Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"交わす言葉は"
〜No Assurance, But...〜

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「陛下、魔導師団の出撃許可を。剣で死体を葬るは至難の業(わざ)、近衛に守備隊だけでは歯が立ちませぬ」
 数秒。改めてティグレインを見下ろすディアーナは、既に女王たる者の顔に変じていた。
「わかりました。魔導師団出撃を許可します」
「ストーップ」
 陽気な声がさえぎった。言わずもがな、ヴァルトだ。
「まだ出さんといて。今出しても同じだわ。その代わり、」
 親指で自分を指す。
「オレにやらせてみ?」
 《漆黒の魔導師》を、ティグレインはいぶかしげに見上げる。
「貴殿、それが最善と?」
「や、面白そーだし」
「……」
 そうだ。この男が理屈に縛られるところなど見たことがない。
「陛下、ご命令を」
 ティグレインに促されて、ディアーナはヴァルトを正面から見つめた。
「ヴァルト。気をつけて」
 それが、彼女の下した命令。
「いえっさ」
 余裕の笑みでヴァルトは応じる。靴音を立てながら、ティグレインは彼の横をすり抜けた。
「借りが増えたな」
「ま、生きてるうちに返してもらうし」
「難しい事を言う」
 足を止め、背中越しに告げる。
「魔法遮断結界が、つい先程消えた」
「うん、あれ発動中ずーっと術者の魔力食うからね。つまり、」
「最早(もはや)エアヴァシーやリタとの連絡を止める必要が無くなった、か」
 返事はないが、それこそが雄弁な肯定だった。転位魔法のかすかな発動音と共に、ヴァルトはその場から姿を消した。ティグレインは塔から城壁に出、休む間もなく突撃してくる敵兵たちを眺め下ろした。微笑とも苦笑ともつかぬ笑みが、薄い唇に浮かぶ。
 『生きてるうち』に借りを返すなど、到底不可能に思われた。否、それを可能にするために、この戦いを生き残らねばならない。
「…難しい事を言う」
 我知らず、同じ呟きを繰り返していた。気づいて、自ら苦笑する。その苦笑を収めた時、ティグレインの顔は、魔導師団を統べる者としての覚悟を固めた者のものだった。


◇  ◆  ◇


 レリィは息を切らしながら走っていた。長いすそが脚にまとわりつく。頭上を矢が飛び交う。城壁を駆け抜ける巫女の姿に、気づいた兵士らが声をかけたが、レリィが足を止めることはなかった。
 ―――どうしよう
 ―――シーク
 触れもせずに死人が動き出すなど。一部の特殊な魔法であれば不可能ではないだろう。だがこれほどの数、断じて魔法ではありえない。
 ―――あいつが
 ―――あいつが来てる
 ティグレインは名を出さなかった。だが恐らく、いや間違いなく気づいている。
 《霊界の長子》、エンガルフ。彼であれば、霊界へのあらゆる入り口をふさぎ、死者の全てを地上に残すことができるだろう。
 照りつける太陽に、レリィはめまいを覚えてよろめいた。息はとうに切れ、大きく口を開けて呼吸しながら、ふらつく脚を気力だけで前に進める。そうまでして自分はどこへ向かっているのか。
 ただ、すがりたい。愛する者にすがりたいのだ。
 ―――助けて……シーク!


