Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"やり場なき怒り"
〜a Rage〜

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 城門(ゲートハウス)から守りの塔にかけて外城壁を見回り、味方同士の悲壮な戦いの様子を実際に目にして、近衛長コウは言い知れぬ胸苦しさを覚えずにはいられなかった。無我夢中で戦っている兵士たちとは違い、空間的にも立場的にも離れた位置からだからこそ、なおさらこの戦いの痛ましさが鮮明に見えてくる。だが嘆いて何となるものでもない。そろそろ司令室に戻る頃合いだ。
 例年より多少涼しいとはいえ夏だ。その炎天下に比べて、塔の中はひんやりとしている。顎紐(あごひも)を外して兜を脱ぎ、暑さと息苦しさからの解放感から、コウは軽く息をついた。
 後ろから、鎧の足音が近づいてきた。振り返る。と同時に相手は彼の名を呼んだ。
「コウ」
「シー―――」
 突然、体を壁に叩きつけられた。手を離れて床に落ちた兜が高い音を立てる。気がついた時には、シークェインの拳が、コウの耳元の壁にめり込まんばかりに打ち込まれていた。血の気の引いた顔でコウは問いかける。
「どう…」
「だまれ。だまっておれに殴られろ」
 虎狼(ころう)をすらすくませる凄みだ。見開かれた両の目には爛々と青い炎が燃えていた。
「エアヴァシーが落ちたのは、おれがいなかったせいじゃないのか!? おまえがおれをラドウェアに閉じ込めなければ、エアヴァシーは助かったんじゃないのか!? 言ってみろ!!」
 まくしたてられて、コウはたじろいだ。エアヴァシーの陥落、そして死者たちの反逆。ディアーナに口止めされていたとはいえ、いつかシークェインに知れるとはわかっていたことだった。
 コウは静かに瞼を閉じた。
「……わかった。殴れ」
 沈黙が流れた。シークェインの、安らかとは言えない呼吸の音が聞こえる。
 一度口を引き結んだシークェインは、噛みしめた歯の間から強く息を吐き、手をおろした。
「だめだ。おまえを殴っても、エアヴァシーは戻らない」
 それに彼自身、声に出した瞬間に理解していた。自分一人がエアヴァシーにいたところで、この惨劇を防ぐことなどできなかっただろう。
「でもな。おれはおまえを許さない。おぼえてろ」
 言い捨てて、彼は乱暴に鎧を揺らしながら、北門へと続く城壁へと大股で去って行った。
「……ああ」
 コウは呟く。
 ―――それでも、お前にはここにいてもらう必要があったんだ。レリィとディアーナ様の身を守るために、お前の身を守る必要が。
 《霊界の長子》が、レリィを狙っている。そのためにシークェインを人質に取りに来るだろう。ヴァルトの言葉の示すものはコウにとって漠然としてはいたが、そこに間違いがあるという可能性を見出すことはできなかった。
 いまひとつ、ディアーナが十五になろうという時の巫女の預言。それはかの異国の兄弟のどちらかが、女王の『最後の盾』になると言った。
 ―――たとえエアヴァシーを見捨てる結果になるとわかっていても、俺は二人を守るためにこの道を選んだだろうか。
 のろのろと身をかがめて、床に転がった兜を拾い上げる。
 ラドウェア女王、あるいはラドウェアただ一人の巫女の命と、エアヴァシーの四万の命。天秤にかけることすら、理にかなっているかどうか怪しい。ただ、幸いとでも言うべきでもあるまいが、覆(くつがえ)せないひとつの結論は出ていた。例えエアヴァシーにラドウェア全土の兵士が集っていたとしても、いかなる備えがあったとしても、強力な魔導師の起こす地震と死者の大軍を前にして、大城砦は陥ちただろう。
 だがその現実を押しつけて、仕方なかったのだと言い張るだけの厚顔さは、彼の持ち合わせるところではなかった。
 できることは何もない。二年に渡りエアヴァシーを守ってきた、そこで多くのものを培(つちか)ってきたシークェインの、今の心中を推し量るすべもない。
「…すまない、シーク」
 他に言葉はなかった。


