Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"幕開け"
〜Dawn, and Besiegement〜

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 ラドウェア城は山中深く、長い坂を上り詰めた所にある。大城砦エアヴァシーから、馬に揺られて約四日の道のりだ。東は断崖絶壁、西は深い森。北に行けば隣国レキアへ、南へ行けばエアヴァシーへと通じている。
 華やかとは言いがたいが、魔法文化を諸所にさりげなく取り入れた、大陸内でも特殊な城だ。特殊なのは城だけではない。龍の血を引くと言い伝えられる女王、霊界より病人の魂を救い上げる巫女、そして外道の魔導師や亜人を狩る魔導師団。いずれも他国の垂涎あるいは畏怖の対象だ。
 とはいえ、ここ数十年で大規模な戦いといえば六年前のレキア戦が最後であり、城が頻繁に戦火に曝されることはなかった。ゆえに、昨日と同じ今日が来て、今日と同じ明日が来ることを、誰も疑ってなどいなかったのだ。
 ―――その日までは。


◇  ◆  ◇


 夜明けとともに知らせを受け取った時、近衛長コウは、ひとつ担(かつ)がれたのではないかと疑った。無理もない。報告に来た兵士は二人、うち一方は守りの塔から、もう一方は北門からで、報告の内容は同じ。「突然謎の大軍が現れた」である。
 数を訊けば、千や二千ではないという。二人を信用しないわけではないが、正確を期すため腹心の部下シャンクを西門に向かわせた。そして彼が持ち帰った報告は、先の報告が何かの間違いではないかというわずかな期待を粉々に打ち砕いた。「西の森全体に沿うように兵士たちが展開している。旗などはなく、どこの兵とも知れない。数は一万を優に超える」。
「各班に連絡大至急! 緊急防御態勢をとれ!」
 自らも鎧を身につけながら、コウは焦りを禁じえなかった。一体どこから、それも何の前触れもなく、一万を超える兵が湧き出したというのか。森の木が人に変じたとでもしか思えなかった。
 近衛、守備隊、共に動揺は激しい。激しいながらも、迎撃の準備は始まっていた。武器が次々に運び出される。城壁から落下させるための煮えたぎった湯が用意され、石の積まれた荷台が転がされていく。守備隊は弓を構え、あるいは石弓を巻き上げる。
 無論、この異常事態に動いているのは、兵士ばかりではない。
「おいーす、ガンバってるかい守備隊の諸君」
 得意の転位魔法を駆使して城壁や塔に転々と現れるのは、言うまでもない、漆黒の魔導師ヴァルトだ。からかいとも激励とも取れる軽口を振りまきながら、最後に到着したのは西門の上、魔導長ティグレインの隣だった。耳打ちする。
「ちょ、やべえわ」
 承知。ティグレインはうなずいた。
 守備隊と近衛は突然の敵の出現に慌てているだけだ、迎撃準備が整えばじきに落ち着きを取り戻すだろう。だが魔導師団上層には落ち着けない理由がある。支部からの連絡が一切ないのだ。大陸各地に配置された魔導師団支部の情報網をすり抜けて、ラドウェアにこのような異変が起こりうるはずがない。一体何が起きているのか。一体何が起きようとしているのか。ひどく悪い予感がした。
 悪い予感。それを最も強く感じていたのは女王ディアーナだろう。城の本丸(キープ)からは森の様子も大軍も見えはしない。だが報告は彼女にその光景を思い描かせる。
 ラドウェアは難攻不落。城は攻めるよりも守る方がはるかにたやすい。しかしこの胸騒ぎは何か。取り返しのつかないことが起こるのではないか。
 それが取り越し苦労であるという保証は、今のところ何もなかった。


◇  ◆  ◇


「なんだって?」
 ラドウェア城門(ゲートハウス)。声を荒げたのは、巨躯を鎧に包んだ守備隊長シークェインだ。彼に向かい合い彼を上回る長身の弟、シュリアストはあくまでも冷静だ。
「レキア国境側の見張り塔には異常なし、との知らせが入った。怪しい者は通らなかったと……ましてあんな大軍は」
 既に報告では、敵の数は四万に膨れ上がっている。
 レキアはラドウェアの北に位置し、ラドウェアに対してはかねてより敵対的な態度をとってきた。国王デラントが龍の血を欲しているとの噂がある。
 だがレキアからラドウェアを攻めるには、ただひとつの道筋しかない。そしてラドウェアの見張り塔は、その一本道に建てられている。迂回して山の中を進んだとしても、四万を超える軍勢が一斉に現れるなど不可能だ。そもそもその数は、レキアの全兵士をかき集めたとて達しえないはずだ。
「少なくとも北から来た兵じゃない」
「じゃあおまえ…、あれが南から来たってのか!」
「……そうとしか考えられない」
「おまえ!!」
 シークェインが弟の襟首(えりくび)をつかみ上げた。
「いくら数いたって、エアヴァシーを抜いてラドウェアに来れるわけないだろう!!」
「だが実際に北は何も通ってない! それにあの兵は…」
「シークの言う通り…」
 女王ディアーナの呟きが、二人を止めた。
「もし南から来たとしたら、エアヴァシーを避けて通っても、追撃が出てここで挟み撃ちになるだけ」
 エアヴァシー城は、ラドウェアから南に山を下った先の丘の上にある。高台からはラドウェア城、リタ城、ベルカトール宮殿をそれぞれ臨める、大陸中心の大城砦。そのエアヴァシーの守備隊長こそ、今ここにいるシークェインだ。
 ラドウェア城は近衛騎士団の他、季節ごとに交代するエアヴァシー守備隊に守られている。南からラドウェアを攻めようとするならば、エアヴァシーを避けては通れない。戦うことなく夜間に行軍したとしても、あれだけの数の兵士が気取られないはずがない。
「レキア側の見張りの連中が金で通したんじゃないのか?」
「そんなことない!」
 シークェインの疑いを強く否定したのはディアーナだ。シークェインが気を取られた隙に、シュリアストは襟首(えりくび)をつかんでいた兄の手を振り払う。兄はちらりと弟を見やったが、ディアーナに注意を引き戻した。
 シークェインを正面から見据え、琥珀色(アンバー)の瞳が訴える。
「今レキア塔の主任はクラッドでしょう? あの人はそんなこと許す人じゃない」
「じゃあ、なんなんだ」
 不服顔のシークェイン。ディアーナはうつむいて、少しの間考える。
「亜人か精霊の手を借りたのかも知れない。…六年前にレキア軍が南から現れたの覚えてる? その手ならどこから現れてもおかしくない」
 それは丁度この兄弟がラドウェアに現れた頃の話だ。巨大な精霊獣に運ばれたレキア兵たちがラドウェア市街に降り立ち、ラドウェアの歴史上、初の市街戦が展開された。魔導師団の出動で精霊獣を倒し、どうにかレキア軍を退却させたが。
「なら魔導師団の仕事だろ。ヴァルトは何してる」
「今調べてくれてると思う。エアヴァシーとリタには伝書鳩を出したから、報告が入るまで防御態勢を続けて」
「わかってる」
 応じて、シークェインは弟に向き直ると、再びその襟元をぐっと引き寄せた。
「さっさと着替えろ。戦場だぞ」
 にやりと笑い、手を離す。
「先行ってる」
「…………」
 硬い表情で、シュリアストはその背中を見送った。


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