらも、ヴァルトはこのやりとりを気に入っているようだった。
「何だか、レリィ……ふさぎ込んでるから、様子を見てもらいたくて」
 綺麗になった爪を裏表返し見て、ヴァルトは腰を上げた。
「いいでしょ。任務遂行してまいります」
「うん、お願い。ありがとう」
 ヴァルトの瞬間移動に間に合うよう、早口でディアーナは謝辞を述べた。

−  ◇  ◆  ◇  −

 巫女の館の屋上に、巫女が湯浴みをするための湯船がある。普段であれば香草や花びらが浮き沈みする湯船が、その日真紅に彩られていた。おびただしい量の血の色だ。
 その血の流れのわだかまりの中に、白い裸体のレリィがいた。瞼は閉ざされている。
「あっちゃー……」
 ディアーナに言われるまでもなく、レリィの動向には気を配っていたが、こうも早くやられるとは思わなかった。ヴァルトはブーツを脱いで、ざばざばと湯船に歩み入る。
 血の源はレリィの手首だった。その傷口の上部を手でしっかりと押さえ、湯船から引きずり出す。
 レリィの顔は青白く、意識は朦朧(もうろう)としている。かすかに上下する胸の中心にも、ためらい傷があった。
「何でこんな時にヴィルがいませんかね……」
 助手がほしいがそうも行かない。ヴィルオリスは今ティグレインに付き従ってリタにいる。
 歯で自らの片袖を引きちぎり、包帯代わりに止血する。レリィはかすかに唇を開いたが、そこから声は出なかった。
 ヴァルトはレリィの体をマントで包み、寝室に運んだ。寝台に寝かせて毛布をかけ、静かに様子を見る。
「……で……」
「ん?」
「ディアーナには……言わないで……」
 色の薄れた唇が、必死に言葉をつむいだ。
「お願い……」
「何でこんなことしたの?」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
 レリィの両の目から、涙がひとすじふたすじと流れた。
「死のうとしたんでしょ?」
「……ごめんなさい……ディアーナには言わないで……」
 ヴァルトはわざとらしい溜息をついた。
「はいはい、言いませんよ。まあついでを言うとね、」
 ヴァルトの黒目がちの目が笑った。
「人間の体を甘く見んな。そんな程度で死にゃしない」
 レリィが朦朧としているのは、手首からの出血よりも、眠り粉の多量摂取が主な原因だろう。
「生きるか死ぬか、賭けたかったんでしょ」
「……わからない……でも死ねば……楽になる……」
「負けるの?」
「え?」
「人を助けるのが生きがいのはずだったかつての自分に、今ここまで来て負けるの?」
「生きがいなんかじゃ―――」
 答えようとして、気づいた。幼い頃から、巫女だから治療にあたってきた。何も疑問を持たなかった。当たり前だと思っていた。当たり前だと言い聞かされてきた。ただ、治療で回復した患者やその家族の喜ぶ顔を見て、安堵した事は何度かある。
 それはもしかすると、生きがいというものだったのかも知れない。
「ま、死ぬのも自由だけど」
 何気ない事のようにヴァルトは言った。
「一回死んだら戻って来れないからね」
 ベッドの縁にひじを付いて、にやりと笑う。
「生きてるってのはそれだけで最強だよ、レリィ」
 レリィには意味がわからない。
 立ち上がったヴァルトが首だけで振り向いた。
「ま、ゆっくり眠りなさい。ついでに館の人払いもにやっときますか」
 ヴァルトならば、事後処理を万事うまくやるだろう。レリィにはそれがなぜか腹立たしかった。
 瞼(まぶた)を閉じる。明日、またあの見慣れすぎた城と街が彼女の前に立ちふさがるのだろう。
 せめて眠り続けて、生きていることを忘れてしまいたかった。

−  ◇  ◆  ◇  −

 巫女の親衛隊には休暇を申し渡して、当分はヴァルトがレリィの様子を見る事になった。面倒を見ると言ってもレリィはもっぱらベッドでうずくまって眠るばかりで、ヴァルトは本を読みながらちらりちらりと様子を見るだけだ。
 目を醒ませば「疲れた」「死にたい」「殺して」と誰にともなく呟いては泣く。ヴァルトが声をかければ「なんでもない」と首を振る。
「レリちゃんに質問」
 ある日ふとヴァルトが尋ねた。
「誰も心配してくれない方がいいの?」
 レリィはその時もすすり泣いていたが、ヴァルトに背を向けたまま首を縦に動かした。
「心配されて……それでわたしが生きていけるわけじゃないもの……心配するだけ無駄だもの……」
 ふっ、とヴァルトは笑った。
「そんな態度見せつけられちゃ、心配するなつってもムダだね。特にディアーナちゃんは」
「…………」
 レリィが涙もぬぐわず振り向いた。
「言うつもりなの?」
「ん?」
 レリィの瞳には警戒と憎しみが燃えている。
「ディアーナに、わたしのこと言うつもりなの?」
「言ったら?」
「殺してやる」
 それは合わない焦点で牙をむき出した獣のようだった。ヴァルトはわずかに首をかしげて呟く。
「なるほどね」
 ヴァルトは本に目を戻した。ページを繰りながら問う。
「何でディアーナちゃんに言ったらダメなの?」
 しばらくの沈黙があった。夏の終わりの風が、音もなく部屋に流れ込む。
「あの子は」
 その風に乗せられたように、レリィの唇はするりと動いた。
「わたしのこと友達だと思ってる」
「レリちゃんからは友達じゃないんだ?」
「そんな資格ない」
「何で?」
 毛布の中、レリィは体を固くした。風すら吹くのをやめた。
「ディアーナは……あの子は頑張ってる……あの子は生きて行ける……でもわたしは……」
「レリちゃんだって頑張ってるっしょ」
 レリィは黙って首を振った。
 それ以上会話を続ける気がレリィにはないのを見て取って、ヴァルトは本をまた一ページめくる。そしてレリィはまた毛布をかぶりなおし、独り言と溜息を繰り返す。治療の要請があれば、重い体でそれでも杖を持って、杖にすがるようにして、館を出て行く。ヴァルトはそれを止めない。戻ってきた時には一層疲労の色を濃くして、杖を放すなり寝台に倒れこむ。
 そんな日々が続いた。

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