Radwair Chronicle
"幸福な時間"
〜Like an Unrequited Love〜
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 とうに温(ぬる)くなった額の布を裏返し、再び目を閉じた。唇から漏れる溜息は熱い。膜ひとつへだてたように現実が遠い。退屈な時間を埋めるには、時折聞こえる外のくぐもった話し声では到底足りない。
 深呼吸をすると、ドアがノックされた。暇をつぶせるという期待と、療養せねばという義務感あるいは人の相手をする面倒さとでは、どうやら後者の方が勝ったらしい。無視を決め込もうと布団をかぶり直した時、控えめにドアが開いた。
「シュリアスト?」
 心配げに顔を覗かせたのは女王だった。無視を無視する性格は本来迷惑に相違ないが、今回ばかりはありがたかった。彼女は、会いたくない人物のリストに載ることのない数少ない人物であるから。もっとも、歓迎を面(おもて)に出すようなまねはシュリアストには出来ない。不可能と言ってもいい。
「仕事は」
「午前中の分は終わったから」
「どうして来た」
 責めているのではない。彼女の口から聞きたかっただけだ。例えば―――そう、「シュリアストのことが心配だったから」と。
「具合、どうかなと思って」
「城中が風邪を引いたら、全員の看病でもするつもりか」
「その時は私も風邪引いてると思うの」
 シュリアストの心中を知ってか知らずか、いたずらっ子のような笑顔。するりとドアから滑り込むと、小走りでベッドに近寄り、額に乗せた布を取って手を当てる。
「まだ熱あるね」
 枕元の水桶に布をひたし、十分に水気を絞る。本来ならば女王らしからぬ行為だが、ともすれば普通の町娘に見間違えられるだけあって、よく似合う。
 シュリアストの額にかかる髪を丁寧にぬぐい、冷たくなった布を再び額に乗せる。
 琥珀の瞳を見つめれば、じっと見つめ返してくる。
「……いいのか」
「え?」
「時間は」
 この口はいつも望みとは逆の示唆をする。ディアーナは微笑んで答えた。
「うん、まだ大丈夫」
「……そうか」
 会話といえるほどですらない会話が、途切れる。
 例えば―――幸福な時間、とはこんなものだろうか。丸椅子に腰掛けたディアーナは、優しげな眼差しで彼を見つめている。冬の陽は斜めに窓から差し込んでいる。
 どのくらい無言の時が流れたか。ディアーナは立ち上がり、スカートをととのえた。
「それじゃあ、お昼食べてくるね」
 ここで食べればいいだろう。―――そんな白々しい台詞は出ない。
「ああ…」
 食べ終わったら、また来るだろうか。いや、そこまで甘い期待はしていない。女王はわずかな時間を搾り出すように作っては臣民のもとを訪れるのだ。自分だけが例外なのではない。
 だが今は、俺のために。今だけは、俺だけのために。たとえその笑顔が万人のためのものであるとしても。

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