Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"魔人"
〜the Devilishness〜

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 十を数えても消える気配のない光と音に、恐る恐るモリンは目を開けた。地上の一点を中心に、まばゆい三色の光が絡み合い、白い尾を引いて暴れている。それは、頭を押さえつけられて体を激しくうねらせる、巨大な蛇のようだった。
 その蛇の頭の狙う先に、ヴェスタルがいた。
「ぬおおおおお…!」
 光の蛇とヴェスタルの間に、結界が展開されているのが見えた。
 ―――受け…止めて、いる?
 自分が呼吸を忘れていることに、モリンは気づかなかった。
 ―――あのヴァルト様の魔法を……!
「ふっ。おバカさん」
 ヴァルトの指先が空中を滑る。指の描く軌跡を緑色の光が追う。またたく間に、ひとつの魔導紋が完成した。
「なにっ!?」
「追撃、準備完了(レディ)。もう一度言いますよ」
 ヴァルトは再び唇の端を上げた。
「悪いねヴェスタル。オレの勝ち」
 ヴァルトの手が紋を弾(はじ)いた。飽和状態にあった杯に最後の一滴を落としたのだ。ヴェスタルの対魔障壁は瓦解した。光の雪崩がヴェスタルを押し流し、引き裂き、消し飛ばした。断末魔は轟音にかき消され、誰のもとへも届かなかった。
 光が引いた後には、圧倒的な熱量に焼け焦げた地面から上る白い煙が立ちこめ、城が雲の上にあるかと錯覚させるほどだった。焼けた土の鼻を突く刺激臭に、モリンは我に返る。
「ティ、ティグレイン様!」
 振り向くと、先刻炎の柱が立った場所にうずくまる人影と、それに慎重に桶の水をかけるシュリアストの姿があった。数人の兵士づたいに次々と水桶が運ばれてきては、シュリアストの足元に置かれる。
 あの魔法の中で、それに目を奪われ何もできなかった自分と、その間に水を調達してきたシュリアスト。その差を思い、モリンは立ち尽くした。
「ぼさっとするな! 薬剤師だろう! 治療薬を取りに行け!」
「は、はいっ!」
 シュリアストの剣幕に反射的に背筋を伸ばしたが、モリンは魔導師の塔のあるの方向をとっさに判別しかねた。きょろきょろしていると、不意に目の前の景色がゆらいだ。錯覚かと目をしばたかせる。景色のゆらぎは一瞬で人に変じた。
「あら、水もしたたるいい男」
 ヴァルト得意の転位魔法だ。
「ご無事?」
 全身を水に濡らしたティグレインは、おもむろに体勢を変え、荒い息をしながら城壁に背をもたせかけた。
「……無事とは行かぬが、対火結界が間に合った」
 間に合ったとはいえ、瞬時に展開できる程度の結界は、相手方の魔法の威力を完全に防ぎきるものではない。その顔、腕、無惨に焼けて穴の空いた衣服の下、火傷(やけど)が肌を浸食していた。肩掛けと外套(マント)を外させ、再び壁に背を預ける。
「ヴェスタルは、」
「あんまりしゃべりなさんな。三重紋複合プラス一、威力にして単紋の二十四倍」
 ティグレインは長いこと肩で息をしていたが、やがて瞼を閉ざした。その口から、ただ溜息がひとつ漏れる。
「……いかな者とて生きてはおれまい」
「さあてね。これで終わってくれると万々歳なんだけど」
 もうもうと上がる白い煙。ヴァルトは魔導師の立っていた場所にちらりと目をやる。
 その中に、煙でも人でもない何かが見えた。
 風が吹き、煙が晴れようとする。紐のようなものが、何本も揺らめいていた。そのところどころには鮮やかな緋色の点が、脈打つように明滅している。やがてそれは互いに絡み合い、何かを形作り始めた。
「何だ…?」
 シュリアストの声に、ふらふらと立ち上がったティグレインが、倒れ込むようにして張壁に寄りかかった。シュリアストと同じものを目にし、喘ぐように呟く。
「判らぬ……判らぬが、…人間では、ない……!」
「―――何がうぬの勝ちなものか」
 その声は、地の底から響いてきたかに思われた。ラドウェア兵の動揺が、ざわめきとなって広がっていく。
