Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"最初で最後の"
〜Only Once Combat〜

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 果たせるかな、宙に忽然(こつぜん)と出現した闇の塊から、一人の男が現れ出(いで)るところだった。鎖骨まで至る長い亜麻色(エクルベージュ)の前髪に半分を隠された唇が、三日月のようにつり上がる。
「よく来たな、雑兵ども」
 《霊界の長子》、エンガルフ。その登場の勿体ぶり方にラドウェア兵は助けられたとも言える。不意打ちであれば、片手で足りぬほどの死者が出ただろう。
 シャンクは腰に下げた黒い三日月刀に手をかけたが、思い直して愛用の剣を抜く。その隣に駆けつけたシークェインが、背後の兵士たちに向かって声を張り上げた。
「おまえたちは前だ! 作戦を変えるな!」
 心得て、ジャルークが兵を誘導する。それを視界の片隅に、シークェインはエンガルフを呼び立てた。
「おい、おまえ! 一騎打ちって知ってるか」
 エンガルフは顎を上げる。
「知らんな」
「なら、これが一回目だ」
 槍斧の先端を突きつける。エンガルフは興味がないといった体(てい)で、気だるげに首を傾げた。が、その唇が再び残忍な三日月を形作る。
「そんなに勝負がしたいなら…、ククッ、まずはこれを相手にしてもらおうか」
 エンガルフが広げた右手の先に、闇がわだかまった。魔法か、と身構えるシークェインの前で、漆黒の闇は膨れ上がる。やがてその中から、剣の切っ先が現れた。ついで中央に大きな傷のある盾が、鉄靴の足先が、剣を握る手甲が。
 隣でシャンクが引き攣(つ)ったように息を飲むのを、シークェインは意識のどこかで聞いた。
 赤い外套(マント)を身につけ、剣と盾を携えた、血にまみれた鎧の姿。首から上はない。だがその鎧、見覚え以上のものがある。他ならぬ、ラドウェア近衛長の鎧。
「……コ…ウ……」
 シークェインもまた、彼としたことが、目の前の光景を受け入れることに手間取らざるを得なかった。
 コウ・クレイド・ヴェフナー、前近衛長。エンガルフと戦い、シュリアストをかばって命を落とした。刎(は)ねられた首からは白い背骨が覗き、乾いた血が、頸甲から、打ち抜かれた胸甲、腰帯、そして草摺(くさずり)にかけて貼りついている。
 かつてコウであったものが、一歩前に出る。シークェインは一歩下がった。兜の下、冷たい汗が流れ落ちる。槍斧を右手に握り締めたまま、浅い呼吸を繰り返す。
「くそっ……くそっ…!」
「どうした。近衛長相手では戦えないか?」
 エンガルフの嘲笑に、シークェインは我に返った。目を閉ざし、大きく息を吸う。そしてコウを、その向こうのエンガルフを睨みつけ、歯をむき出して笑った。
「やってやるさ」
 その不敵な笑みこそ、追い詰められた時の彼の最大の武器。
 槍斧を両手で構え、切っ先をぴたりとコウに突きつける。
 コウと手合わせをしたことは、ついぞなかった。戦いぶりを間近で見た記憶はただ一度、二人でレキアの暗殺者たちと対峙した時だ。その時はまだ互いの名前すら知らなかった。その後に彼が近衛長と知り、数ヶ月にわたって執拗に勝負を挑んだが、それが果たされることはなかった。―――今の今までは。
「こんな形で、おまえと勝負か」
 訓練ではない、命を懸けた本気の勝負。悪くはない。その上、ここでコウを自らの手で、改めて葬ることができるとなれば、シークェインの望むところだ。
 騎兵隊の誘導と近衛長への伝令から戻ったジャルークが、差し向かう二人を見て抜剣する。
「ここは私が…!」
「……ーク」
 消え入りそうな声に名を呼ばれた気がして、ジャルークは辺りを見回す。
「ジャルーク」
 シャンクだ。もとより色の白い顔はなおさらに蒼白、唇はそれと見てわかるほどに震えている。その唇が、辛うじて声を絞り出した。
「ボクを、押さえて」
 聞き違えたかと、耳を傾け近寄るジャルーク。どこかしら焦点の合わない瞳で、シャンクは続けた。
「シークさんを、殺してしまう」
 その目前で、戦いは始まった。
 シークェインが斬り込む。コウがかわす。薙(な)ぐ。止める。切り返す。受け止める。払う。後退。突く。弾(はじ)く。―――ここまで、両者無傷。
 首を失っていながら、コウの動きにぎこちなさはない。気配を追っているのか、はたまた魔法的な力が働いているのか、それはシークェインの知識の及ぶところではない。いずれにせよ、シークェインの側にはひとつの不利があった。頭部がないということは、目の動きも呼吸もないということだ。動きに先んじるわずかな情報が、ない。
 突き出した槍斧をかわしたコウが、滑るように間を詰める。シークェインは咄嗟(とっさ)の判断で槍斧を手放した。両腕で顔面をかばう。コウの剣先が手甲に当たって逸(そ)れ、兜をかすめ去る。
 出撃時にレリィが全軍に施した全軍鼓舞の効果がなければ、ここまで機敏に動けたかどうかはわからない。シークェインは下がりながら、腰に下げた鎚鉾を腰帯から抜いた。
