Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"志願"
〜Sacrifice ( I )〜

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 作戦の決行日時が決まった。《七星の王》の発動日が。
 近衛と守備隊の中から馬を得意とする者を選(え)り出し、巫女レリィの全軍鼓舞でさらに機動力を上げる作戦だ。魔導師団が出ないことに疑念を感じたヴェスタルは、当然エンガルフを前に出すだろう。そこで騎兵は機動力を活かして城に引き返し、誘い出したエンガルフを、《七星の王》の餌食にする。
「まだ決まってないことがある」
 言ったのはシークェインだ。会議室の一同の視線が彼に集まる。
「だれがエンガルフに『印』をつけるかだ」
 ヴァルトの黒い三日月刀。《七星の王》が追尾するというそれを、誰がエンガルフに刺すか。懸案事項として残されたままだ。
 考える暇(いとま)を与えず、シークェインが再度、口を開いた。
「おれが出る」
 凍りついた会議室を、シークェインは一渡り見渡す。一人平然としているヴァルトと目が合った。どういうわけか、互いの唇に笑みが浮かぶ。
 それを眺めやりながら、ティグレインが確認する。
「エンガルフと交戦する、と?」
「そうだ」
 シークェインはうなずいた。エンガルフの特徴である禍々(まがまが)しい魔剣、そのおおよその長さは弟から聞いている。
「あれより有利な間合いで戦えるのは槍ぐらいしかない。おれには槍斧がある」
 弟―――近衛長シュリアストの指先が、苛立たしげに机を叩く。
「ヴァルトの剣を刺すっていう話なんだぞ」
「わかってる。もう一人借りてく」
「…誰を」
 薄々感づいた様子で、シュリアストは問う。果たして、返った答えは彼の予想通りだった。
「シャンクだ」
 部屋に沈黙が降りる。それぞれが、その沈黙の意味を噛みしめる。
 続いたルータスの問いは、せめてもの抵抗であるようにも聞こえた。
「シャンク殿が承諾されますかな? 命の危険がある任務―――」
「するさ」
 あっさりと破られる。
 シャンク。彼であれば死したコウのために喜んで命を投げ出すだろう。今回の任務に最適な人選とさえ言える。
 だが、それをこの場で認めることは許されるのか。たとえそれが彼自身の望みと合致しようと、自らの命を犠牲にせよと下命することがあってよいのか。
 ディアーナの瞳が戸惑いに揺れている。さもありなん、とティグレインは胸中で呟いた。自身はむしろ、守らんとするべきもののためであれば、命を捨てるなど何を厭(いと)うことがあろうかと思う。だが、それを命じることは、人の上に立つ者にとって、あってはならないことだ。
 察したか、シークェインが継ぐ。
「出たら必ず死ぬわけじゃない。要は刺して戻ればいいんだろ」
「簡単にできる事じゃない!」
「だったら他にだれがやる」
 兄の視線を受け、シュリアストは返答に窮した。何者かを指名するとなれば、即ちその者の命を危うくすることになる。
 シークェインはおもむろに椅子を引いて立ち上がり、女王ディアーナと正対した。
「ディアーナ。おまえはおれに、生きて帰れって言えばいい。それだけだ」
「…待って、」
 喘(あえ)ぐように苦しげに、ディアーナは言葉を絞り出す。
「待って、シーク。待って。何か…、何か、……考えよう?」
「なにを」
「だって、…他に方法があるかも知れない」
「ない。ヴァルトが言っただろ、だれかが歩いて行って刺すしかない、って」
 確かめるようにヴァルトを見る。頬杖をついていた《漆黒の魔導師》は、ちらりと目を上げてうなずいた。
 鷹揚(おうよう)な態度のシークェイン。彼であれば何事であれ成し遂(げ)るかのように錯覚させる。彼を止めることは、あたかも、彼への信頼を傷つける行為であると思わせた。
 既に作戦が決まった前提で、シークェインは発言する。
「ひとつだけ、頼みたいことがある。……レリィには、言うな」
 それについては誰からも異論はなかった。エンガルフと戦うというシークェインの意志は曲げられまい。たとえ巫女レリィが説得しようとて無理だろう。そうなれば、レリィに心労をかけさせないためには、黙っておくことが得策に思われた。
「そーゆーワケで、ディアーナ女王陛下」
 ヴァルトが立ち上がった。女王に体ごと向き直り、踵を打ち合わせると、右腕を胸の前に上げてラドウェア式の敬礼をする。
「ラドウェア魔導師団、―――出撃許可下りなくても出るから、泣いて止めてもムダ」
「…はい」
 首肯(しゅこう)したディアーナの瞳に決意が満ちる。魔導長ティグレイン、《漆黒の魔導師》ヴァルト、二人の魔導師それぞれに、女王は真っ直ぐな眼差しを向ける。
「ティグレイン、ヴァルト、お願いします。ラドウェアを…、みんなを守って」
「承知致しております」
 『命に代えましても』―――それは心に留め置いた。ティグレインは礼から直る。ヴァルトは言葉こそ発しなかったが、唇の両端を引き上げた。

