Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"守られた約束"
〜the Promise is Kept〜

<<前へ   次へ >>

 互いに動きのないままに、城は包囲七日目の夜を迎えていた。
 ラギ・エシュトンは、今年の春に近衛に任命されたばかりの二十二歳だ。
 古くはラドウェア女王の居城といえばエアヴァシーであったが、それがラドウェア城に移って以降は、ラドウェア城固有の兵士を大ざっぱに「近衛」と呼ぶ習慣がある。実際に常に女王の側にある者は、その中のほんの一握りでしかない。
 それでもなお、近衛が誉れ高い地位であることに変わりはない。近衛長が自ら選出し、女王が承認する。近衛長と女王、この二人から認められて初めてその地位に就くことが許されるのだ。そしてラギは、若くしてその栄誉を授かった、現在最年少の近衛だ。
 ラギは西門の歩哨に立っていた。夜の帳(とばり)が下りた森に、明かりは今日も一切ない。考えてみれば不気味だった。明かりがないということは、敵は野営もせずにこの七日間を過ごしているということだ。
 年不相応にしかめたラギの顔の上を、何かがかすめた。とっさに身構える。
 ちらり、ちらり、と彼の周囲をちらつくものは、光。どうやら森の中からだ。近衛長に知らせに走ろうとしたところで、ひとつの可能性がひらめいた。
 誰かが、森の中から、味方に何かを知らせようとしているのではないか。魔導具の中には直線的に光を放つものがあり、魔導師団の間でごく簡単な連絡に使われると聞く。
 となれば、心当たりはひとつ。
「…シャンクさん…」
 帰ってきたのだ。ラギの顔がほころんだ。
「誰か、はしごを! シャンクさんが戻って来てる!」


◇  ◆  ◇


 果たせるかな、シャンクは森の奥、包囲の外で息を潜めていた。直光の魔導具を懐にしまい込む。
 これ以上近づけば、石弓を持つ兵士たちが撃ってくる可能性がある。さらに近づけば肉弾戦だ。だが、それを抜けなければ、城に戻ることはかなわない。
 浮遊の指輪は、往路で既に務めを終えてしまった。元より魔導具は、魔力のない人間に合わせて作られてはいない。魔導師であれば、微量な魔力を送り続けて魔導具の効果を維持することができる。だが魔力を持たぬ者が使えば、魔導具は蓄積された魔力をあっという間に使い果たし、役立たずのがらくたになってしまう。
 城壁の上から縄ばしごが下りた。それを合図に、シャンクは地面を蹴る。矢の攻撃から身を守るように、木の陰から陰へと移動する。だが予想に反して攻撃はなかった。無言の兵士達は、城のほうを向いたまま身動きひとつしない。
 理由を考える必要は、今はない。まもなく接近戦の距離だ。この肉と鉄の壁を切り開くには、力攻めでは無理だろう。シャンクはあえて剣を抜かず、並び立つ兵士の合間に飛び込んだ。
 途端、周囲で剣を抜く音がした。ためらわずシャンクは前へ飛ぶ。地面に手をつき、一回転して次の足運びにつなげる。背後で次々に抜剣の気配。シャンクはそれらを一切相手にせず、人並みはずれた身軽さでひらりひらりと身を躍らせながら、時に兵士らの足元に滑り込み、時に槍の攻撃をくぐり抜け、城を目指して進んでいく。
 視界が開けた。包囲網を突破したのだ。
 後ろから、鎧の音が迫ってくる。わき目も振らずシャンクは疾駆する。あと十歩、五歩、三歩。縄ばしごに手がかかった。豹のようにしなやかな動きで上っていく。
「シャンク!」
 聞き覚えのある声が降って来た。知らせを聞いて駆けつけたのだろう、コウだ。
「コウさ…」
 衝撃が、シャンクの笑みと言葉を止めた。右肩に激痛。
 ずり落ちかけるシャンクの左手を、コウが半身乗り出してつかんだ。
「上がれ! 早く!!」
 引き上げられ、張壁を乗り越えて、シャンクはコウともつれ合って倒れ込むように膝をついた。
 松明(たいまつ)を持った味方が集まってくる。揺らめく光と影に囲まれて、シャンクは荒い呼吸を繰り返していた。右肩の激痛の正体は、深く食い込んだ一本の矢だ。シャンクは歯を食いしばって、それを引き抜く。
「大丈夫か?」
 コウが眉を寄せて顔を覗き込む。シャンクは素早く呼吸を整え、いつもと同じ笑みで返した。
「血筋、感じちゃいましたね。本当に矢とは相性悪くて」
「相性とかそういう問題じゃ…」
「でも、約束守ったでしょう?」
「ん?」
 不意を衝かれたふうで、コウは数回まばたきをする。
「生きて帰るっていう約束、守りましたよね?」
 いたずらっ子めいた目が、コウの顔を覗き返す。
 六日前、彼を送り出す際に交わした言葉が思い当たった。口に手を当てて、コウはしばらく考える。
「無傷で戻れ、っていう約束にすればよかったな」
「それはちょっと欲張りすぎですよ……」
 苦笑して立ち上がるシャンク。集まった近衛たちを適当に散らし、肩を並べて本丸(キープ)に向かう二人の顔は、決して晴れ晴れしいものではなかった。


