Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"約束"
〜Promise ( I )〜

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 日はすでに中天高く昇っている。
 謎の兵士たちは、今や西側の崖を除いて、ラドウェア城をぐるりと遠巻きに囲んでいた。だが、それきり動きを見せていない。
 城門(ゲートハウス)の司令室の机の上に手を組んで、近衛長コウは呟いた。
「動きなし、か…。かえって不気味だな」
 同じ机に左手をついた姿勢で、シークェインはむっつりとしている。
「結局どっから来たんだ、あれは」
「今、魔導師団が調べてくれてる。それにしても、お前がラドウェアにいてくれて助かったよ、シーク」
「おまえが閉じ込めたくせによく言う」
 昨年の秋、無断で巫女レリィをラドウェアから連れ出した罰として、シークェインはコウにより謹慎を命じられていた。ラドウェアに軟禁されていた、と言ってもいい。
「おれがいないエアヴァシーはどうなんだ。むこうは無事なのか?」
 苛立ちを募らせる様子のシークェインに、コウはあくまで無表情で応じた。
「……さあ……」
 居並ぶ兵士たちの中に、エアヴァシーの鎧を着た者の姿を確認した、という。シャンクの報告だ。
 だがエアヴァシーが女王に刃を向けるはずなどない。かの城はラドウェア三城の一つ、その上はるか昔には女王の居城であった。守備隊長シークェインこそ今このラドウェアにいるが、代わりに副近衛長ロンバルドを送り込んである。コウ自身何度もエアヴァシーに行っているが、いかなる理由があれどもラドウェアに反旗をひるがえすなど考えられない。
『はっきりするまで、シークには黙っておいて。お願い』
 嘘は下手だと自覚しているが、ディアーナに刺された釘は、シークェイン当人を目の前にしても揺らぐことはなかった。
「無事だといいが。ディアーナ様が伝書鳩を出されたそうじゃないか。二日もあれば返事が来るよ」
「ハトじゃあてにならん。シャンクいるか」
 何の事かとコウは片眉を寄せたが、シークェインの求めるところに気づいて渋面になる。
「どうしてお前はそう、人の懐刀を遠慮なく借りようとするかな」
「減るもんじゃないだろ」
「壊れるよ…」
 コウは椅子に背を預け、ひとつ溜息をついた。
「シャンクに探らせようっていうなら、今は無理だよ。怪我してるんだ」
「ケガ?」
 怪訝な顔をするシークェイン。
「あいつが?」
「ああ。使者にと思って出したら、近づくなり射掛けられてな」
「当たったのか」
「よくかわした方だよ。向こうは隊列を組んでるようでもなかったんだが、見事な一斉射撃だった」
 隊長格から一般兵まで、ただ雑然と並んでいる。これもシャンクからの報告だ。
 シークェインは窓の外を見やる。もっとも、司令室の窓から見えるのは城壁の内側、ラドウェアの市街とその奥にそびえる本丸(キープ)だけだ。
「……煮え切らんやつらだな。なんなんだ一体」
「そうだな…。攻撃はしてこない、交渉の意思も見せないとなると、正直、向こうが何をしたいのかわからんよ…」
 コウは口に手を当てる。思案する時の癖だ。
「指示待ちか、時間稼ぎか、こちらの焦りを狙っているのか…」
「…くそっ」
 シークェインは舌打ちする。
「動きもしないやつらに、これ以上つきあってられるか」
 頭をかきむしりながら、彼は部屋を出て行った。敵の目的が「こちらの焦りを狙っている」のだとすれば、少なくともシークェインに関しては成功していると言えるだろう。
 広い歩幅の足音と、それに伴う鎧の金属音が遠ざかっていく。コウは再び机に肘をつき、しわを寄せた眉間を指でなでながら独りごちた。
「動きなし、か…」
 充分に時間を置いてから、コウは背後に呼びかける。
「行ったよ」
「すいません、コウさん…」
 カーテンの陰から、長い金髪の青年が滑り出る。榛色(ヘイゼル)の目、やや釣り上がった目じり。シャンクだ。