◇  ◆  ◇


 守りの塔は阿鼻叫喚だった。死体であるはずのものが、倒れることなく攻撃してくる。頭蓋をつぶされ、腕を失い、それでもなお無言のまま立ち向かってくる。味方に死者が出れば、それもまた立ち上がって襲ってくる。
「気合入れろ! ぼさっとするな、外に突き落とせ!」
 シークェインが声を張り上げる。このままではラドウェア兵たちは、肉体より先に精神がやられてしまうだろう。今のところ恐慌状態になっていないのは、守備隊長シークェインの存在によるところが大きい。だがそれもいつまでもつか。
 北側で、ただならぬ悲鳴と戸惑いの声が上がった。
「上がってきたか!」
 シークェイン自身、壁を乗り越えることに成功した敵兵を何度か『処理』してきた。が、今回は少々勝手が違った。
 通路の中央で二人を相手に剣を繰り出しているのは、見まがうことなきラドウェア近衛の鎧。面当てのない兜の下には、見覚えのある男の顔。
「―――ロンバルドか!!」
 シークェインに代わってこの半年エアヴァシーを守っていた、ラドウェア副近衛長の変わり果てた姿がそこにあった。
 エアヴァシー陥落は証明された。衝撃を顔に出すことなく、否、衝撃ゆえの無表情で、シークェインは腰から槌矛を抜いた。金属の鎧は斬るより叩き潰す方がたやすい。
彼は低い声で呟く。
「別におまえにうらみはないが、エアヴァシーを守れなかったことは、おれが許さん。わかれよ」
 そして、二人をとりまく兵士たちに向かって発破をかける。
「やるぞ! 隙があったら斬り込め!」
 そう言われたところで、守備隊長と副近衛長の戦いに斬り込む隙などあるとも思えない。兵士たちは武器を構えたまま、固唾を飲んで見守っている。
 初撃はシークェインが与えた。胴に槌矛の強烈な一撃を受け、ロンバルドは胸壁に叩きつけられる。打たれた部分の鎧はひしゃげ、勢いのないどす黒い血がどろりと噴き出す。普通の人間であれば、この一撃で終わりだ。だがロンバルドは体勢を立て直し、剣をかざしてシークェインに迫った。シークェインは槌矛の柄で受け、打ち払う。
 ロンバルドとは模擬戦で手合わせしたことがある。技と力のバランスの取れた、模範的な戦いをする男だ。だが今は格段に力が増していた。一度死した者が己の潜在的な力を遺憾なく発揮することは、魔導師ならぬシークェインの知識にはない。だが今、身をもって彼はそれを知った。それでいて技の巧みさにはいささかの衰えもないことも。
「くそっ」
 最初の一撃以外は全て剣で受けられ、そのたびに押し返される。剣を折ろうと槌矛を叩きつけても、退き流してかわされる。
 このままでは埒(らち)が明かない。シークェインは叫んだ。
「だれか、おれの…!」
 最後まで言わせず、長柄の武器が彼に向かって飛んできた。シークェインは左手でしっかと受け止める。槍斧だ。鎚鉾を放り投げてそれを両手に構えると、シークェインは大きく振り上げ、ロンバルドの脳天めがけて勢いよく振り下ろした。兜は真っ二つに割れ、その下の頭、首、胴体の半ばまで断ち斬られる。鎧の音を立てて倒れたロンバルドの体から、腐りかけた血がどろどろと一面に流れた。周囲のラドウェア兵から、安堵と怯えの入り混じった息が漏れる。
「まだだ! 腕をやれ!」
 そうするまで安心はできない。いまだめくらめっぽうに剣を振り回すロンバルドの右腕を、シークェインは足で踏みつけると、再び槍斧を振り下ろした。実質的なとどめだ。
 それが終わると、シークェインは槍斧が飛んできた方向に目をやった。
「投げるやつがあるか、あほう!」
 あほう呼ばわりされた彼の弟は、聞こえなかったとでも言うようにそっぽを向いた。
「…まあいいか。気がきくな」
 シュリアストに背を向けると、シークェインは兵たちを奮い立たせた。
「やるぞ! 一人残らず霊界に送り返してやれ!」
 応じる鬨(とき)の声。次の目標を探してシークェインは槍斧を構え直す。ほどなく、今度は塔の反対側から声が上がった。すぐさま駆けつける。
 そこで遠巻きに囲まれているのは一目で女と判った。守備隊の鎧。兜はない。癖のある黒い髪。シークェインには、見覚え以上のものがあった。
「……オーデュア?」
 声に反応したか、女は一足飛びにシークェインに斬りかかった。反射的に槍斧の柄で受け止める。死者として通常以上の力を得たにしても、所詮は女だ。切り伏せるのは難しくはないだろう。―――それが彼のかつての恋人でさえなければ。
「ばかやろう、なんで死んだ!!」
 剣を押し返し、距離を取る。そうしたところで、どうしていいか判らなかった。いや、判っている。判ってはいる。だが。
 エアヴァシーの数少ない女剣士。彼の、シークェインの片腕だった。そして一時は愛を交わした仲でもあった。
「オーデュア!」
 呼べども応(こた)えは斬撃の嵐。顔ばかりが安らかに瞼を閉じている。懐に潜り込まれぬよう牽制しながらも、シークェインは前に踏み出せない。それが理性なのか本能なのか、もはや判断はつかなかった。この状況を抜け出す方法を探る余裕は、ない。
 槍斧を強く弾かれ、シークェインの左手が離れる。体勢を崩した彼を斬り下ろさんとするオーデュアの剣を、とっさに手甲で防ぐ。
 ヒュ、と風が吹いた。オーデュアの背後に、剣を振りかぶった弟が見えた。
 やめろ―――と言えるはずもなかった。シュリアストの剣は無情にオーデュアを袈裟(けさ)懸けに斬り下ろした。どす黒い血を噴きながら、オーデュアであったものは二つに分かれて崩れ落ちる。その左半身が、シークェインにもたれかかるように倒れてきた。白かった肌を内側から割り裂いたように、粘ついた血と腐臭があふれ出る。その変色した体液が、自らの鎧の上を伝う感触を覚えた、ような気がした。
 彼女の最期を前に、シークェインは声も出なかった。もう何人を斬ったのか、シュリアストの剣は血まみれだ。
「北門へ行ってくれ」
 石像のような硬い表情で、シュリアストは言った。
「向こうが苦戦してる。ここは俺がおさえる」
「…わかった」
 緩慢にオーデュアの半身をどかし、立ち上がる。周囲の兵士たちのざわめきがようやく耳に入る。だが声をかけてくる者はなかった。オーデュアの体液を滴らせながら数歩歩み出して、弟の方を見やる。
「しっかりやれよ」
「わかってる」
「じゃあな」
 弟に背を向けて走り出し、それから再びふと足を止めた。もし、ロンバルドやオーデュアの身に降りかかったことが、弟にも起こったとしたら。
「おい!」
 突然の大声を浴びせられて、シュリアストは振り返った。兄が睨みつけるようにこちらを見ている。やがて、その口がただ一言吐き出した。
「死ぬなよ」
「…ああ」
 さして心を動かされたふうでもなく、弟はそう返して、兵士たちの中に紛れ込んで行った。


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