 既視感(デジャヴ)を覚える。守りの塔の外城壁で、副近衛長ロンバルドと向き合った記憶だ。それが脳裏をよぎるのを感じながら、シークェインは慎重に呼吸する。
 想定していたのはあくまで対エンガルフ戦だ。手にした鎚鉾はあくまでも予備、鎧を打ち抜く形状のものではない。そもそも、死せる前近衛長が打撃ひとつで倒れる可能性はごくわずか。さらにその持つは盾は攻撃を大きく阻む。対して、こちらは鎧の隙間に一撃でも受ければ容易に死につながる。
 だが、怯(おび)えは動きを鈍らせ隙を生む。シークェインは全神経を右腕に集中させた。意識を空白にする。目は動くものだけを捉え、耳は全てを遮断し、呼吸は最低限。
 コウが再び動いた。シークェインは反射に任せて相手の攻撃を捌(さば)く。上段、上段、下段、上段。
 二人の戦いに見入っていたジャルークが、乾いた唇で呟いた。
「速い…」
 人並み外れた巨躯(きょく)とその重厚な鎧から、鈍重な印象のある守備隊長シークェイン。巫女の加護があるとはいえ、ここまでの動きを見せるとは想像しなかった。人間の限界を超えた死者に劣らぬ機敏さだ。
 コウがシークェインの鎚鉾を盾で打ち払う。逆側から斬り下ろそうとする剣を、シークェインは左の分厚い手甲で払いのけ、そのまま大きく踏み込んだ。身長差を武器に、肩から体当たりをする。勢いはさほど強くはなかったが、コウが一瞬よろめいた。
 シークェインは意識を引き戻す。ごく短い呼気と共に、右手の鎚鉾に体重を乗せて殴りつける。コウは盾を構え直そうとするが、間に合わない。結果、鎚鉾は盾の角をかすめてコウの左胸に食い込んだ。
 さすがに体勢を崩すコウ。間髪容れずに、シークェインがもう一撃を叩き込む。不安定な姿勢で鎚鉾を受け止めようとしたコウの剣が、根本から折れ飛んだ。
 シャンクが一歩前に出た。はっとしてジャルークが彼の腕を掴む。シャンクは抵抗しない。唇を引き結んだまま目を見開いて、勝負の行方を見守っている。
 とどめとばかり、シークェインは鎚鉾を振り下ろす。だがそれは軌道の半ばで止まった。剣を手放したコウが、右手で鎚鉾の柄頭を受け止めたのだ。次の瞬間、コウは鎚鉾をシークェインの手からもぎ取った。
 ―――しまった…!
 シークェインが油断したのではない。死者の怪力が彼の予想を上回ったのだ。だがコウの手にも損傷があったと見えて、掴んだ鎚鉾を取り落とす。
 それを拾おうと屈(かが)むコウに、シークェインは再び体当たりした。鎧同士が激しくぶつかり、たまらずよろけるコウ。その胴を、シークェインが右手に力を込めて押し倒す。コウの鎧が音を立てて地面にぶつかった。
 仰向けの胸甲を片足で踏みつける。シークェインは後ろに向かって叫んだ。
「だれか! おれの武器よこせ!」
 足の下、両手両足を振り回して暴れもがくコウ。鉄靴をつかんで退(ど)かそうとするのを、全体重をかけて押さえつけるのが精一杯だ。
 足を退かすのを諦めたコウが、盾の縁でガンガンと足首を殴りつける。シークェインは冷や汗を感じた。足は脛当てに守られている、だがこうなれば盾もまた武器だ。殴られ続けては骨を折るに至る。
「ジャルーク! シャンク! どっちでもいい、早くしろ!」
「―――」
 シャンクが動いた。鎧の音すら最小限、前のめりになりながらもしなやかに駆ける。その後ろで、魂を取り戻したように、ジャルークが顔を跳ね上げた。
「シャンク!」
 見る間にシャンクが地面から槍斧を拾い上げ、方向を転換する。
 その槍斧で、シークェインの背を刺し貫くのではないか。ジャルークの背が凍りつく。兜の下に垣間見えたシャンクの瞳は、果たして正気か否か。
「シークさん!」
 シャンクが走りながら呼んだ。シークェインが振り向きがちに手を伸ばす。その手が、槍斧をしかと受け止め、握り締めた。同時に足を離して二歩下がる。
 決まった。ジャルークは我知らず吐息した。動きを開放されたコウが素早く跳ね起きる。だがそれはもはや勝負の行方を左右しない。
 シークェインは両足で大地を踏みしめ、コウに背を向けんばかりに大きく横に槍斧を構えた。短い気合い。そして―――
 一刀、両断。鎧ごと胴を寸断され、コウの首のない上半身が転げ落ちる。それを追うように、下半身がくずおれた。どろり、と赤黒い液体が切断面からあふれ出す。
 シャンクは息を整えるでもなく肩を上下させていたが、やがて崩れるように両膝をついた。頭から倒れ込もうとするのを、駆け寄ったジャルークが支える。
 シークェインが、白い腰帯を無造作に解き、コウの死体の上に投げた。シルドアラで死者を悼む礼だ。片手を胸に当てて祈りを呟く。
 そして再び目を上げたシークェイン、その天青色(セレストブルー)の瞳が、獰猛に前方を睨みつけた。
 エンガルフ。《霊界の長子》。変わらぬ嘲笑を浮かべている。
 槍斧の血滴を払い、その顔に向かって突きつけた。
「さあ、おまえだ」

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