Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"強襲"
〜an Assault〜

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 夜明け前、エアヴァシー城。伝書鳩を確認する、いつもの時間だ。タルバーは長い螺旋階段を上り、塔の屋上に備えつけられた二つの箱を覗く。ひとつは送信用、いまひとつは受信用の鳩の巣箱だ。受信用の箱は空。今日も平穏無事のようだ。
 タルバーがエアヴァシーの守備に就いて四年が経つ。隣国ベルカトールの不穏な噂は絶えないが、このところは大きな衝突もなく、大陸の均衡は保たれていると思われた。
 役目を終えた彼が鳩小屋を後にしようとした時―――
 突如、箱の中に手が現れた。人間の手だ。手は鳩をつかんだと思ったのもつかの間、ひと息に握り潰した。白い羽と真っ赤な血が飛び散り、木箱の内側をまだらに染める。
 手はそのまま伸びて箱を突き破り、振り向いた姿勢のまま唖然とするタルバーの首を掴んだ。血にまみれた手から、腕、肩、そして顔が、彼の前に現れる。亜麻色(エクルベージュ)の髪を垂らし、額と目に真紅の模様の描かれた男だ。なまじ整っている顔だけに、タルバーの恐怖は増した。
「この城が巫女の居城でないことを、」
 存外に低い、男の声。
「せいぜい恨みながら死ぬ事だな」
 ぐしゃり、と先刻の鳩のように首を握り潰され、タルバーの頭が後ろに折れ曲がった。何が起こったのか理解したかすら怪しい。まだ立っている身体から噴き上がる膨大な量の血を浴びながら、男は声高に笑った。絶命したタルバーの腕を掴み、勢いよく城外へ放り出す。それは鮮血の尾を引きながらきりもみ状に飛び、はるか下の地面に叩きつけられた。
 タルバーの哀れな最後を目にした者はいなかった。時を同じくして、強烈な地震が城を襲ったからだ。
「―――落ち着け!」
 現在エアヴァシーを任されている副近衛長ロンバルドは、床に手をついたまま声を張り上げた。立っていられぬ程の激震だ。兵たちは右に左に揺さぶられ、棚はその中身を吐き出しながら次々に倒れる。メキメキという音に顔を上げれば、屋根を支える木材は折れ、石の壁には大きなひびがひと揺れごとに入っていた。
 エアヴァシーははるか昔に一度だけ、大地震で城壁が崩れたために陥落したことがあるという。最悪の事態がロンバルドの頭をかすめた。傍(かたわら)の魔導師に呼びかける。
「レイカード! ラドウェアに連絡を!」
「れ、連絡取れません! 音信不通です!」
「何だと!?」
 ラドウェアは魔導師団の本拠地、大陸各地の支部からの連絡を一手に引き受ける。その連絡網は、いついかなる時も開かれていたはずだった。
「ならば早馬を出せ! 馬が落ち着き次第、大至急…」
 ロンバルドがそれを最後まで言い終えることはなかった。彼の口を止めたのは、今しも崩れ落ちた壁の向こうの光景。
 どこから、いつの間に、現れたというのか。数万にものぼる大軍が、この城を包囲していた。
 呆然とするロンバルドの首に、ぞぶ、と後ろから何かが突き刺さった。
「さあ、宴の時間だ! 人間ども!」
 血を吸った魔剣を引き抜き、屍(しかばね)となって倒れたロンバルドを踏みつけ、亜麻色(エクルベージュ)の髪―――今や血を浴びて真紅の髪の男は、崩壊する城の轟音の中、高らかに笑った。


◇  ◆  ◇


 細い鎖の音がした。
 あたりは闇。ただ一色の闇。いかなる夜よりなお濃く深い、この世にあるまじき漆黒の闇。
 その闇の中から、おもむろに迫ってくる者があった。一歩。また一歩。
『レリィ』
「…や…、」
『レリィ・ファルスフォーン。ラドウェア最後の巫女よ。迎えに来たぞ、お前をな』
 手が、伸びてくる。
「い…や……いや…、いやあッ、いやあぁーーーーーーー!!」
「レリィ! レリィ!」
 はっと目を開けると、シークェインの顔が目の前にあった。
「どうした」
「…ぁ…」
 答えるどころではなかった。心臓が早鐘のように激しく脈打っている。全身がじっとりと濡れているのは冷や汗だろう。
 先代巫女だった姉の教えが、脳裏をかすめる。
『夢は霊界とつながってるのよ』
 ―――今のは、違う。ただの夢……。
 蒼白な顔のまま、レリィは首を振る。
「なん…でも、ない……」
「声出してたぞ」
「……いやな夢、見たから…」
 シークェインは首をかしげてしばらくレリィを見ていたが、
「寝ろ。まだ早い」
 そう言ってごろりと背を向け横になった。
「うん…おやすみ」
 レリィはようやく、こわばった体の力を抜くすべを思い出し、寝台に沈み込む。
「……おやすみ、シーク」
 開けたままの彼女の目に映る、窓の向こうの闇空は、二度と明けることのないもののように思えた。


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