◇  ◆  ◇


「うわあああああっ!!」
 叫びながら、オリエス・フラッドリーは両手で頭をかばう事しかできなかった。つい先刻まで隣で戦っていたリック・ガルマンスが、敵の矢を運悪く目に受け、彼の方に向きを変えて剣を振りかざしたのだ。
 一撃目は避けた、というよりその場に尻もちをついた形で助かった。だが二撃目は。
 覚悟を決める暇(いとま)さえ与えられずに訪れるはずだった死は、別の者の手によって遠ざけられた。突き出された槍斧が、リックの背中から胸甲を貫いていた。その先端はオリエスの鼻先でぴたりと止まっている。
 シークェインだった。真一文字に引き結んだ唇からは、何の感情もうかがえない。気合とともに槍斧を引き抜く。鮮血が、リックの胸と背から勢いよく噴き出した。間一髪で命を救われたに関わらず、血にまみれて崩れ落ちる友を目の前にしたオリエスの心中は、安堵とは程遠いものだった。
「あっ…、あっ、あ…」
 完全に腰が抜けていた。かろうじて手だけを、友であったものの方へ伸べる。
「リッ…リック…」
 呼ばれた名に反応したかのように、リックが半身を起こした。手が伸び、オリエスの首をつかむ。途端、槍斧がうなりを上げ、リックの肩から上を吹き飛ばした。血が噴水のように噴き上がり、雨のように降り注ぐ。むせかえるばかりの強烈な匂い。深紅が音を立てて甲冑を濡らしていく。
「しっかりしろ! そいつらはもう仲間じゃない! 生き残りたかったら、―――斬れ!!」
 血でまだらになった顔でシークェインを見上げたオリエスは、がくがくと震えるばかりで、口から出るのは「あ」と「う」の中間のような意味を成さないうめきだけだった。混乱から絶望に突き落とされた体(てい)だ。混乱のうちに命を落としていれば、それはまたひとつの救いであったかも知れない。
 再び口を引き結んだシークェインは、それ以上言葉を継ぐことはなかった。レリィの呟きが脳裏をかすめる。
『みんながみんな、あなたほど強いわけじゃないのよ…』
 理解は、できる。だが納得はできなかった。自分とて、天性の資質として強さを与えられたわけではない。全ては、生きて行く中で身に着けたものだ。
 血と脂のこびりついた槍斧を一振りしてきびすを返すと、件(くだん)の呟きの主がいた。シークェインは顎を上げる。
「…いつからいた」
「さっ…き」
「どうかしたか」
「…………」
 レリィはためらい、やがて思い切ったようにシークェインを見上げた。
「シーク、エンガルフが来てる…」
 聞くなりシークェインは槍斧を放り出し、両手でレリィの細い肩をつかんだ。
「どこだ! どこにいる! 叩っ斬ってやる!!」
 剣幕にたじろぎながらも、レリィは懸命に自らの思うところを述べようとする。
「ま…待って、違うの。霊界の者は地上に出てくることはできない…はず…」
 『はず』と言いながら、レリィは目を逸らした。先代女王ユハリーエのいまわの際(きわ)に現れた、マルダズブラグと呼ばれる巨大な化け物。封じられた一対の目の代わりに千の義眼を持つという、あれは霊界の奥深くに棲まう生き物ではなかったか。
「…じゃあなんなんだ、来てるってのは」
 シークェインの問いに、レリィは我に返った。すぐさまその表情に影が差し、紫の瞳には脅えが走る。
「人が死なない…人を死なせない、そんなことができるのは…この死人たちを操ってるのは、たぶん…ううん、こんな……こんなこと、あいつにしかできない…!」
 訴える両の目から涙がぽろぽろとこぼれた。シークェインは一瞬どうしたものかと迷った様子だったが、片手で彼女を抱き寄せる。
「泣くな。おれがぶっ倒してやる」
「だめ、戦わないで。人間のかなう相手じゃない!」
「……」
 シークェインは軽く唇を噛んだ。
「ヴァルトには言ったのか」
 腕の中、レリィは弱々しく首を横に振る。
「じゃあ後で言え。夕方から会議だ」
「…わかっ…た…」
 答えたきり、レリィはどうすればいいのか判らない様子で立ち尽くしている。
「シーク…シーク、」
 まだうるむ目で、すがるように彼を見上げる。
「怖い……」
「―――」
 これほどレリィが感情を表に出すのは珍しい。少し考えて、シークェインは彼女の頬を軽くつまんだ。
「心配するな。おまえはじっとしてればいいんだ、おれの後ろにでも隠れて」
 手を離し、床に落ちた槍斧を拾い上げる。
「そこらへんでケガ人の手当てしてろ。おれから離れるなよ」
「…うん」
 レリィは、こっくりとうなずいた。


◇  ◆  ◇


 細い鎖の鳴る音が、強くなり弱くなり、一定の律動を刻み続ける。
 『地上に出てくることはできないはず』の者は、ラドウェアの深い森の奥から、難攻不落を謳われる城を見上げて舌なめずりをしていた。
「クックックック…。まだ眠らせぬ、亡者どもよ。存分に働いてもらおうか。霊界の魔物の餌(え)となる前に」
 死者たちを誘(いざな)うように、魔剣から伸びる鎖を鳴らしながら、《霊界の長子》は低く笑った。
「ラドウェアが陥ちるまでな。クックック…」


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