Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"悲憤"
〜Separation ( II )〜

<<前へ   次へ >>

 呆然とするシュリアストに、剣あるいは槍を手にしたいくつもの影がにじり寄る。死者たちだ。
「なにやってる、あほう!」
 怒号と共に、その中の一人が吹き飛んだ。シュリアストは振り向く。
 シークェインがそこにいた。ここに至るまで何人を倒してきたのか、その鎧と兜は降りしきる雨と返り血を浴びてまだらに染まっている。槍斧が、また一人を横なぎに倒す。
「逃げるぞ! 早く剣拾え!」
 その声はようやくシュリアストを動かした。一度は取り落としたコウの剣を左手で拾い上げ、近づいてくる巨大な魔動人形(ゴーレム)に背を向ける。
「離れるなよ!」
 血に染め上げられたシークェインの姿は、あたかも鬼神と見えた。行く手をさえぎるものをことごとく斬り捨てながら走る。腕の痛みに歯を食いしばって、シュリアストは兄を追う。
 城の外壁を取り囲む、死者たちの姿が見えてきた。シークェインは舌打ちする。
「くそ、まだあんなにいるのか」
 出撃時の魔導師団の集団複合魔法でいくらか減ってはいるが、門に群がる死者の数は決して少ないとは言えなかった。
 矢狭間から二人を確認した城門の兵士が、巻き上げ機を回し始める。軋む音を立てながら、門の格子がゆっくりと上がり始めた。
「油断するな、気合い入れろよ」
 シークェインが槍斧を構えなおした。二人に気づいた死者たちが、灯りに引き寄せられる蛾のように群がって来る。それを次々に突き、斬り、打ち倒していく。
 格子が充分に上がったところで、シークェインが弟の背中を押し、門に滑り込んだ。背後でガラガラと音を立てて格子が落とされる。二人を追って入ろうとした死者たちが、格子に刺し潰される。
 門をくぐり抜けて視界が開け、内城門が目に入ると、ようやく二人は息をついた。雨が鎧を打ち、浴びた返り血を少しずつ削ぎ落としていく。
「シークェイン様! シュリアスト様!」
「ご無事で!」
 歓声に迎えられながらも、二人の表情は明るくはなかった。シークェインが辺りを見回す。
「生き残った近衛は何人だ? ディアーナにはどこまで報告した?」
 兵士たちは顔を見合わせる。
「いえ、陛下にはまだ…」
「点呼は恐らくジャルーク様が…」
 混乱が生じるのも無理はない。コウもロンバルドもいない、そして副近衛長シュリアストと守備隊長シークェインは出払っていた。魔導長ティグレインに近衛をまとめる権限はない。その上、次々と予想のつかぬ事態が起こったのだから。
 兵士たちをかき分けるように、副隊長ジャルークが姿を現した。色黒の顔は血の気が引き、土気色になっている。息を整えると、誰もが避けた問いを、恐る恐るジャルークは発した。
「近衛長…は…」
 一瞬の間を置いて、シークェインが答える。
「死んだ」
 周りじゅうから、息を飲む音がした。長身のジャルークが、その場に崩れるように膝をつく。
「申し訳…ございません……近衛長を…近衛長を見殺しに…」
「おまえのせいじゃない」
 そっけなくシークェインは告げる。そして体ごと弟に向き直った。
「おれはディアーナに報告してくる。シュリアスト、おまえヴァルトのところ行ってこい」
 腕の処置だ。ヴァルトであれば、誰よりも素早く適切に行うだろう。
「…わかった」
 脈打つように襲いかかる右腕の痛みに耐えながら、シュリアストは左手の剣を苦労して鞘に収め、顔に張りついた前髪をかきあげる。兵士たちが左右に分かれて道を開けた。誰にともなくうなずいて、シュリアストは内城門へと向かう。
 膝をついたままのジャルークの肩を、シークェインは軽く叩いた。
「生き残りをまとめて点呼しろ。それが終わったらとりあえず解散だ」
「……はい……」
「おまえのせいじゃない」
 もう一度、シークェインは繰り返した。
「あいつは、…コウは、ああいうやつだからしょうがない。おまえは精一杯やった。それでいい」
 ふと遠くを見て、それからシークェインはもう一度ジャルークを見下ろす。
「それでいい。あいつならそう言うさ」
 その言葉に、ジャルークの目に涙があふれた。雨に濡れた顔面を熱い雫が伝う。ようやく勢いを弱め始めた雨の中、彼と周囲のすすり泣きの声が、長いこと途切れることなく続いた。


