Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"崩落の饗宴"
〜the Razzle-Dazzle Collapse〜

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 近衛長の死から、四日が経っていた。
 鈍い音が、断続的に響いてくる。魔動人形(ゴーレム)が城壁を破壊せんと拳を叩きつける音だ。あたりが闇に包まれても、東の空が明るくなっても、この四日間、音は鳴り響く。ラドウェア兵の、城下の民の、焦りと怯えは続く。
 ヴァルトがはじき出した外城壁の耐久日数は五日。猶予はない。
「くっそ、まだ上がって来やがる」
 城壁の通路を巡回しながら、また自らも不死者との白兵戦に参加しながら、副魔導長カッシュは悪態をついた。必ずしも副魔導長が戦いに出なければならぬ状況ではないが、彼はいつとて先陣に身を置くことを好む性分だ。
 腕に付けた魔導具の刃にべったりと残る体液を振り払う。空は今でこそどんよりと曇っているが、連日の強い日差しに精悍(せいかん)な顔は灼け、髪押さえ(バンダナ)をしてもなお汗はこめかみを伝って流れる。腰に下げた水筒は空だ。
 不死の兵たちが城壁に次々に梯子(はしご)を掛ける。倒したところでわずかな時間稼ぎにしかならず、すぐさま次なる梯子が掛けられる。だからといって放置するわけには行かない。胸壁から身を乗り出して梯子を倒そうとすれば、矢の雨が待っている。射られどころが悪ければ、彼らの仲間入りだ。
 風が強い。新鮮な空気が入ってくるのはありがたかった。通路は不死者の体液と血でまだらに汚れ、腐臭の源となっている。死体を集める余裕はなくなり、城壁から外へ投げ出されるようになった。戦いが終わった後に遺体を探して遺族に届けることとされたが、そもそもこの戦いに終わりはあるのか。その問いを誰もが胸に抱きながら、答えを得ることができずにいる。
 不意に、壁を殴る音が止んだ。カッシュが、そして周囲の兵士たちが、魔動人形がいるはずの守りの塔の方角へ目を向ける。カッシュは両腕の刃をしまい込み、向かい合っていた元バンシアン兵の顎を魔力を込めた拳で粉砕すると、
「持ち場離れるなよ!」
 言い残して走り出した。つかみかかろうとする死者を拳で打ち払い、味方と競り合う者の膝裏に蹴りを入れ、援護しながら城壁を北へ。塔から走り出た近衛長シュリアストとはち合わせる。
「魔動人形は」
「こっちだ」
 守りの塔の外周を回ると、魔動人形の威容が見えてきた。やはり、動きを止めている。
 その手のひらにあたる部分の上に、何者かが立っていた。姿を確認するなり、シュリアストが動いた。
「殺せ! 弓だ、狙え!!」
 すでに弓を構えていた近衛たちが、引き絞った弦を解き放つ。降り注ぐ矢は、しかし目標の体に届くことはなかった。寸前で見えない壁に弾かれ、地上に落ちる。
「結界か…!」
 この程度の結界の発動、何の苦でもないのだろう。当たっては落ちていく矢にも、ヴェスタルは一瞥すらやらない。
 魔導師ヴェスタルは城壁を、否、その向こうの本城を、睨んでいるようだった。その目は血走り、頬や手には亀裂のように線が走っている。ヴァルトの三重紋魔法を受けてなお復活した、紐状の肉体の継ぎ目だ。所々に、小さな赤い点が浮かび上がっては消える。カッシュの鋭い目はそれらを見逃さなかった。
「時限(リミット)が近いな」
「龍の血の?」
「気をつけろ、何かやる気だぞ」
 直接の返事がなかったことを肯定と受け取って、シュリアスト再度ヴェスタルを注視する。『何かやる気』なのは当然だ、そうでなければ前線に現れるはずがない。
 途切れなく降り注ぐ矢の雨を前に、ヴェスタルはゆっくりと両腕を広げた。
「 地より 天へ 我は 希(こいねが)う 」
「詠唱系!」
 カッシュが反応した。
「まだそんな魔力が残ってやがったか!」
「避難しろ!」
 外壁の兵士たちに向かって、シュリアストが声を張り上げる。
 詠唱系魔法。効果を正確に把握しているわけではないにしろ、その威力の程は、ほとんどの兵がヴァルトの《波紋の刃》を目の当たりにして知っているはずだ。
 ヴェスタルの周囲を魔力風が巡る。灰色の外套(マント)がはためき、裏地の紫色がひらめき踊る。
「 我と 我が血と 我が名において 調停の地が支配を 我が手に ひととき 委ね受けん 」
「《崩落の饗宴》だと!?」
 カッシュの声は、地の底から響き渡るような地鳴りにかき消えた。
 《崩落の饗宴》。エアヴァシーを陥落させた、強大な地震を引き起こす魔法だ。逃げたものか留まったものか判断しかねた兵士たちの動揺が、意図せず声となってあふれ落ちる。
 その間にも、ヴェスタルは詠唱を終えようとしていた。止めるすべは、ない。
「 すべてのものよ 崩れ落ちよ! 」
 その声に重ねてカッシュが叫ぶ。
「伏せろ!」
 むしろ、伏せずにいることは不可能だった。足下から激しく揺さぶられる。二人は膝を折って這いつくばったが、それもできなかった数人が城壁から放り出される。そこかしこで悲鳴。城壁にかけられた梯子が、不死の兵たちを乗せたまま次々と倒れていく。
 鈍い破裂音のような音に続いて、ガラガラと石が崩れる音がした。魔動人形の攻撃でひびの入っていた外城壁が、揺れに耐えきれず崩れ落ちたのだろう。だが、顔を上げて目で確認することもできない。
 永遠に続くかと思われた揺れは徐々に鎮(しず)まり、二人は油断なく胸壁にしがみつきながら立ち上がる。
「誰か、城下の様子を!」
「は、はっ!」
 シュリアストの指示に、年輩の近衛が駆け出す。揺れによる市街の家屋の倒壊は、一軒や二軒では済むまい。幸いなのは、昼下がりで火の取り扱いがほとんどないだろうことだ。火が出れば被害は甚大だ。
 崩壊音のした方に目をやる。灰色の煙がわだかまっているのが見えた。風が吹き、煙がなびいて、魔動人形の姿が現れる。
 あの揺れの中で、微塵の揺るぎもなく立っている。手の上には変わらずヴェスタルがいた。浮遊の魔法だろう、わずかに浮いていた足が、再び魔動人形の手の上に降りる。
「ほう。これで終わりと思ったが…」
「ざけんな、ヴェスタル」
 聞き覚え以上のものがある声に、二人は振り返り見上げる。守りの塔の頂(いただき)に、二つの影があった。一方は遠目にもそれと判る黒ずくめ、一方は緋色の外套に青い肩掛け。
「ラドウェアはエアヴァシーよりずっと気合入った造りしてるんでね」
 にやりと笑う。《漆黒の魔導師》ヴァルト、そして隣に立つのは魔導長ティグレインだった。

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