Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"断罪と温情"
〜Brothers ( III )〜

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 日輪の支配は失われ、闇がその地位に成り代わっていた。廊下の魔光灯が徐々に明かりを放ち始める。空気は熱をはらんだ湿り気を帯び、じっとりと体にまとわりつく。
 通路の向こうから歩いてくる人影を目にした時、シークェインはそれが近しい人物であるとは思いもしなかった。数歩のところにまで近づいて、相手が伏せていた目を上げる。そのややつり上がった目尻と榛色(ヘイゼル)の瞳には、間違いなく見覚えがあった。思わず足を止める。
「おまえ、髪…」
「ええ、まあ」
 乱雑に切られた自らの金髪に手をやって、シャンクは曖昧にうなずいた。
「なんで切った。前のほうがよかった」
「どうして切る前にほめてくれないんですか」
「…まあいいか。今のもいい」
「どうも」
 一目にそれとわかる愛想笑いを残して、シャンクは巨漢の横をすり抜ける。シークェインはそれに合わせてきびすを返した。
「どこ行く」
「シュリアストさんの所ですよ」
 遠ざかっていくシャンクの背中。二秒置いて、シークェインは大股で追う。
「おれも行く」


◇  ◆  ◇


 近衛長シュリアストは、城門(ゲートハウス)の指令室にいた。両目を閉ざし、机の上で手を組んでいる。つい先日まで、その席にはコウがいた。彼が望まぬながら残して行った重圧に、人知れず耐えているようにも見える。
 扉を叩く音。二秒後、靴音も立てずにシャンクが滑り込む。その後にシークェインが、扉の外の近衛を一言で労(ねぎら)いつつ入る。シュリアストは目を開け、ついで、顔を上げた。
 静かな、シャンクの眼差し。女と見まがうその美しい面(おもて)に、表情はない。水のようだ、と隣でシークェインは思う。波一つない水面。だがそれは時に、波立ち、うねり、渦巻き、人の命などたやすく呑み込むだろう。
「どんな、最期だったんですか」
 それだけが、シャンクの口から出た言葉だった。
 コウのことだ、とシークェインには判ったが、それを口に出すのは無用と判断した。問いを受けたシュリアストは、シャンクから目を逸(そ)らさない。
「首を…はねられた。《霊界の長子》に」
 シャンクは動かない。シュリアストもまた、動かない。沈黙が、重く、苦しい。まるで剣先を互いの首元に突きつけ合っているかのようだった。暗殺者の一面を持つシャンクは微動だにしないだろう。ここぞというところで勝負に強いシュリアストも、また。
「おれも見た」
 シークェインが口を開いた。シャンクは彼に目を移し、また戻すと、厳(おごそ)かに宣言する。
「仇は、討ちます」
「…無理だ」
 シュリアストが首を振った。
「あの得物(えもの)で、あの速さ。間合いも何もない」
 らしくないシュリアストの気弱さに、シャンクが憤慨を覚えなかったといえば嘘になる。だが同時に、似た物言いをどこかで聞いた気がして、記憶を手繰(たぐ)る。
 あれは、間違いない、コウの言葉だった。いつかの訓練場でのことだ。
「あの得物で、よく動くもんだ。重さがないみたいに距離を一気に詰めてくる。とんでもない奴だよ」
 その視線の先にあったのは、ラドウェアに来て間もないシークェインの姿。
 はっとして隣を見る。シークェインの横顔。その唇は、挑戦的に笑っていた。凄みをも感じさせる笑みだ。覚悟、という言葉が、どういうわけかシャンクの頭をよぎった。
 ―――でも。
 心の中、シャンクは誓う。
 ―――それでも、コウさんの仇を討つのは、ボクだ。
 口に出すことなく、踵(きびす)を返して司令室を出ていく。その後ろ姿を見送るでもなく、シルドアラから来た兄弟は、視線を交わし合う。
 扉が閉まったのを確認して、シュリアストは兄から目を逸らした。
「俺を、かばったつもりか」
「なにが」
「あんたは…見てないだろう。コウがどうやって死んだかを」
 肯定も否定もせず、シークェインは傍(かたわら)の丸椅子に腰を下ろす。弟は続けた。
「コウは俺をかばって…。俺は…、何もできなかった。……目の前だったのに…。…俺が、」
 シュリアストは両手で頭を押さえる。
「俺が、コウを殺したんだ。……コウを、殺したのは、俺だ…」
「またそれか」
 自らが人殺しであると―――それも近しい者を殺した罪人であると、強く自責していた六年前の姿が重なる。ラドウェアで癒されたと思っていた傷が、開きかけている。
「ルータスに言われたの忘れたか。自分のせいだと思うな」
 弟は弱っている。そして、弱っているのは彼一人ではない。ラドウェア全体が、過酷な戦いに病みつつある。
 ―――だから、せめておれは立っていないと。最後まで、立っていないと。
 自らを鼓舞するように、シークェインは息を吐く。
「さっきの話、シャンクには言うなよ」
「…言えない」
 言えば、シャンクはシュリアストを許さないだろう。コウの自身の意志であり遺志であったとしても、否、なればこそなおさらだ。弱々しく首を振り、シュリアストは呟きを落とす。
「俺は、卑怯者だ…」
「ちがう」
 今度ははっきりと、シークェインは否定した。椅子を立ってずかずかと近寄り、シュリアストの顎をとらえて上を向かせる。
「おまえはおれの弟だ。いいか。何があっても、おまえはおれの弟だ。おれが守ってやる。…だから、いいか、おまえはディアーナを守れ」
 目を逸らすことを許さぬ姿勢で、シークェインはそう告げた。その言葉が果たして弟にどの程度の感銘を与えたかは知れない。シュリアストは不意を衝(つ)かれたような顔のままだ。
 海碧色(コバルトブルー)の瞳が閉ざされ、ひと呼吸して、開く。その顔は鋭さを取り戻していた。
「ディアーナは俺が守る」
 そして、シュリアストは右の口角をかすかに上げた。
「あんたは精々、自分の身を守るんだな」
 それは、なけなしの精神力をはたいた強がりにも見えた。だが、それでいい。シークェインはにやりと笑う。
「言ったな」
 弟の顎から手を離し、その背をひとつ叩く。そして、ぬるい風の吹き込む窓を見やった。ラドウェアの城下を包む夜は濃く、夕餉(ゆうげ)の明かりも消えた今、何ら見通すことはできない。木々のざわめく音だけが、風に乗って届く。
「…死ぬなよ」
「…………」
 長い沈黙の後、シュリアストはうなずいた。

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