 紐状のものは束になり、人間の形を取り始めていた。組み上がったところから、継ぎ目が消えていく。やがて最後には完全に、先刻の男の姿が復活していた。腕をひと振りすると、その腕を包む袖から衣服が復元する。ぎろり、とヴェスタルはヴァルトを睨み上げた。
「ああ、そう…。ヴェスタル、人間やめたんだ」
 いつもの陽気さとは調子の違う、呟くようなヴァルトの声。
「ふん。脆弱な人間の器に固執する必要はないからな」
「はかないねぇ、五十年かそこら会わないうちに」
「変化というものは一瞬あれば充分だ」
「あー、ごもっとも」
 前触れもなしに、ヴァルトはひらりと胸壁を越えた。息をのむモリンをよそに、軽く重力を調整して地面に降り立つ。
「で、目的何よ? つってもその体じゃアレ以外になさそうね」
 ヴァルトの指が、優美とさえ言えよう仕草でヴェスタルを指す。
「取り込んだ龍の血が腐り始めたね?」
 ヴァルトを睨んだまま、ヴェスタルは押し黙る。
「…龍の血、だと?」
 シュリアストがいぶかるのも当然のことだ。龍の血を引く者は今この地上にただ一人、ラドウェア女王ディアーナのみ。その血を何者かが手に入れたという記録はない。そもそも、魔術の触媒としての龍の血は最上のものと聞く。それが『腐る』などということがありえるのだろうか。
 だが、ティグレインの口から出たのは肯定だった。
「恐らく事実だ。あの男は昔、先代女王ユハリーエ陛下の胎盤が盗まれたと同時に姿を消している」
 シュリアストはしばし唖然とした。
「ラドウェアに…いたのか!? あの魔導師が!?」
「胎盤に残る血では不完全であったのだろう。だがよもや再びこうして…」
 ティグレインは、彼にしては珍しく台詞を宙に浮かせて口をつぐんだ。
 一方、ヴァルトはすべてを知り尽くしているかのような、余裕の態度でヴェスタルに宣告する。
「無駄だよヴェスタル、お前は死ぬ。潔く諦めなさい」
「ぬかせ! うぬにはわからぬ! 一度得た力をみすみす無に帰(き)すという事が、死ぬという事が人間にとっていかなる事か…!」
「ふっ。ヒトのこと人間じゃないよーな言い方してくれちゃってまぁ」
 肩をすくめる。
「で、何でエンガルフと一緒にいるの?」
「ふん。利害が一致したに過ぎぬ」
 ティグレインは気づいた。ヴァルトはさりげなく鎌をかけたのだ。エンガルフが背後にいる事が、これで証明された。
「でもさぁ、せーっかく魔人化したって、魔力使い切ってちゃ意味ないよねー?」
 ヴェスタルの唇がゆがむ。その口は語らないが、表情は雄弁だ。ヴァルトは指を突きつけた。
「《氷結の沈黙》に《崩落の饗宴》。リタとエアヴァシーを落とすのに使った魔法と、さっきまでのココのでっかい結界の維持で、今のお前の魔力はゼロ。ま、どんなに早くたって、全快まで半月?」
 ヴェスタルは苦虫を三匹まとめてかみつぶしたような顔になる。ヴァルトは満足げに、
「お前のそーゆー素直なトコ好きよ。まる」
 と指で丸を作った。
「ラドウェア初代魔導長《黒耀の魔導師》ルニアスいわく、『力を求む者よ、汝、より大いなる力の前に屈せよ』。弱肉強食に参戦する人は自分より強いものに食われる覚悟をしなさい。死にたくなかったらケツまくって逃げな」
「ほざけ! 不死の者どもは尽きぬ、うぬらに勝ちは無いわ!」
「ふーむ」
 ヴァルトは考える仕草をしていたが、やがてビッと上に手を伸ばした。
「作戦タァーイム!」
 宣言するなり、転位魔法で姿を消す。どこに現れるかとヴェスタルは周囲を警戒したが、ヴァルトが再びその場に姿を見せる気配はなかった。
「相も変わらず騒々しい男め。まあよいわ。…さて、」
 守りの塔を囲む、一段低い外壁に目をやる。そこには満身創痍(そうい)のティグレインがいた。
 二人はしばらく互いを見つめていたが、やがてティグレインが無言で身をひるがえす。火傷の痛みに一瞬眉をしかめたが、それきりその顔が感情を映す事はなかった。

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