Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"預言"
〜Ill-omened Prediction〜

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 魔導師の塔最上階。その部屋に入るなり、ヴァルトは外套(マント)を脱ぎ捨て、後ろに放り投げた。とっさにモリンがつかみ取る。それを確認するでもなく、漆黒の魔導師は頭の後ろで手を組み、壁に寄りかかって深い息をつく。
「やー、サイアク」
「…貴殿にそう言わせしめる程の事態とはな」
 魔導長ティグレインは椅子から立ち上がった。その動作と窓からの生ぬるい風に、赤い外套(マント)が揺らめく。ティグレインは二人に背を向け、窓に歩み寄ると、窓の桟(さん)に手をかけ悠然と景色を眺めた。崖に面した東向きの窓からはるか眼下に臨めるものは、昨日までと何ら変わらず蒼々と広がる樹海のみ。
 本棚に背をもたせかけていた、いかつい体躯の男が、ティグレインの背中とヴァルトを交互に見やる。額から後ろに流した黄褐色(シャモワ)の髪、鋭い目。副魔導長カッシュだ。
「結界はともかく、あの兵は何だよ」
 溜息とともに、ティグレインは首を振る。
「有り得ぬ。あれ程の軍勢が魔導師団の情報網を掻(か)い潜(くぐ)って突然ラドウェアに現れるなど不可能。…私に言わせれば、な」
「ありえぬとか言ったって実際いるんじゃねえか」
「そうね。んじゃオレに言わせてみる?」
 モリンの隣を離れ、机の端に腰掛けて、ヴァルトは脚を組んだ。
「最後の定時連絡は昨日の夜。その時点で異状はなかった。となると、一晩であの兵がここに現れたことになる」
「だから、それがどういうことか、って言ってんだろ」
「定時連絡自体がニセモノだったら?」
 魔導師団の間の連絡には、特殊な魔法と暗号が併用される。そのこと自体、知る者は限られている。となればヴァルトの意味するところはひとつ。ヴァルトの方を振り返り、ティグレインは目を鋭く細める。
「魔導師団の、それも上層に裏切り者が出たと…?」
「まさか!」
 カッシュが声を上げた。
 魔導師団を裏切るということは、即ち魔導師団を敵に回すということだ。そして―――必ずしもそうと断言できる者はいないが―――ヴァルトを敵に回すということだ。はぐれ魔導師ならともかく、魔導師団の中でヴァルトの強さを知らぬ者はない。レキアが風界の者と手を組み召喚した巨大な精霊獣を、一人で撃沈させた件は、既にして伝説にすらなろうとしている。
 だがそのヴァルトの発言だ、考えなしではないだろう。
「そいつが今裏切ったとは限らない。例えば過去に死んだと思われていた人間が生きていたとかね。魔導師団だったとも限らない。そいつがずーっとラドウェアに住んでいて魔導師団について研究していたとか」
「漏れてるんなら、とっくにそこらじゅうに知れ渡ってるだろうがよ」
「や、他に流しちゃったら意味がない。ヤツにとって取っておきの切り札だ。それを使う時が今だった、ってわけ」
 目を閉じて聞いていたティグレインが、おもむろに瞼を開ける。
「心当たりが?」
「まーね」
 にっこりとしか表現の仕様がない笑みでヴァルトは応じる。あまりにこの場にそぐわない表情だ。少なくとも、モリンが我に返るまでには数秒を要した。
「…って…、そんな、の、のんびりしててもいいんですか!?」
「んーーーーーー」
 腕を組んだまま、ヴァルトは上体を後ろに傾ける。
「この結界ね、オレの力じゃ破れないんだわ、タブン」
「えっ…」
 ヴァルトの口から『不可能』が出る事があろうとは、想像だにしなかった。モリンは目をぱちくりさせる。淡々とヴァルトは続けた。
「知り合いに結界マニアがいてさぁ。どーもそいつの仕業っつーか他にないっつーか。ティグならこの結界知ってんじゃない?」
「結界魔法には詳しくはない」
「あら。センセに教えてもらわなかった?」
「師から手解きを受けたのは特殊言語魔法のみだ」
 ヒュウ、とヴァルトは口笛を鳴らす。ティグレインが得意とする魔術は大きく三種。特殊言語魔法の他に、魔術付与(エンチャント)系魔法と精神感化系魔法がある。手ほどきを受けたのが特殊言語魔法だけというならば、残る二つは独学で究めたということに他ならない。
「ま、とにかく、これでラドウェアは陸の孤島。じゃあ残る二城はどうでしょう」
「二城?」
 カッシュが眉を寄せる。なぜここで、エアヴァシーとリタの話が出てくるのか。ヴァルトは片目をつぶる。
「だって二城がある限り、援軍が来る可能性があるわけっしょ」
「そりゃ、そうだけどよ…」
 答えを求めるようにカッシュはティグレインに目線を送る。ティグレインはヴァルトの答えを待っている様子だ。
 そして、ヴァルトの口から出たのは衝撃的な一言だった。
「多分、二城は陥(お)ちた」
「陥ちた!?」
「不可能だ」
 ティグレインが即答する。それも想定内か、ヴァルトは笑みを崩さない。
「できる。オレかちょい下ぐらいの魔導師と、五千ばかし兵あればね。そしてあの兵いくらいるよ?」
 沈黙が降りた。しばしして、モリンが恐る恐る尋ねる。
「ヴァ、ヴァルト様と並ぶほどの魔導師が…、こ、この世にいるんですか?」
 ティグレインが問いを受ける。
「少なくとも、斯様(かよう)に巨大な結界を作る魔導師が存在する事だけは確かだ」
 再び沈黙が部屋を支配した。ティグレインは組んでいた腕をゆっくりと解き、ヴァルトに背を向ける。
「『偉大なる王が輝く星々を墜(お)とし、永(なが)き闇が訪れる。薄暮の女王の娘、深き夜を独り彷徨(さまよ)う』…か」
「何よそれ。巫女の預言?」
「先代のな。今この時がまさにそうなのかは判らぬが、少なくとも、『薄暮の女王』が先代女王を指している事は、他の預言からも明らかだ」
 モリンが反芻(はんすう)する。
「ユハリーエ様が、薄暮の女王…」
「初代『暁の女王』シャリュアーネに対して『薄暮の女王』ユハリーエ、ね。イヤーな預言ですこと」
 ラドウェアの歴史が幕を閉じようとしていることを示唆するかのような預言だった。三度目の沈黙が部屋に降りる。
「これは、なるしかないね」
 唐突かつ不明瞭なヴァルトの物言いに、その場の全員が顔に疑問符を浮かべる。
「なる…とは?」
 ティグレインの問いに、ヴァルトは不敵に笑った。
「巫女の預言を覆(くつがえ)す第一号にね」
 息を呑むカッシュとモリン。しかしティグレインは一人、目を閉ざした。なぜなら彼は預言の最後の一文を覚えている。否、忘れようはずもない。
『偉大なる王が輝く星々を落とし、永き闇が訪れる。薄暮の女王の娘、深き夜を独り彷徨う。―――その夜の名は、ラドウェアの滅亡』