◇  ◆  ◇


 嘔吐の後に続くえずきに身を震わせ、レリィは荒い息を繰り返す。やっとの思いで寝台に転がり、仰向けに四肢を投げ出す。
「おい。そんなで全軍鼓舞なんかできるのか?」
「大丈夫」
 即答だが、その声は力ない。答える気力すら惜しまずにはいられない様子だ。
「そんなこと言って、おまえ、」
「大丈夫だってば!」
 手を振り払うレリィに、シークェインはあきれる。
「頑固な女だな!」
 レリィは返事をしなかった。シークェインは寝台を軋(きし)ませて腰掛けながら、付け加える。
「まあ、知ってたけどな」
 レリィの片頬をつまんで引っ張る。レリィは「うー」と「あー」の中間のような声を漏らして抗議する。それきりぱたりと抵抗をやめ、背筋を折り目に体を二つに折り畳むようにシークェインの方を向く。
「当日」
「ん?」
「出るんでしょ」
 戦のことだ。一瞬、シークェインはばつの悪そうな顔をしたが、真顔に戻って、わずかに姿勢を正した。
「コウのかたきだ」
 聞いて、レリィは唇を噛んだ。
 ―――わたしより、コウなの……?
 意図せず、シークェインから視線が外れていく。ゆっくりと敷布(シーツ)の上に落ち、さらにそれをすり抜けるかのように焦点がずれていく。気づいて、シークェインは彼女を呼び戻そうとする。
「おい」
「…なんでも、ない」
「ないわけあるか」
 レリィは出かかった声を一度は咽に押し込めたが、逡巡(しゅんじゅん)した結果それを解放する。
「だれの、せいよ」
 抑えようとした涙が混じった。はっと気づいたようにシークェインが口を開き、だが言葉を出すことはなく、閉じる。レリィのそばににじり寄る。
「…すまん」
「あやまられたって、しょうがないじゃない」
 じゃあどうしたらいいんだ、と口中で呟くシークェイン。だがそれは不平不満ではなく、心底困り果ててのものだ。レリィもそれを解っている。解っているからこそ、互いに落としどころを探している。
 結局それを中断し、シークェインは以前から言う時機(タイミング)を計っていたことを口に出した。
「レリィ。いいか。おまえが死んでもおれは生きるし、おれが死んでもおまえは生きろ」
 それは落としどころからはほど遠かった。シークェイン自身、それを知っている。だが言わないわけには行かなかった。
 体を横たえたまま、レリィは無言だ。
「返事しろ。じゃないと行けないだろ」
 ―――だったら、返事なんてしない。
 レリィの閉じた目から、先刻に加えてさらににじみ出た涙が、目尻へと伝う。
 ―――行かないで。
「レリィ?」
 シークェインが困ったような笑みをしているのが、声だけでわかる。
 ―――行かないで。
 ―――でも、あなたは行くよね。
 レリィは薄く目を開くと、緩慢(かんまん)に半身を起こした。手を伸ばし、シークェインの腕に触れる。自らの体を引き寄せると、彼の厚い胸板をよじ登り、首にしがみつく。全体重を、彼に預ける。
「…大丈夫だ」
 シークェインはレリィの頭からうなじにかけて、ゆっくりと髪をなでる。
「おれは、なにを犠牲にしても生き残る」
 もう何度目かの、力強い宣言。だが、レリィは腕に込めた力を緩めることなく、嗚咽を押し殺した。拭(ぬぐ)われることのなかった涙が、頬へと伝った。

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