◇  ◆  ◇


「―――そんなばかな話があるか!!」
 シークェインの拳が、木製の戸棚の扉を粉砕した。しん、と部屋が静まり返る。
「エアヴァシーだぞ。難攻不落の。それが……それが陥ちるはずがあるかっ!!」
 猛烈な威圧と憤怒を帯びた凝視を、シャンクは硬い表情で受け止めている。
 松明の明かりに揺られながら、ディアーナは感情を押し殺して耐えるように無言。コウは座ったまま固く目を閉じ、机に肘をついて両手の指先を額に当てている。シュリアストは部屋の隅で、眉間に深くしわを寄せたまま。ひとりヴァルトだけが、この重苦しい部屋とは別の空間にいるかのように涼しい顔だ。
 シャンクがもたらしたのは、大城砦エアヴァシーの陥落の報。ラドウェア三城の一角が崩れた。
 痛めた拳を、シークェインはきつく握り締める。一呼吸すると、人一倍肩幅のある体をひるがえして出口へ向かった。
「シーク。どこへ行く」
 目を閉じたままコウが問いかける。瞳をぎらりと光らせ、シークェインは応じた。
「おれが出る」
「ばッ…」
 シュリアストが素早く反応し、彼の前に立ちふさがった。
「馬鹿を言うな、落ち着け!」
「これが落ち着いていられるか!!」
「魔導師が敵にいると聞いただろう! 策もなしに出て兵を無駄死にさせる気か!」
「知るか! おれ一人で行く!」
「なッ…、よせ! 死ぬぞ!」
「死なん、おれはっ!」
「……、阿呆ッ!!」
 兄弟の応酬の合間に、くすくすと笑い声が入った。ヴァルトだ。
「シィ〜ク。お前の堪(こら)え性ないトコはわかってんだけどさぁ」
 のびをして、頭の後ろで腕を組む。
「お前、そんなもんなの?」
 その一言は、シークェインの動きを見事に止めた。それが戸惑いであるにせよ怒りであるにせよ、彼の内にあった激昂(げっこう)が別のものにすり替わったのは確かだ。
 姿勢を変えぬままのコウが呼びかける。
「シーク。俺もシュリアストも近衛だから、お前ほどエアヴァシーに長居したことはない。だからお前の気持ちの半分もわかってないんだろう。すまないと思ってる」
 薄く目を開ける。
「ただ、ラドウェアの近衛長として、ラドウェアとディアーナ様を守るために俺が今出せる命令は、」
 そこでコウはしかと目を見開き、真っ直ぐな視線でシークェインを捉えた。
「出るな。今は、抑えろ」
 シークェインはしばらくコウと目を合わせていたが、ディアーナの方を見やり、眉を寄せて瞼を閉ざした。強く息を吐く。
「…わかった」
「すまない」
 シークェインはコウに一瞥をくれると、部屋の隅の丸椅子にどっかと腰掛けた。
 沈黙に空気が硬直していくその前に、ヴァルトが口を開く。
「前に塔(むこう)で話してたんだけど、陥とせなくはないんだよね、エアヴァシーもリタも。オレぐらいの魔導師なら」
 全員の視線が一斉にヴァルトに集中する。それを気にとめた様子もなく、ヴァルトは一人うなずく。
「うん。ラドウェアが一番難しいぐらいだわ」
「エアヴァシーがラドウェアより簡単に陥ちるとは思えないが…」
 コウの感想に、ヴァルトは片目をつぶる。
「エアヴァシーって大昔に実際一回陥ちてるっしょ。まだ女王の居城だった時代に。あれどうやって陥ちた?」
「ああ…、ネスタリとの戦中にカルカデアの大地震があって、壁に亀裂が…」
「そう、それ」
 得たり、と指差す。
「起こせるよ、地震。オレならね」
 はっと息を飲む音がした。誰もが、声の行き場を失っていた。
「……リタは、」
 血の気の失せたディアーナの唇は、かろうじてそれだけを発した。それを見たシュリアストが、きつい口調でヴァルトに詰め寄る。
「リタは水城(みずき)だ、壁に少々の傷が入っても持ちこたえるだろう!」
「そう、水城ね」
 リタ、古くの呼び名で言えばリティシアル。それは大河ダラガンテアを一部せき止めて作った、湖上の城だ。
「地震よりもっといい方法がある。パリッと凍らすのよ、湖を。普通の城より陥ちやすくなる」
 ヴァルトの言葉は痛いほどの沈黙を呼んだ。その沈黙を、またもヴァルト本人が破る。
「逆を言えば、エアヴァシーとリタを陥とすだけの魔力を使い果たした今が狙い目かもよ」
 落ちかけていた全員の眼差しが、再びヴァルトに吸い寄せられた。
「人間の魔力は無尽蔵じゃない。どんな魔導師だろうと、ぶっ続けで使える力には限界があるし回復も要る。つまり敵の魔導師の力は今ほとんどカラッポ、軍勢が動きを見せないのは回復待ち……って可能性」
 反応を待たず、ヴァルトはひょいと立ち上がった。
「じゃ、ちょっとシャンク借りてくから。あとは塔(むこう)で」
「え?」
 シャンクの背に回り、両手で押しながらヴァルトは出口へ向かわせる。残されようとした四人はそれぞれに口を開いたが、ヴァルトは無情に扉を閉めた。


<<前へ   次へ >>
▽ NARRATIVEインデックスへ戻る ▽