Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"滅びゆくもの"
〜Loss〜

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 準備は整った。魔導師の塔に保管されている、ありったけの魔力増強具と増強剤を集め、それらの割り振り先を決めた。魔導長ティグレイン自身も、長らく彼の寿命を魔力に変換して蓄積してきた、魔導具である耳飾りの力を解放することになるだろう。すべては、《七星の王》の発動のため、そしてその衝撃から城を守るために。
 ―――この命に代えても、だ。
 ティグレインの自室。副魔導長カッシュは既に、配下に指示を伝えに出て行った。彼のくぐった入り口の扉に目をやりながら、ティグレインは無意識に顔の火傷の痕をなぞる。
「モリン」
「は、はい」
 入り口そばに控えていた童顔の青年が、弾(はじ)かれたように顔を上げた。ひと呼吸おいて、ティグレインは告げる。
「お前は、私の様な生き方をするな」
「えっ…」
 反応に迷うモリン。察して、ティグレインはフッと笑った。
「かつてシェードが私に言った。『お前は人間として腐れ』、と。……人は、自らの選べなかった道を、後に残る者に押し付けたがる物だな」
 腕を組み、天井を見上げる。
「だがそれは、真にそう思うからこそ出る言葉だ。遺されし者に二の轍(てつ)を踏ませたく無いが故の」
 理解はしたがそれを軽々しく口に出すことができず、結果としてモリンは押し黙る。ティグレインは沈黙を味わうかのように、自らもまた黙した。東向きの窓は、夜の気配を少しずつ部屋に流し込む。
 《七星の王》が破壊するものは、魔動人形(ゴーレム)や城下だけではないだろう。術者、即ちヴァルトとティグレインが、魔力を吸われ尽くして死に至る可能性は高い。ヴァルトには長年の蓄積魔力があるだろう、だがティグレインはそれを持たない。が、熟知の上で彼は受け入れた。
「死に往(ゆ)く者は、私だけで良い」
 口の中だけの呟きに終わらせた。モリンに聞かせるつもりはない。ティグレインは立ち上がる。
「会議までまだ間があるな。少々出掛けて来るとしよう」
「ど、どちらへ、ですか?」
「知人に会うだけだ、供は要らぬ」
 その返答に、モリンはぺこりと一礼して部屋を出る。現れるも去るも不意を衝(つ)くヴァルトや、事によっては扉を蹴破りかねないカッシュを思えば、モリンの礼儀正しさは上出来だ。閉められた扉を視界に入れながら、ティグレインは深紅の外套(マント)を羽織り、肩掛けを身につける。モリンに追いつくことのないよう十分に時間を置き、部屋を出て昇降器を降りる。塔の一階を颯爽(さっそう)と抜け、薄暮に溶けて消えようとする城下へと向かう。
 近衛の誘導で大通りを城へと移動する住民たちの列。彼らに逆行し、途中から裏通りに逸れて路地を歩く。途中、倒壊した建物に遮られながらも、彼は目指す館の裏口に到着した。
 木製の扉を開け、中へと踏み込む。廊下に出、隣の扉―――かつての師の部屋へ。そこに、彼女はいた。
「カルナリエ」
 館の侍女は、床に散らばった陶器の欠片を片づけているところだった。呼ばれてティグレインに気づき、塵取りを置いて振り向く。
「旦那様」
「城への避難命令が出ているであろう。お前はどうするつもりだ」
 言いながら、ティグレインは天井を見上げる。主柱が折れていた。遅かれ早かれこの館も倒壊の憂き目を見るだろう。
 カルナリエは青い目を閉ざす。そうすると磁器のように白い肌が際立つ。
「わたくしはこのお屋敷を離れることはかないません」
 魔動人形である彼女の魔力の貯蓄は、館の地下の魔力装置にある。館を出れば、当然その供給は絶たれることになる。
