Radwair Cycle
-BALLADRY-
“死と生の狭間から”
〜a Feeble Soul〜
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 次の坂を上りきればラドウェア城に辿り着く。曲がりくねった坂が続くが、途中には休憩所や宿が設けられている。山道にしては治安もさほど悪くはない。木々はところどころ紅葉を始めており、空気はどこまでも澄み渡っている。
 次の休憩所で積荷を解いて馬を休めようと考えるうちに、前方から二人乗りのゆっくりとした歩調の馬が近づいてくるのが見えた。
 やがて馬同士がすれ違い、そのまま互いの距離が開いて行く。しばしして、商人は馬を止めて後ろを振り返った。
「……まさか、なあ……」

−  ◇  ◆  ◇  −


 青い髪に青い目は、シルドアラ人の特徴だ。体格もこの大陸のいかなる人種より一回り大きい。その偉丈夫が手綱を握り、前に乗る女は長い髪を垂らしてうつむいている。寝巻きの上に毛布を巻いただけの格好だ。顔立ちは文句なく美しいが、頬は青白く、目は馬の揺れるに任せて茫然と地面をさまよっている。
 手綱を引いて馬を止め、シークェインが指差す。
「見えたぞ、エアヴァシーだ」
「…エアヴァシー…」
 小声でレリィが反応した。ぎこちなく顔を上げる。坂の高みから見下ろすはるか遠くの丘の上に、巨大な要塞がある。
「……お城…」
「ん?」
「本当にただのお城だけなんだ…」
「おまえ、エアヴァシー見たことないのか!」
 ラドウェア、エアヴァシー、リタ。ラドウェア三城と呼ばれる。その中でも、エアヴァシーは大陸街道のほぼ中心にある大城砦、国の要だ。
「だって…ラドウェアの巫女は、ラドウェアを離れちゃいけない…」
「なんで」
「知らない……」
「いい加減な規則だな。まあいいか」
 これは連れ出しがいがあるというものだ。シークェインは馬の横腹を軽く蹴って歩ませる。ゆったりとしたひづめの音に合わせて、レリィの長い髪が揺れる。
「今日宿で泊まれば明日には着く。まあ、巫女引きずり回してるなんて知れたらまずいから、城には寄らないけどな」
「……………」
 レリィは黙りこくった。やがて、
「…シーク」
「ん」
「やっぱりラドウェアに帰して」
「なんで」
「巫女はラドウェアを離れちゃいけない…」
「いいだろ。どうせ霊界に降りられないなら、ラドウェアにいなくても同じだ。それより気分転換でもした方がよっぽどいい」
「でも……」
「死にたいとか死ぬようなまねとかしながら、それでも仕事がしたいのか」
「…………」
「できるわけないだろ」
 言って、レリィの後ろ頭に額を軽くぶつけた。
 彼なりに気を遣っているのだ。レリィの服毒以来。

−  ◇  ◆  ◇  −

 一週間ほど前にさかのぼる。
 日が中天に差しかかろうという時間だった。館の扉を叩いても返事はなく、エリンは取っ手に手をかける。鍵は開いていた。
「レリィー、シーツ取り替えるよ」
 扉を開けて中に入る。レリィはこちらに背を向けて、寝台に横たわっていた。
「あら、熟睡?」
 寝台に近づくと、つま先が何かを蹴った。床を転がったそれは陶製の杯だ。何気なく拾って脇の小テーブルに置く。
 レリィが目を覚ます様子はない。無理に起こすこともないと思い、エリンはシーツ替えを後回しにすることにした。
 巫女の館から出てきたエリンに、声をかける者があった。
「よー、エリン」
 黒が基調の服に、同じ黒のマント。魔導師団の制服の色は原則として黒と白だが、この男だけは金色の装飾を許される。ヴァルトだ。片手を挙げてひらひらさせている。
「レリちゃんは?」
「まだ寝てた」
「あら、マジ?」
「シーツ換えようと思ったんだけどねー。ここんとこずっと元気ないし、疲れてるんでしょ」
「どれ。栄養失調とかじゃねぇの? 医者の不養生つーか」
 言いながらヴァルトは扉を開けて中に入って行った。エリンはきびすを返す。
 二歩歩いたところで、扉が勢いよく開く音がした。
「エリン!!」
 驚いて振り向くと、彼らしくもなく血相を変えたヴァルトがいた。
「飲める水! 山ほど持って来い!」
 状況のつかめないエリンに、ヴァルトは声を一回り大きくする。
「今すぐ!!」