 彼の方には顔を向けぬまま、コウは苦笑した。
「まったく。そんなに苦手か」
「だって、今とっ捕まったら何されるかわかりませんよ」
 ゆるく波打つ髪を整える手を止め、シークェインの出て行った扉を眺めやる。
「相当…焦ってましたし」
「そうだな。無理もない」
 シークェインにしてみれば、エアヴァシーは自分の城だ。何が起きているか分からない、誰に聞いても分からないでは、焦りもするというものだ。だが、不十分な情報と憶測の飛び交う中、今彼にしてやれることはない。それがコウの判断だ。
「シャンク、傷は?」
「かすり傷って言ったじゃないですか。近づいただけで射って来たのには参りましたけど」
「…すまん。本当に悪かった」
「やだなあ、コウさん。さっき散々謝ったのに、まだ謝るんですか」
「いくら謝っても俺は謝り足りんよ…」
 やるせなげな溜息をつくコウの正面に回り、シャンクはいたずらっ子めいた目配せをした。
「前近衛長の息子だから、ですか?」
 コウは一瞬言葉に窮したようだった。それから、斜め下に視線を落とす。
「…そんなんじゃないよ」
「あはは。すみません、意地悪言いましたね」
 浮かべた笑みを、シャンクはすぐに引っ込めた。そうなればもはや諜報員の顔だ。
「でも、おかしいですよね。動きがない以前に、士気とか活気とかがゼロじゃないですか。まるで彫像の大群ですよ」
「彫像の大群、か…」
 まさにそうだ。数万もの兵が、半日の間、休息もなくただただ立っている。この強い日差しの中、天幕を張ろうという気配もない。シャンクが今度は横からコウの顔をうかがった。
「魔法で操られている…とか?」
「いや、あの数は無理だよ」
 ラドウェア近衛長として、また前魔導長アリエンの夫として、コウには多少なりとも魔術に関する知識がある。一人の魔導師が操ることのできる人間は数人が精々だ。対象に魔導具を取りつけて操るという手もないではないが、数万の兵一人一人にそれを取りつけることができるとは思えない。ましてエアヴァシーの兵が、無抵抗にそれを受け入れることなどありえない。
 目に見える物がおかしいならば、物ではなく目を疑うこともできる。エアヴァシーの兵士が敵の中にいたのではなく、それを知らせた者に問題がある、という考え方だ。だが『目』はシャンクだ。長年有能な片腕としてコウに仕え、常に正確な情報を手に入れてきた彼が、この今コウやラドウェアを謀(たばか)ろうとしているとは、少なくともコウには思えなかった。
 沈黙の中、二人の間の空間が揺らいだ。影が現れたと思いきや、それは一瞬で人に変じる。金の装飾と肌を除けば、頭からつま先まで黒一色。
「はぁーい、コウちゃん。あんどシャ〜ンク。お元気?」
 後の世に漆黒の魔導師と詠われる、魔導師ヴァルトだ。
「元気じゃあないが…何かわかったのか?」
「や、エアヴァシーに使い魔出そうと思ったんだけど」
 使い魔とは、術師と特殊な契約を交わした動物あるいは魔物を指す。主に術師の目となり耳となり、遠く離れた土地や術師の手の届かぬ場所の偵察に使われる。中には術師の手足となるものもある。ティグレインがかつての魔導長シェードから譲り受けた、巨鳥レイベンがそのひとつだ。
 ヴァルトが使い魔を持っていることはあまり広くは知られていないが、時たまアリエンのもとに送られてくる、赤い羽根の混じった黒い鳥をコウは知っている。
「それがさぁ、飛ばした途端にさぁ、―――墜(お)とされた」
 柄にないヴァルトの真顔に、コウとシャンクは硬直した。自分の振りまいた衝撃を露ほどにも気にせぬ様子で、ヴァルトは続ける。
「なーんかやることなすことマークされてんだわ。ま、そゆワケで、エアヴァシーもリタも連絡手段なし!」
「普通に魔法で連絡取れないんですか?」
「んーまぁ、百聞は一見にしかず?」