「魔力装置を城に移せば良いだけの事だ」
「運び出すだけでも大変な物を、今の城に置くだけの広さがありますか?」
「…魔導師の塔であれば問題有るまい」
「相変わらず、嘘がお上手ではありませんのね」
 くすくすと笑みをこぼすカルナリエ。
「魔導師の塔は計算し尽くされて建てられた塔。魔力の均衡が崩れては、諸処(しょしょ)の魔力装置に悪影響が出るのではありませんでしたか?」
「…随分昔に言ったか。良く覚えている物だ」
 感心と憂いの入り交じった溜息を漏らすティグレイン。カルナリエは胸の前で手を組む。
「このお屋敷は、大旦那様がわたくしに架してくださった、唯一の束縛。唯一、与えてくださった嫉妬。大旦那様と大奥様との思い出と最期を共にしとうございます」
「左様、か…」
 考え込む仕草の魔導長に、カルナリエは優雅に会釈する。
「お嬢様を、どうぞよろしくお願い申し上げます」
「アリエンは逃がした」
「では、わたくしが思い残す事は何もございません」
 にっこりと笑む。白い磁器が上品さそのままに花に変化したように思われた。ティグレインは複雑な思いに眉を寄せる。
 魔力の供給を絶ち抜け殻になった彼女だけを城に連れて行く、という選択肢もあった。だが、自分以外の何者もそれを望みはしないだろう。そしてその自分とて、この先、命を長らえるとは思えない。
「…お前の前では何ゆえ斯様(かよう)に愚かであるのか解らぬな」
「愚か、とは?」
「私がだ」
 嘆息するティグレインと対照的に、カルナリエは微笑んだ。
「不器用さも相変わらずなのですね」
「不器用? 私がか」
 魔導具、こと宝飾品作りに関しては、大陸で五本の指に入ると賞賛されるティグレインだ。自身の評価はそこまでには及ばぬが、それなりの自負はある。しかし、カルナリエは笑みをより深めた。
「宝飾品をきめ細かな配慮で作り上げることはできても、それを愛する人に贈ることができない。そういった人を、人は不器用と呼ぶのですよ」
 ティグレインは心地悪げに肩をゆする。
「喩(たと)えが悪い」
「喩えも何も、そのままの意味でございます」
「では悪いのは喩えではなくお前の意地だ」
「ふふ、それは認めなければなりませんね」
 含み笑うカルナリエに、ティグレインもまた頬を緩める。
 ふと、カルナリエは部屋の扉に視線を投げた。
「ひとつだけ、思い残す事がございました。―――お嬢様が一度、ご成婚後にこの屋敷を訪れたことがございます。この命はコウ様に捧げているのに、コウ様の命はラドウェアに捧げられている。不公平ではないか、と泣きながら」
「…そんな事が有ったか」
 ならばカルナリエがアリエンを案ずるのは頷(うなず)ける。が、「アリエンは逃がした」と告げたのを忘れたわけではあるまい。これ以上、彼女は己に何をさせようというのか。
 測りかねるティグレインに、カルナリエの視線が戻った。
「あなた様の命も、ラドウェアに?」
 問われて、ティグレインは返答に窮した。よもやカルナリエがそう切り込んでくるとは思わなかったのだ。だが、瞬きひとつの間に平静を取り戻す。
「私の命は、私の物では無いのだ。シェードに連れられ、先代女王に認められ、ヴェスタルに師事し、アリエンに出会い、お前に出会い、…様々な人物から様々な力を受け取った。私の命はその全ての者から成り立つ物だ。無碍(むげ)に捨てるつもりは無い。だが、私を形成したこのラドウェアとその未来の為であれば、惜しむつもりも無い」
 そう口に出したことで気づく。多分に先代女王ユハリーエの影響を受けた、と。おっとりとした、善良すぎるとも言えよう君主だった。誰と顔を合わせても感謝の言葉しか出ない彼女を、理解の及ばぬ生き物だと思っていたものだが、出会った全てに恩義を感じているのだとすれば、今の自分も大差ない。
