Radwair Cycle
-BALLADRY-
"囚われの鳥"
〜a Bird in the Cage〜
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 その"籠の中の美しい鳥"は、今日とて、何不足ない豪奢な部屋に目を向けることなく、夕空が闇に押し負かされて何も見えなくなるまで、窓辺にもたれて城下を眺めていた。
 もう幾日、それを繰り返したことだろう。
「フォーテ…」
 愛しき者の名を呼ぶ、それもまた幾度目のことか。
「フォーテ…フォーテ……」
 彼がこの窓の下に迎えに来たならば、彼女はためらわずこの二階からその者の腕の中に身を投げ出すだろう。
 家々の明かりは消え、今宵は月もなく、見えるものは何一つない。そう悟った彼女が、眠れないとわかっていながらも寝台に腰掛けたその時、扉を叩く音がした。
 降ろしたばかりの腰を上げ、首をかしげつつ少しばかり扉を開けて伺う。
 まず竪琴が目に入った。ついで長い黒髪と色白の肌、その左目の下に並んだ三つのほくろ。黒い紗に通した細い腕、同じく黒いトーガ。歳は二十よりはいくらか上だろうか。
「シュトレーゼと申します。カーナー殿下から、セトラ様の気晴らしにと」
 深々と頭を下げる。姿ばかりでなく声までも中性的、だが名を聞くにどうやら男と判った。しばらくまばたきをしていたセトラが、ようやく状況をつかむ。
「竪琴を弾いてくださるの?」
「お望みならば叙事詩でも」
「叙事詩…?」
「そう……恋物語などはいかがでございましょう」
 しばらく時間をかけて、セトラは微かにうなずいた。シュトレーゼの、女とまがうばかりの紅色の唇が微笑む。
 セトラの開けた扉の隙間から闇のように部屋に滑り込み、小姓の持っていた椅子を中央に置かせ腰掛けると、弦の長い方から短い方へと流れるように両手を滑らせた。指を追って柔らかな音色が従う。最後の弦まで弾いて、シュトレーゼは部屋を余韻が満たすに任せた。
「―――竪琴の音はお好きですか?」
 少し考えて、セトラはまた微かにうなずいた。
「では…そうですね。ラドウェアという国に、絶世を歌われる美女がいたことはご存知ですか」
 セトラは首を振る。彼女の仕草はどれも、常に目を凝らしていなければ感づかないほどの小さな動きばかりだ。シュトレーゼは目を細めて笑んだ。
「レリィ・ファルスフォーン……ラドウェア最後の巫女。そう言われてみれば多少なりともご存知でしょう」
「…少しだけ」
「彼女の身に起こった事柄のひとつを歌いましょう。どういうわけか、貴方はどこか彼女に似ているように思えるのですよ」
 セトラは驚いたように目を大きくする。シュトレーゼはまた微笑んだ。不意にその表情は無に変じる。瞳は時を渡りラドウェア時代に焦点を合わせ、他に何も見えぬといったふうだ。あるいは彼自身の存在がここから消えてしまったかのように、静けさが部屋に染み渡る。
 その静けさをそっと押すように、竪琴の音が響き始める。やがて、容姿からは到底想像できぬ張りのある声で、シュトレーゼは歌い始めた。
「それは、孤独と悲しみのうちに心を閉ざしてしまった女性と、それを救おうとする男との、ひと月の旅の物語―――」

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