Radwair Chronicle
"囚われの魂"
〜Two Choices〜
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「ママ!」
 長女のマリルが、やや危なげに階段を駆け下りてきた。
「おねえちゃんがないちゃった!」
「えっ」
 その時アリエンは夕食のシチューの具を炒めていたが、元魔導師らしいとっさの判断で水桶を取って火を消した。駆け足で二階へ上がる。
 扉を開けると、床に座り込んだレリィが、ぬぐってもぬぐっても溢れる涙をただひたすらにぬぐっていた。アリエンは近づいて片ひざをつき、そっと声をかける。
「レリィ様?」
「……人が」
「え?」
「……病気の人が、」
 泣きながら顔を上げたレリィは、空気に飢えるように激しく呼吸した。
「わたしが、こうしてる……間にも、病気のッ……人が、いるのに……」
 何と声をかけたものか。アリエンは言葉に詰まった。レリィは巫女であることを激しく拒否しながらも、本能的に巫女でなければならないことを知っている。人を救わねばならないと泣いている。
「おねえちゃん、かわいそう」
 マリルが呟いた。その横で、リートが幼い彼なりに沈痛な空気を感じ取って静かにたたずんでいる。
「返して……わたッ……わたしの杖……返して……」
「そんなことをしてどこへ行かれるつもりですか! 今はお休みならなければならない時期です!」
「だめ……だめなの……」
「レリィ様、どうかそのような……」
「あらー。一日目でもうリタイア?」
 アリエンが振り返ると、空いていたはずの椅子にヴァルトが腰掛けていた。アリエンは素早く立ち上がり、まぶたを伏せる。
「申し訳ありません……」
「や、責めてるわけじゃないんだけどね」
 ヴァルトは椅子から立ち上がった。
「レリちゃんはね。望みが高すぎる」
 コツ、コツ、とゆっくりとした靴音を立てながら、レリィの周囲を回る。
「誰も死なない世の中。そんなもの地上のどこにもありはしない」
「……ちが……う……」
 首を振ったレリィの目に、炎のような気迫が宿る。
「わたしが……やれば……いいんだ……ッ」
「でも死にたい死にたいって言ってた人がそんなことできるの?」
 コツ、コツ、コツ。近いような遠いような靴音がレリィを巡る。
「死んで楽になるか、生きて厳しい理想を貫くか」
 それは蜘蛛の糸を渡るような危うい選択。
「どうなの、レリィ・ファルスフォーン」
「生きるわ」
 言い切った。かと思いきや、面を返したように涙があふれ出す。
「でもッ……死にたい……」
 その二面性が彼女を狂わせている。アリエンには薄々それがわかった。そしてヴァルトはとうに知っていたのだろう。彼女の中にあるその危険な矛盾を。
 死ねば楽になるが、人を救えなくなる。生きれば人を救えるが、楽になりたく―――死にたくなる。
「そう。なら今は休みなさい」
 ヴァルトはレリィの頭の上に手を乗せた。それもつかの間、レリィの体がぐらりと揺れ、その場に倒れる。長い髪が床に広がった。
「ヴァルト様、何を……!」
「催眠魔法」
 言われて、はっと気づいたようにアリエンはレリィに目を戻した。
「オレの催眠はティグのより弱いからね。後でティグに上書きしてもらって」
 自分が何日眠っていたかをレリィが知れば、その『無駄な』日数を彼女が悔いるのは知れている。その点、精神系に特化しているティグレインの魔法であれば、目覚めた時に自分がそれまで眠っていたことすら覚えてはいないだろう。
 ヴァルトがレリィを抱き上げて運ぼうとした時、その前にマリルが立ちはだかった。
「おねえちゃんをいじめないで」
 その小さな抵抗に、満面の笑みでヴァルトは答えた。
「いじめないよー。バイバーイ」
 手を振って別れを告げ、アリエンと共に階段を降りる。
「やー、一番かわいらしー時期ですな」
「苦労もひとしおですけれどね……」
「まー父親が育児放棄しちゃったからしょーがないやね」
「誤解を招く言い方をなさらないでください」
 アリエンがヴァルトをにらむ。
「あの子の父親はコウ殿です」
「はいはい」
 にやにや笑いを隠さないヴァルトと、しかめっ面のアリエン。巫女の館へと向かう対照的な二人の後を、長い影と生暖かい風が音も立てずに追っていった。

End.


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