◇  ◆  ◇


 空間の裂ける音がした。それをいち早く聞きつけ、男は草を踏み分けて森から出た。
 年は四十から五十であろうか。いかつい顔に無精ひげを生やしている。灰色の魔導衣(ローブ)と緋色の外套(マント)が、男が魔導師であることをうかがわせた。
「エンガルフ!」
 野太い声でそう呼ばれたのは、今しも闇の空間を広げてそこから半身を現した、亜麻色(エクルベージュ)の髪の男だった。エアヴァシーを襲撃し、副近衛長ロンバルドを殺した男だ。魔導師に一瞥をくれ、男は血の似合う笑みを浮かべる。彼の足が地に着くと、その周囲の不安定な闇は消え去った。
「遅いではないか。何日経ったと思っておる!」
 ずかずかと歩み寄りながら魔導師は糾弾する。対して亜麻色の髪の男は、微風が吹いたようにも感じない様子で、傍(かたわら)の木を見上げ、その木肌をなでた。
「なかなかてこずらせてくれてな、リタの《騎士》殿が。お礼に我が家へ招待したところだ」
「遊んでおる場合か! わしが何のために二城を…」
「何を焦っている」
 琥珀色(アンバー)の片目を魔導師に向け、エンガルフは木から離れる。
「貴様の方ではないか、時間が必要なのは。魔力の回復を待たずに事を構えるつもりか?」
 魔導師は黙した。エンガルフは軽く顎を上げる。
「そう急(せ)いてできる事ではあるまい、龍の血の女王を無傷で手に入れようなど。…そうであろう? ヴェスタルよ。クックック…」
 指先でゆっくりと自らの唇をなぞる。優美とさえ言えよう仕草だ。魔導師ヴェスタルは低いうなり声を漏らしたが、気を取り直したように胸を張った。
「ふん、まあよい。リタは陥ちたのだな?」
「当然」
「ではエアヴァシーはどうなのだ」
「エアヴァシー?」
 一瞬何を訊かれたか測りかねた顔で肩越しに振り返り、次いで思い出したようにエンガルフは薄く笑った。
「ククッ。そんなものはとうの昔に―――」

◇  ◆  ◇


 そこは既に廃墟と言えた。無残に崩れた壁、折れた柱、割れた床。かつてのそびえたつ大城砦を思い起こすことは、もはや不可能だった。
 その静寂の中に一人、シャンクは立っていた。吹きぬける風が、長い金髪をなびかせる。
 動くものは何もない。だがそれは、奇妙な静けさだった。
 戦いの形跡はあれど、死体がない。そこかしこに血の跡があるからには、すぐに城を明け渡したというわけでもないだろう。何者かが死体を全て運び去ったか。それもありえない。
「死体が、ない……」
 シャンクは呟いた。彼の中で、いくつかの状況が結びつき、ひとつの可能性を編み上げようとしていた。
 かすかな音に、素早く振り向く。鳩だ。ラドウェアからの知らせを足に結びつけた伝書鳩が、この城にあるはずだった自分の巣箱を探していた。シャンクはそっと近づいて鳩を両手に包み込むと、文(ふみ)を外した。鳩の体温と早い鼓動を手に感じながら、ここで生きているものはこの鳩と自分だけであることを確信せずにはいられなかった。


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