Radwair Chronicle
"幸福な時間"
〜Like an Unrequited Love〜
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「それじゃあ」
 ディアーナは立ち上がる。別れ間際に“おまじない”のひとつでも期待したのだが―――
「早く、よくなってね」
 そう言ってディアーナはにっこり笑んだ。それだけだ。
 またか。まただ。息の触れるような位置まで近寄っては、何事もなかったかのように離れていくのだ。「誰にでもそうだ」と聞こえよがしに言った兄を思い出す。
 ディアーナはわかっているのだろうか。己の行いがどれだけ自分を苛立たせるかを。
 腕を掴んで引き止める、そんな行為も頭をよぎった。だが、それをやれば負けのような気がした。
 不意に昔を思い出す。
 あの時は。あの時は、追われていたのに。確かに自分がこの少女に追いかけられていたはずなのに。
「ディアーナ」
 呟いたのか、呼び止めたのか。結果としてはディアーナは振り向いた。
「なあに?」
 気だるい空気の中で、普段なら出さない問いを吐き出したくなる。
「昔、冬に…俺が森の川の近くにいて」
「うん」
「そこに来たのは何でだ」
 こんな問いで、該当する記憶を彼女は掘り起こせるだろうか。はたまたすでに記憶から失われ去っているだろうか。つい先刻まで自分がそうであったように。
「私が雪に埋まった時?」
「そう」
「靴が片方脱げて」
「そうだ」
「おんぶしてもらって帰ったよね」
 屈託なく話す。少しぐらい相手を意識しないのか。小憎らしささえ感じながらも、シュリアストは問うた。
「あれは、何をしに来たんだ」
 ディアーナの笑みが、わずかにこわばったのは気のせいか。
「えっと…何だっけ。忘れちゃった」
「…………」
 言いたくない、という事か。シュリアストは息を吐いた。
「わかった」
 考えてみれば、あの時どこに行くとも言わなかった自分をディアーナが見つけ出した事は奇跡に近い。それも一直線に走ってきた。あれが偶然だというのだろうか。
 あの時だけではない。身の回りで不可思議な事が起こるたび、彼女は口をつぐむ。
 頭痛がしてきた。少し話をしすぎただろうか。額に手を当てる。それを見て取って、ディアーナは優しく微笑んだ。
「早く、よくなってね」
「…………」
 こんな時、何を言えばいい。
「ああ」
 短く、それだけ答えた。
 ディアーナがきびすを返して部屋を出て行く。彼女の残り香がそこに漂っている気がして、シュリアストは深く息をついた。
 今は、安らかに眠れそうだ。

End.


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