Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"加速する運命"
〜a Sign of Doom〜

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 近衛長シュリアストが、馬上で剣を振りかざした。晴れ渡った夏空を斬るように、鋭く前方へ向ける。
「全軍進撃!」
 彼を先頭に、騎兵隊が前進を開始した。充血した目、その下には隈(くま)、痩(こ)けた頬、多くの者が癒やす暇なき疲労を引きずっている。だがこの出撃が最後と、尽き果てた精根を奮い立たせて手綱を打つ。
 瓦礫(がれき)を最低限だけ撤去した大通りを一列縦隊で抜けると、やがて西門が、そしてまだ内城壁に残る守備隊の姿が見え始める。格子の降りた内城門の脇には、巫女レリィの姿もあった。
 そのレリィが、柄に月を象(かたど)った細い杖を掲げた。巫女の杖だ。
「―――その両脚に翼持ちて大地を駆けよ、天の加護は汝(なんじ)らにあり」
 彼女が杖を振るたびに、薄い飾り布が翻(ひるがえ)る。
「疾き風のごとく、その足は命の限り止まることなし」
 祈りの詠唱を終え、レリィは勢いよく杖を振り降ろした。
「はッ!」
 風が、地を走った。腐臭を吹き払うかのように一直線に。壊滅した市街地を抜けて門にさしかかろうとする騎兵隊を、瞬く間に包み込む。
 途端、馬たちの走る速度が上がった。駈歩(キャンター)のまま、地の上を滑るように駆ける。速歩と呼ばれる効果だ。騎兵の驚きはもちろんのこと、馬たちも戸惑ったように鼻を鳴らす。
 レリィは杖を下ろし、蹄の音を轟かせながら門をくぐる彼らを見送る。長い双角のついた兜に赤い外套(マント)を翻(ひるがえ)す守備隊長の姿も、その中にあった。
「巫女殿、杖を」
 背後からクライアの声が聞こえてもなお、レリィは騎兵隊から目を離さない。
 ―――シーク……。
「…ごめんね、頑固な女で」
「は?」
 呟きを聞き逃したクライアが問い返す。とん、とレリィは杖を地面についた。と思いきや、回しながら振り上げる。
「巫女殿!?」
 異変に気づいたクライアが前に出る。だがそれより早く、レリィは詠唱体勢に入っていた。
「―――この世に満ちたる 呼ばれる名もなきものどもよ」
 後ろに控える四人の巫女親衛隊もまた、何が起こったのかを瞬時に悟った。
「た、隊長! 鼓舞の重ね掛けは…」
「巫女殿の命に関わる!」
 だが一度始まった詠唱を止めることもまた、逆に計り知れぬ負担をかける可能性がある。慌てふためくしかもできない親衛隊の声を背に、レリィは意識を研ぎ澄ませ、詠唱を続ける。杖を伝って力が体に満ちて行く。心臓の脈動、四肢の隅々まで至る高揚。
「我が愛しき者らの盾となりてその身を守り、」
 ―――シーク。あなたが戻ってくるために、わたしにできることなら、すべてやる。
 ―――お願い、わたしを感じて。わたしの命、どうか伝わって。
「我が愛しき者らの剣となりてその敵を打ち倒せ!」
 ―――シーク。わたしは、生きていたい。
 ―――あなたと。
「はあああぁぁっ!!」
 杖が天を突く。そこから波紋を描くように、まばゆい光が生じた。騎兵隊、巫女親衛隊、彼らすべてに降り注ぐ。
 力が体を駆け抜けるのを感じて、シークェインは馬を駆りながら肩越しに振り返った。後続の兵たちに阻まれ、レリィの姿は見えない。
 ―――レリィ。
 思い出すのは六年前、ラドウェアに来て間もない頃。レキアとの戦いに出ようとするレリィが、それを呼び止めた彼に言い放った。
『馬鹿にしないで。巫女はいつだって戦場にいるのよ』
 ―――あの時のおまえ、強い目をしてた。
 命を擲(なげう)つ覚悟すら垣間見えた紫の瞳に、確かに心が動いたのを覚えている。
 ―――なにもしなくていい。だから死ぬな。おまえは死ぬな。
 レリィを目で追うのを諦め、シークェインは先へと視線を転じた。
 一方。
「巫女殿!」
 詠唱が終わるなり、姿勢を崩したレリィをクライアが支える。
 二度に渡る鼓舞の反動が、彼女の細い体を襲っていた。杖にすがりついて体勢を保とうとするが、立っていられずにずり落ち、クライアの服を片手でつかみながら膝をつく。
「巫女殿、何という事を…! 巫女殿!」
「い…や……」
 視界が揺れる。くらむ。地面に手をつくが、重心のぶれる肘(ひじ)が体を支えきれない。汗が頬を伝う感覚が遠い。血の脈が警鐘のようにこめかみを打つ。体が冷たい。右肩をつかんだクライアの手、地についた手のひらに食い込む細かな砂利、その温度だけが伝わってくるが、他はひどくおぼつかない。
「…し……にたく…ない…、」
 がくがくと全身が震える。宙に伸ばそうとした手が、地の上をわずかに離れてまた落ちる。
「…助けて……死にたくない…! シーク、……助けて…シーク…!」
 呼ぶ名もまた、虚空に届かず地面に落ちる。レリィはそのまま、意識を、手放した。