◇  ◆  ◇


 その一歩ごとに大地が揺れる。武器、盾、死体、何もかもを踏み砕きながら、魔動人形(ゴーレム)が外城門に近づきつつあった。
「ティ、ティグレイン様! こっ、き…危険ですここはっ!!」
 モリンの方に一瞥すらやらず、魔導長ティグレインは命令を下した。
「モリン。ヴァルトの所へ報告に行け」
「ティ…ティグレイン様は?」
「私は今少し様子を見る」
 西門双塔がひとつ、南の外門塔。雨上がりの湿った空気の中、ティグレインは一歩一歩近づいてくる魔動人形を見下ろしていた。モリンはしばし戸惑っていたが、やがて踵(きびす)を返して階下への梯子(はしご)を降りていった。
 雨の名残を含んだ湿り気の強い風が、ティグレインの深紅の外套(マント)をあおる。
 ―――私はここで、何を待っている?
 自問する。しかしそれはすぐに、自嘲の下に消えた。
 ―――馬鹿げている。
 ―――顔を合わせた所でどうだ。無駄に揺らぐだけでは無いのか?
 上げた口角を維持するでもなく、ティグレインの顔から再び表情が消えていく。
 魔動人形(ゴーレム)はもはや眼下にあった。城壁を守る兵士たちのどよめきが風に乗って届く。やがて魔動人形は、腕を後ろに引いたかと思うと、外城壁に拳を叩きつけた。振動が走り、兵士たちの声が一回り大きくなる。
 一撃、そしてまた一撃。そのたびに、振動と共に兵士たちの動揺が広がる。なるほど、攻城兵器の要らぬわけだ。かくも巨大な魔動人形はそれだけで畏怖の対象、ましてそれが城壁を攻撃し始めたとあらば、それがラドウェアにもたらす焦燥は計り知れない。
 魔動人形の後ろ、いつ現れたか、その作り主が立っていた。暗灰色の魔導衣(ローブ)に身を包み、同じ色の眼差しで忠実なるしもべを見守っている。
「ヴェスタル!」
 その声に、ヴェスタルは塔の上のティグレインに気づいた。片手を上げて魔動人形の動きを止め、改めてティグレインを見上げる。
「ティグレインか。老いたな。あの魔法を見るまで、ぬしとは気づかなんだ」
「フッ。生憎(あいにく)私は人の身なのでな」
「…うぬらはなぜ人の身に拘(こだわ)る」
 半ば呟きであったそれは、果たしてかつての弟子に届いたかどうか。ティグレインは胸壁から身を乗り出す。
「何故に貴殿がラドウェアを攻める。龍の血を求めてか?」
「その通りだ。他に何がある」
 ティグレインにとっては十分に予測していた返答だった。だがそれは同時に、受け入れがたい返答でもあった。眉を寄せ、かすかに首を左右に振る。
「ヴェスタルよ。あの《霊界の長子》が先刻命を奪ったのは、アリエンの夫だ」
 ぴくり、とヴェスタルの眉が動いた。ティグレインは続ける。
「三人の子がいる。…貴殿の孫だ」
 ヴェスタルは沈黙した。そして再び開いた口から出た言葉は、ティグレインの希望に沿うものではなく、それどころか全く予想から軌を逸したものだった。
「そう、とは、限らぬ」
「……何だと?」
 ティグレインは唖然とする。ヴェスタルは自らの外套(マント)を鬱陶(うっとう)しげに払った。 
「アリエンがわしの娘と限った話ではない」
「何を…、」
「ティグレインよ、ぬしはわしには勝てぬ。先の魔法からは運良く生き残ったとて、次はない。おとなしく女王を引き渡せい!」
 手を突き出すヴェスタルを、ティグレインは眉間にしわを寄せたまま、しばし見つめやった。
「…龍の血とは、一体何なのだ」
 ティグレインの問いに、ヴェスタルはあきれたように鼻を鳴らす。
「何を言い出すかと思えば…。龍族の血そのものではないか。《狭間》に棲まい、七界を自在に行き来するただ一つの種。それそのものに再生の力があるという話は眉唾だが、その血はあらゆる生き物に適し、最高の中和材となる。例えば、」
 ヴェスタルは己の手を見やる。その仕草は、ヴァルトの三重紋複合魔法を受けてなお復活を遂げた場面をティグレインに想起させた。
「人間と異界の生物との融合には欠かせぬものだ」
「…成る程」
 あの再生能力は必ずしも龍の血がもたらしたものではなく、ヴェスタルが選んだ再生能力を持つ何らかの生き物の力ということだ。
 だが、それが果たして今のティグレインにとってどの程度の意味を持っていただろう。
「ディアーナ殿下の生誕の日、ユハリーエ陛下の胎盤を持ち出し行方を眩(くら)ませたのは……いや、」
 灰色の瞳が、ヴェスタルを睨みつける。
「二十余年もの間ラドウェアに居を構えたのも、唯(ただ)その為の―――自らが力を得る為だけの行為だったと言うのか」
 ヴェスタルはわずかに唇の端を上げ、視線を流した。
「そうだったのかも知れん」
「ヴェスタル!」
 ティグレインが突如、牙を剥くかのように怒号を発した。
「愚かなり、力に魅入られし者よ! ラドウェア魔導長ティグレイン・ブラグナードが、必ずやその私欲に満ちた裏切り行為、止めて見せる!」
「うぬこそ愚か者よ! 亜人の血の混ざりしうぬが、何ゆえ長寿を捨て、人間と同じ道を望んだか!」
 さらに切れ間なくヴェスタルがまくし立てる。
「そも、うぬとて龍の血の力に、龍の血の女王に魅了されてラドウェアを守っているに過ぎぬわ!」
 人外のものは、人を魅了するという。となれば龍の血の持ち主であるラドウェア女王が、その周囲を魅了したとて不思議はない。実際、隣国バンシアンでは『ラドウェアは龍の女王に操られた者らの国』という伝承が、今なお綿々と受け継がれているという。
 だがティグレインは揺らがなかった。
「構わぬ、貴殿が命を賭してラドウェアを攻めるなら、私は命を賭してラドウェアを守る。私の為にな。それだけだ!」
 言い放つと、ティグレインは外套(マント)をひるがえして姿を消した。ヴェスタルは長いこと、塔を見上げていた。
「良い。ぬしは、それで良い…」
 その呟きは強い風にかき消え、誰の耳にも入ることはなかった。


<<前へ   次へ >>
▽ NARRATIVEインデックスへ戻る ▽