 記憶の中のユハリーエと、カルナリエの笑みが重なる。
「ご立派です。ですが…、それは、本心から?」
 ティグレインは皮肉めいて唇を歪ませる。
「お前に縋(すが)り付いて、死にたくないと泣き喚く事が、私の為すべき事だと思うか?」
 失笑を期待したのだが、カルナリエの顔は至って真剣だ。
「そうすることで心の均衡(バランス)を保つ方もいらっしゃいます」
「それは私のやり方では無い」
「あなた様は、誰にも助けを求めないというその一点において均衡を保つお方です。その均衡はとても危うい」
 一度解いた手を、カルナリエは再び胸の前で組む。
「過保護とお思いでしょうが、どうしても気がかりだったのです。お嬢様から離れ、わたくしがこの館と運命を共にした後、あなた様がどう生きて行かれるのか。あなた様がラドウェアのために自らの命を擲(なげう)つのを、誰が止められるのか」
 ティグレインは口を開く。だが、説き伏せるための言葉が、出ない。
 《七星の王》についてを、過去に迂闊にも彼女に話してしまっていただろうか。記憶の糸を手繰(たぐ)るが、糸巻きがカラカラと鳴るだけだ。それとも彼女は、シェードがそうであったと疑われるのと同様、人の思考を読むことができるのだろうか。―――そんなはずはない。
「…成程、過保護だな」
「申し訳ございません」
 わずかに眉を寄せ、カルナリエは微笑む。彼女の手が解かれると共に呪縛が解けたかのように、ティグレインの思考が本来の流れを取り戻す。
「案ずるな、過去の私そのままではない。私とて、助けを求める事はある」
 寝台から起き上がるためにヴァルトに手を借りた時のことを思い出す。手に伝わった、暖かくも冷たくもなかった体温。かの男は人外のものではないと安堵した。たとえそれが巧妙に作られたものであったとしても。
 主の言葉を実感をもって信じているのか、根拠のない気休めとして聞いているのか、カルナリエの反応からは窺われない。ティグレインはあえて問わなかった。そろそろ城に戻る時間だ。姿勢を正し、カルナリエに向き直る。
「カルナリエ」
「はい」
 達者で、と言おうとして彼はそれをやめた。滅びゆく者にふさわしい台詞ではない。
「世話になったな」
「わたくしの方こそ、旦那様には大変お世話になりました」
「フッ…、全くだ」
「ふふ」
 カルナリエは自然な仕草でティグレインに手を伸ばし、しなやかな両腕をその首に巻きつけて、彼の胸に頭を預ける。ティグレインもまた、彼女の背中に両手を回す。そのまま幾ばくかの時が過ぎ、先に離れたのはカルナリエの方だった。
「それでは、旦那様」
「ああ」
 日が落ち、明かりもない部屋の中は暗闇に飲まれつつある。そこに取り残されようとする侍女に、不安の色はない。むしろ闇こそが安らぎを与えてくれると言わんばかりだ。
 敗北に似た虚無感を面(おもて)に出さぬよう細心の注意を払いながら、ティグレインは一歩退(しりぞ)く。
「ここで良い。さらばだ、カルナリエ」
「旦那様」
 動きを止めたティグレインに、侍女は柔らかな笑みを浮かべる。
「お気をつけて」
 かつての通り、館の主を見送る言葉。ティグレインは唇の端に笑みを乗せ、踵(きびす)を返した。紅の外套(マント)が後を追う。
 命令通り、カルナリエは追っては来なかった。館を出、空を見上げる。夕と夜の混ざり合う空は柔らかに澄み、ぬるい風と相まって、どこか異なる世界へと誘(いざな)われるかのようだった。
 あるいは、何もかもが夢であるのかも知れない。時折ふと浮かぶが久しく忘れていた思いに、ティグレインは瞼(まぶた)を閉じた。

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