 ヴァルトは親指で、外に出ろと合図した。何をする気か。コウとシャンクは一度顔を見合わせ、解らないながらもうなずき合って、司令室を出る。扉の両脇に立っていた近衛が、コウとシャンクに続いて、入ったはずのないヴァルトが出てきたことに仰天するが、それを気にとめるでもなくヴァルトは階上へ向かう。
 城門(ゲートハウス)の屋上に出た。強い日差しにコウは目を細める。雲ひとつない青空とはこのことだ。ヴァルトは二人の方をちらりと振り向くと、胸壁の手前に立つ。森を、そしてその手前に展開する数万の兵を、一望できる位置だ。
 不意に、ヴァルトは宙に紋を描いた。その手の先で、異音を立てて光の球が膨れ上がる。止める姿勢に入ったコウとシャンクの前で、それは放たれたと思いきや、見えない壁に打ち当たって四散した。
「……、何ですか今の…?」
「城壁の魔法防御結界…じゃないな」
「うん。ソレに沿って張られた魔法遮断結界・超特大スペシャル家政婦もびっくり。あらゆる魔法通じませんって感じ。これはもう、やられたーとしか言えないね」
 苦々しげなのか淡々としているのか、はたまた彼らしい不敵な笑みを浮かべているのか、コウの位置からヴァルトの表情は窺えない。
 魔法防御結界を施された城壁は、ラドウェア城に特有のものだ。ラドウェア三城として並び称されるエアヴァシーとリタにはない。建国時の魔導師である《黒耀の魔導師》ルニアスが施したと言われているが、なぜ他の二城に施されなかったのかは謎のままだ。
 ラドウェアの魔法防御結界は、内からはあらゆる魔法を通し、外からは完全に防御する、非常に特殊なものだ。例外として、魔導師団の使う通信の魔法のみ、双方向から通すことができる。
 対してヴァルトが述べた魔法遮断結界は、内外問わずいかなる魔法も通さない。魔導師団支部からの連絡が届かなかったのはこのためだ。
「いつ張られたんだ」
「わかんないねぇ。ただ、」
 目に見えぬ結界をなぞるように、ヴァルトはぐるりとあたりを見回した。
「こーゆー系の結界の知識は亜人にはないね。さっきの使い魔のコトもそう。やるとしたら人間の魔導師だ。ま、とりあえず、これだけの結界を作る魔導師が近くにいるってコトで」
「わかった。しばらく守りに徹するよ」
 ヴァルトはコウを振り返った。その顔には微笑とも苦笑ともつかないものが浮かんでいる。
「コウちゃんは気ぃつけてもシークはどうかなー。だーいぶカリカリしてたもん」
「お前から釘刺しておいてくれないか」
「へいへい。んじゃま、そーゆーワケで。健闘を祈る!」
 茶目っ気たっぷりに片手を挙げて、ヴァルトは現れた時と同様、唐突にその場から姿を消した。
「はは。健闘か……まいったな」
 独りごちるコウの横で、シャンクの榛色(ヘイゼル)の瞳が真摯にきらめいた。コウに向き直る。
「コウさん、やっぱり私、エアヴァシーの様子見てきます。八日ください。許可もらえます?」
 コウは驚いた様子でシャンクを見た。しばし見詰め合って、ゆっくりと目を逸らし、シャンクに背を向ける。
「生きて帰ってくるって約束できるなら、かな」
 聞くなり、シャンクはにっこり笑った。
「ありがとうございます。魔導師の塔で浮遊の指輪もらってきますね」
 浮遊の指輪の力を借りて崖を下り、樹海を抜けようという寸法だ。途中にアジスという偏屈な男の住む馬小屋がある。シャンクとは顔見知りで、今までにも何度か馬を借りているというから、今回もそうするつもりだろう。
 足音が階下に消えても、コウは壁を向いたまま動かなかった。
「ローウェル…」
 呟いた名前は、先代の近衛長。ベルカトールとの戦いで命を落とした、シャンクの父親だ。
『俺が死んだら、息子はお前の世話になる手はずになってる。あー、そんな顔してもダメだぞ、もうグラシル殿に頼んであるからな』
「…止めてやるべきなのにな。ひどい保護者だよ、俺は…」
 どこか自嘲にも似た苦悩が、コウの顔に浮かんだ。見上げた空を、初夏の風が吹き渡っていく。

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