◇  ◆  ◇


 外城壁の袂(たもと)に積み重なった死体の山、そこにたむろする烏(からす)、飛び回る蠅(はえ)。もはや城壁に染み着いたかとも思われる死臭と腐臭を、蹄(ひづめ)の音を轟かせて散らしながら騎兵隊は駆ける。近衛と守備隊の中から、馬を得手(えて)とする四十人を選りすぐっての出撃だ。
 右手に見えるは守りの塔。外城壁に続いて内城壁を打ち壊さんとする魔動人形(ゴーレム)の巨大な姿が、緩やかな曲線を描く双璧の間にちらりと垣間見えた。
 強い日差しが鎧を灼(や)き、手甲の下の手袋や首当てにもあっという間に熱がこもる。馬の揺れに僅(わず)かに上下する鎧が、疲弊した体にはひどく重い。
 槍斧を片手に、馬を駆る速度を上げ、シークェインはシュリアストに並んだ。
「大丈夫か、近衛長!」
 右腕を首から吊したシュリアストは、ちらりと兄に目を向け、また前方に戻す。
「隊列を乱すな!」
「大丈夫そうだな!」
 馬の蹄と鎧の音を鋭くすり抜ける弟の言葉を聞き取って、シークェインは笑う。対してシュリアストはにこりともしない。魔導師ビスタの方を振り返る。
「ヴェスタルは!」
「北西にいます! 森の中です!」
 シークェインが弟に問う。
「また逃げられたらどうする!」
「関係ない!」
「まあな!」
 ヴェスタルを倒すことが主たる目的ではない。無論倒せれば儲けものだが、あくまで必要なのは、彼らの気を引いて《七星の王》の詠唱を感づかれないこと、そしてエンガルフをおびき寄せて、《七星の王》が追尾する『印』をつけることだ。
 最も警戒すべきは出撃時だった。門が開いた瞬間を狙ってエンガルフが現れ、騎兵隊を薙ぎ倒しながら城内に入る―――最悪の筋書き(シナリオ)だ。だが、どうやらそれは免れたらしい。
 あの《霊界の長子》の手に掛かれば、ラドウェア兵など競り合いにもならずに虐殺されるだろう。そこを最小限の被害に抑えるには、エンガルフが現れた瞬間にシークェインとシャンクが気を引くことだ。シャンクは最後尾に控えている。背後からの奇襲に備えてだ。
 シュリアストが、何かに気づいた。左手を横に広げる。後続が速度を落とし、やがて止まる。
 ヴァルトの《波紋の刃》のおかげで、森は数百歩に渡って後退していた。手前の木がことごとく切り株になっている。その向こう、森の木々の間に、死せる兵士が数列横隊で展開していた。
「厄介だな」
「めんどくさいな」
 期せず、弟と兄が口を揃(そろ)えた。
 ヴェスタルを守るために配置された兵だろう。矢は城攻めで使い果たしたのか、弓を構える者はない。だが、手前の切り株、その後ろに控える森、いずれも馬の機動力を殺し、撤退をも困難にする。
 かといって、何もせず退いては怪しまれるだろう。シュリアストは馬上で半身をひねり、告げる。
「馬を下りる! 少しずつおびき出して、各個撃破だ!」
 命令に従い、後続の騎兵たちが次々に下馬する。鎧の音が着地とともに鳴り響く。
「ジャルーク」
「はっ」
 浅黒い肌を鎧に包んだ偉丈夫が敬礼する。それから、シュリアストは逆の方向を振り返った。
「それと、……兄」
「兄っておまえ、そんな呼び方あるか」
「後ろを頼む」
「後ろ?」
 シークェインは片眉を上げた。シュリアストは右足を鐙(あぶみ)から外し、自由な左手を支えに危なげなく馬を下りる。
「敵は背後から奇襲をかけた上で、退路を断つだろう。…少なくとも俺がエンガルフならそうする」
 たった一人で退路を断ちうるのがエンガルフだ。まあな、と呟いて、シークェインもまた、槍斧を持ちかえて馬を下りた。ビスタに手綱を預け、騎兵隊に更なる指示を出すシュリアストの横を離れる。ジャルークがその後を追う。
 後尾からの引き攣(つ)れた叫びが聞こえたのは、それから間もなくだった。

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