Radwair Cycle -NARRATIVE- |
"断罪と温情" 〜Brothers ( III )〜 |
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日輪の支配は失われ、闇がその地位に成り代わっていた。廊下の魔光灯が徐々に明かりを放ち始める。空気は熱をはらんだ湿り気を帯び、じっとりと体にまとわりつく。 通路の向こうから歩いてくる人影を目にした時、シークェインはそれが近しい人物であるとは思いもしなかった。数歩のところにまで近づいて、相手が伏せていた目を上げる。そのややつり上がった目尻と榛色(ヘイゼル)の瞳には、間違いなく見覚えがあった。思わず足を止める。 「おまえ、髪…」 「ええ、まあ」 乱雑に切られた自らの金髪に手をやって、シャンクは曖昧にうなずいた。 「なんで切った。前のほうがよかった」 「どうして切る前にほめてくれないんですか」 「…まあいいか。今のもいい」 「どうも」 一目にそれとわかる愛想笑いを残して、シャンクは巨漢の横をすり抜ける。シークェインはそれに合わせてきびすを返した。 「どこ行く」 「シュリアストさんの所ですよ」 遠ざかっていくシャンクの背中。二秒置いて、シークェインは大股で追う。 「おれも行く」 近衛長シュリアストは、城門(ゲートハウス)の指令室にいた。両目を閉ざし、机の上で手を組んでいる。つい先日まで、その席にはコウがいた。彼が望まぬながら残して行った重圧に、人知れず耐えているようにも見える。 扉を叩く音。二秒後、靴音も立てずにシャンクが滑り込む。その後にシークェインが、扉の外の近衛を一言で労(ねぎら)いつつ入る。シュリアストは目を開け、ついで、顔を上げた。 静かな、シャンクの眼差し。女と見まがうその美しい面(おもて)に、表情はない。水のようだ、と隣でシークェインは思う。波一つない水面。だがそれは時に、波立ち、うねり、渦巻き、人の命などたやすく呑み込むだろう。 「どんな、最期だったんですか」 それだけが、シャンクの口から出た言葉だった。 コウのことだ、とシークェインには判ったが、それを口に出すのは無用と判断した。問いを受けたシュリアストは、シャンクから目を逸(そ)らさない。 「首を…はねられた。《霊界の長子》に」 シャンクは動かない。シュリアストもまた、動かない。沈黙が、重く、苦しい。まるで剣先を互いの首元に突きつけ合っているかのようだった。暗殺者の一面を持つシャンクは微動だにしないだろう。ここぞというところで勝負に強いシュリアストも、また。 「おれも見た」 シークェインが口を開いた。シャンクは彼に目を移し、また戻すと、厳(おごそ)かに宣言する。 「仇は、討ちます」 「…無理だ」 シュリアストが首を振った。 「あの得物(えもの)で、あの速さ。間合いも何もない」 らしくないシュリアストの気弱さに、シャンクが憤慨を覚えなかったといえば嘘になる。だが同時に、似た物言いをどこかで聞いた気がして、記憶を手繰(たぐ)る。 あれは、間違いない、コウの言葉だった。いつかの訓練場でのことだ。 「あの得物で、よく動くもんだ。重さがないみたいに距離を一気に詰めてくる。とんでもない奴だよ」 その視線の先にあったのは、ラドウェアに来て間もないシークェインの姿。 はっとして隣を見る。シークェインの横顔。その唇は、挑戦的に笑っていた。凄みをも感じさせる笑みだ。覚悟、という言葉が、どういうわけかシャンクの頭をよぎった。 ―――でも。 心の中、シャンクは誓う。 ―――それでも、コウさんの仇を討つのは、ボクだ。 口に出すことなく、踵(きびす)を返して司令室を出ていく。その後ろ姿を見送るでもなく、シルドアラから来た兄弟は、視線を交わし合う。 扉が閉まったのを確認して、シュリアストは兄から目を逸らした。 「俺を、かばったつもりか」 「なにが」 「あんたは…見てないだろう。コウがどうやって死んだかを」 肯定も否定もせず、シークェインは傍(かたわら)の丸椅子に腰を下ろす。弟は続けた。 「コウは俺をかばって…。俺は…、何もできなかった。……目の前だったのに…。…俺が、」 シュリアストは両手で頭を押さえる。 「俺が、コウを殺したんだ。……コウを、殺したのは、俺だ…」 「またそれか」 自らが人殺しであると―――それも近しい者を殺した罪人であると、強く自責していた六年前の姿が重なる。ラドウェアで癒されたと思っていた傷が、開きかけている。 「ルータスに言われたの忘れたか。自分のせいだと思うな」 弟は弱っている。そして、弱っているのは彼一人ではない。ラドウェア全体が、過酷な戦いに病みつつある。 ―――だから、せめておれは立っていないと。最後まで、立っていないと。 自らを鼓舞するように、シークェインは息を吐く。 「さっきの話、シャンクには言うなよ」 「…言えない」 言えば、シャンクはシュリアストを許さないだろう。コウの自身の意志であり遺志であったとしても、否、なればこそなおさらだ。弱々しく首を振り、シュリアストは呟きを落とす。 「俺は、卑怯者だ…」 「ちがう」 今度ははっきりと、シークェインは否定した。椅子を立ってずかずかと近寄り、シュリアストの顎をとらえて上を向かせる。 「おまえはおれの弟だ。いいか。何があっても、おまえはおれの弟だ。おれが守ってやる。…だから、いいか、おまえはディアーナを守れ」 目を逸らすことを許さぬ姿勢で、シークェインはそう告げた。その言葉が果たして弟にどの程度の感銘を与えたかは知れない。シュリアストは不意を衝(つ)かれたような顔のままだ。 海碧色(コバルトブルー)の瞳が閉ざされ、ひと呼吸して、開く。その顔は鋭さを取り戻していた。 「ディアーナは俺が守る」 そして、シュリアストは右の口角をかすかに上げた。 「あんたは精々、自分の身を守るんだな」 それは、なけなしの精神力をはたいた強がりにも見えた。だが、それでいい。シークェインはにやりと笑う。 「言ったな」 弟の顎から手を離し、その背をひとつ叩く。そして、ぬるい風の吹き込む窓を見やった。ラドウェアの城下を包む夜は濃く、夕餉(ゆうげ)の明かりも消えた今、何ら見通すことはできない。木々のざわめく音だけが、風に乗って届く。 「…死ぬなよ」 「…………」 長い沈黙の後、シュリアストはうなずいた。 |
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