−  ◇  ◆  ◇  −

 シークェインは部屋の隅の椅子に腰かけ、背を壁にもたせかけて呆然と足元を見ていた。
「キゴリ草の…すり汁です」
 杯に残った乾いた緑色の汁を検分したモリンの、震えながらのどもり声が、彼の脳裏から離れない。
「ど、毒草ですよ…。普通に生え…てるけど、毒…性の、つ、強い…草で…」
「それも致死量のね」
「致死量!?」
 エリンが声を上げ、発言の主を見やる。ヴァルトだ。エリンにはその言葉が信じられない。
「だってまだ息もしてるし…」
「エリン、水。バケツもう一杯」
 無表情のままでヴァルトは命令した。エリンは一瞬戸惑ったが、
「わかった」
 うなずいて部屋を出て行った。
 ヴァルトは意識のないレリィの体を起こし、水を飲み込ませては、のど奥に指を突き入れてバケツに吐き出させている。ぼたぼたと垂れ落ちる吐瀉物(としゃぶつ)は茶色に変色していた。
「……そう、致死量だ」
 ヴァルトは呟く。
 ―――この濃さでこの量、致死量なんてもんじゃねぇ。時間もかなり経ってる。
 ヴァルトは無表情の下で警戒を強める。
 ―――何で生きてられる…?
 エリンがバケツを持ってきた。ヴァルトは再びレリィの体を支えて吐かせる。同じ事を何度か繰り返し、吐き出すのが水だけになったところで、ようやくレリィを再び寝台に寝かせた。
 作業がひと段落したところで、シークェインが重い頭を上げて問うた。
「……これで、大丈夫なのか?」
「さあね。ヘタしたらこのまま眠り姫」
 死を間近にした魂は霊界に引きずり込まれる。群がる魔物に食い尽くされた時、その人間は完全なる死を迎える。それは巫女と言えども同じことだ。ヴァルトは片眉を寄せる。
 ―――霊界に落ちながら魂は保たれている……守られている?
 それが何を意味するのか。にわかに解ける問いではなかった。あれだけの毒を飲んで生きている。霊界で何らかの意思が働いているとしか思えない。霊界において意思を持つもの―――
「エンガルフか……」
 他に聞こえない程度に呟いた。しかしそれがなぜレリィを助けるのか。エンガルフにとって、レリィは邪魔な存在ではないのか。
 思えば今までも、エンガルフはレリィを殺そうとはしていなかった。じわじわと痛めつけるように彼女を追い詰めてはいたが。
「あのっ、」
 思い切ったようにモリンが言った。
「こ、この前…、レリィ様、いらしたんですよ。ま、魔導師の…塔に」
 全員の目が集中する。
「珍しいなって、思っ…思ったんです、けど、まさかこんなっ…ことの…ためにっ…」
 シークェインは衝撃を隠せなかった。
「あいつ…おれに黙って…」
「あ、あの、巫女様は、自由に魔導師の塔に、出入りできますから…」
「そうじゃない!」
 シークェインは立ち上がった。
「そこまでするほど困ってたなら、なんでおれに言わない!」
「言おうとしてたんじゃない?」
 ヴァルトが何事もないように言った。シークェインは言葉に詰まる。部屋は沈黙に支配された。
「どう…なの? レリィ、大丈夫だよね?」
 エリンがおそるおそる尋ねる。
「ヴァ…ヴァルトなら、何とかなるんでしょ? ねえ…ねえ!」
 ヴァルトは真剣な顔で唇を結んでいる。シークェインはおもむろにヴァルトに目線をやった。口を微かに動かしたが、そこから声は出ない。椅子に再び腰を落とす。
 バタン、と音を立てて扉が開いた。飛び込んできたのは少女とも見える背丈の赤毛の女性だった。アリエンだ。
「レリィ様!!」
 寝台に駆け寄り、手を握り締める。その手はひどく冷たい。
「どうして……」
 アリエンの瞼が伏せられた。睫毛の先が微かに震えている。
「レリィ様…どうしてこんな事を……」
「賭けかね」
「え?」
 ヴァルトの方を振り向くアリエン。
「館の鍵はかかってなかった。誰か見つけてくれっていうサインだ」
「賭け……」
 アリエンは拳を握り締めた。
「そのようなこと…なさらずとも…ッ」
 息をつくと同時に、涙が一筋アリエンの頬を伝った。不意に振り返り、悲しみに支配された激昂をぶちまける。
「シーク! あなたがついていながら……!」
 アリエンの怒りの矛先を向けられても、シークェインは反応を示さなかった。腰掛けに座ったまま、呆然と目を落としている。
「シーク…あなただけだったんですよ。レリィ様の心の拠り所はあなたしか。なのにあなたは…!」
「アリエン」
 ヴァルトが口を挟むが、アリエンの慟哭を止めるには至らなかった。
「どうして……あなたがっ…!!」
 シークェインはわずかに目を上げてアリエンを見たが、口はやはり半開きのまま何の言葉も出なかった。
「アリエン。こっち手伝って」
 アリエンに背を向けたまま、ヴァルトが言った。はっとしてアリエンは振り向く。涙を溜めたまま、彼女は力なくうなずいた。
「いや、」
 思いがけず、シークェインの口から声が出た。
「おれが悪かった。レリィは何回も……おれと話そうとしてたんだ」
 ―――『ごめん、なんでもない』―――何度も聞いた台詞が頭をよぎる。
「なのに……気づいてやれなかった」
 彼女がひどく孤独であったことを。親兄弟すべてを失い、ディアーナ以外に気安く話せる相手もなく―――むしろだからこそ心配をかけまいとし、彼女の心が次第に螺旋をたどるように閉ざされてしまったことを。その中で唯一、恋人であるはずのシークェインは、自分の用ばかりを優先して、彼女を振り向いてやれなかった。
 切ない自嘲の表情で、シークェインはエリンを見やる。
「おまえにもずっと前に言われたな。身勝手だって」
 エリンは唇を引き結ぶ。
 アリエンはもはや何を言うこともできず、ただ深く深く溜息をついた。

−  ◇  ◆  ◇  −

 闇の中に横たわる白い裸体は、まばゆいほど美しく、そして異質だった。
 彼女の周囲を、時折細い鎖が巡る。鎖の通った後を青白い光が追う。結界だ。
 うごめく霊界の魔物どもが、硝子越しのご馳走を見るように、結界のあちこちにぴたりぴたりとはりついている。
「散れ。私の獲物だ」
 低い声がそう告げた。
 声と結界の主はエンガルフ。蛇と鰐を掛け合わせたような巨大な魔獣の上から、意識を失ったレリィを見下ろしている。
「まだ死なれては困る。巫女の血筋を途絶えさせるわけには行かんのでな」
 不気味な笑い声が、霊界に低くこだました。

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