Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"踏み出した一歩"
〜Start〜

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 エンガルフの背後から、一直線に向かって来る騎兵。止まる気配はない。
 兜に房飾りはなく、体型からしても弟ではない。その事にシークェインは安堵を否めなかった。
 馬上の男は鞍の上に片膝をつき、腰を浮かせた姿勢で突進して来る。エンガルフが気だるげに振り向いた時には、嘶(いなな)きを上げた馬の前足がその額を割らんばかりの距離にあった。
 その蹄を、エンガルフは手のひらで受け止めた。急激に制止をかけられた馬の脚の折れる音が、曇天に響き渡る。エンガルフは蹄を掴んだ片手を振り下ろし、馬を地面に転がした。
 が、その時、馬の主は既に馬上にはいなかった。エンガルフの琥珀色(アンバー)の左目が標的を探す。
 その頭めがけて、ひとつの影が降り落ちた。その手には、刃を下に向けた黒い曲刀。エンガルフの外套(マント)の上からそれを突き立てる―――直前、《霊界の長子》が身を翻(ひるがえ)した。切っ先はその外套を破り肩を傷つけたが、刺さるには至らずに逸れる。
 ―――浅い…!!
 シークェインの位置からも判った。地面を一回転して起き上がったシャンクは、黒い三日月刀を構え直して距離を取る。
「…ほう?」
 横転した馬が足で中空を蹴りながらもがくのを背に、エンガルフは無防備にシャンクに近づいていく。
「私を傷つけうる者は、かの風の王ぐらいのものと思っていたが…」
 そう語るエンガルフの傷が、見る間にふさがっていく。軽く擦(さす)るように手で血を拭えば、そこに傷口は跡形もなかった。
 ―――この男も、再生の力を…?
 切っ先を向けたまま、シャンクは慎重に位置取りをする。ラドウェアでは通常使われぬ形状のその剣を、エンガルフは一瞥した。
「魔導具だな。それでどんなあがきを見せてくれる?」
 答える必要はない。シャンクは全霊をエンガルフの動きの先読みに傾ける。
 息を鎮めたシークェインが、《霊界の長子》の背後で身を起こす。彼に得物がないのは痛手だが、挟み撃ちの形勢は悪くない。
「行くぞッ!」
 常に無言のうちに敵を倒すシャンクがあえて声を張り上げたのは、エンガルフの気を引くためだ。鎧の音を立てながら突進する。
「ふん」
 エンガルフが片手で無造作に剣を掴む―――寸前で、シャンクは剣を引いて跳びずさった。その隙に、後ろからシークェインがエンガルフを羽交い締めにする。
 無防備となったその腹に、シャンクが漆黒の曲刀を突き立て―――ることはできなかった。
 シャンクの体が宙を舞った。そうさせたのがエンガルフの蹴りだったと理解するまでには、間近にいたシークェインも数秒を要した。
「がっ…!」
 シャンクにしてもそれは同じだったのだろう。受け身を取ることもできず、頭から地面に激突する。倒れ伏したその手から、曲刀が離れた。
「小賢(こざか)しい」
 エンガルフは呆然とするシークェインを払い飛ばすと、倒れたまま動かないシャンクに近づいていく。
「さ…せるか!」
 踏みとどまったシークェインが、エンガルフに肩からぶち当たる。並の兵士なら二人は吹き飛ばす体当たりだ。
 が、エンガルフの体はびくともしない。小うるさげに顔をしかめて一瞥をくれ、鎧の首当てをつかむと、自らの重さの倍はあろうシークェインの体を軽々と持ち上げ、城壁に向かって投げつけた。
「っ!」
 鎧を激しく鳴らして石壁に叩きつけられるシークェイン。かろうじて頭をかばう暇(いとま)はあった。地面に転がり落ちる。鎧と鍛え上げた筋肉がなければ、全身打撲では済まなかっただろう。
「くっ…そ、」
 体の悲鳴を聞かず、シークェインは起き上がろうと両手をつく。
 彼に背中を向けたエンガルフが、おもむろにシャンクに近づいていく。シャンクは動かない。生きているのか。それとも。
 エンガルフの進路がわずかに逸れた。その先にあるのは、黒い曲刀。
 ―――まずい…!
 引き留(とど)めようとする全身の抵抗を、音を立てんばかりに引き破って、汗を噴き出しながらシークェインは片膝を立て、前のめりに立ち上がろうとする。だが、間に合わない。
 《霊界の長子》は、剣の柄の中央の黒い宝石に足を乗せ、ためらいなく踏みつぶした。
 ピシリ、という音と共に、一瞬空気を震わせて消える波動。それが、魔導具が完全に機能を停止した際に生じる音だと、知識にはなくともシークェインは悟った。
「さて。どちらから殺してやろうか」
 終焉、という言葉が脳裏をよぎる。が、その時、倒れ伏したシャンクの手がわずかに動いたのを、シークェインは見逃さなかった。
「エンガルフ!」
 とっさに声を上げる。《霊界の長子》が振り向いた。
「おまえの目的はなんだ! なんでヴェスタルと組んでる!」
 何を今更、と言わんばかりにエンガルフは顎を上げる。
「目的? 巫女だが?」
「なんでレリィを狙う!」
「力ある者が力ある者に惹かれるのは当然の理(ことわり)。レリィを愛している、それだけだ」
 肩で息をしながら、シークェインはようやく両足で大地を踏みしめて立つ。ふらつきそうな体に込めたありったけの力が、眼光にも表れエンガルフを貫く。
「レリィが…、力ある者、だと?」
「ほう。何も知らぬか、愚か者が」
 エンガルフの唇に、薄い笑みが浮かんだ。遠く、巨大な魔動人形の姿に目をやる。
「お前たちと遊ぶ時間はもう少しある。あの城壁が壊れるまでだ」
 魔動人形が壁を打つ音が鳴り響く。まるで秒読みだ。シークェインはそう感じた。


◇  ◆  ◇


 首元の魔導具が小さな音を発した。すぐさま応答する。
「ティグレインだ」
『作戦…を、変更して…ください』
 途切れ途切れのかすれ声。自らの生命を絞り出すようなその声それ自体では、誰であるか判断しかねた。が、その口調で、なおかつ今危機に立たされているであろう者の名を挙げるのは難しくない。
「シャンクか」
『すぐに…《七星の王》を。今なら…エンガルフは…地上にいる』
「場所は」
『…北門双塔…。時間を…稼ぎます。だから…早く…!』
 声はそこで途切れた。ティグレインはしばし待ったが、続く様子はない。隣のヴァルトがちらりと目をやる。
「失敗した?」
「…その様だ」
「よし、やっちゃお」
 何を、とティグレインの灰色の瞳が問う。
「《七星の王》。詠唱準備開始しちゃいましょ」
 ティグレインはぎょっとした。ヴァルトが言うからには勝算あっての事だろう。しかし、それでもなお不安は残る―――否、不安ばかりだ。
「仮にエンガルフが霊界に逃げたならば、」
「百年」
 真っ直ぐに前を見つめるヴァルトの焦点がどこに結ばれているのか、ティグレインには判らない。
「百年だけ、エンガルフを動けなくさせる。今確実にできるとすれば、最大そこまで」
 譲歩だ。倒すに至らずとも、百年の間封じ込める事ができるならば御の字だろう。
「可能である、との保証は?」
「ヴィル次第、かな」
「ヴィルオリスが如何に関係する」
「生きてると思う?」
 その問いの意味もまた、ティグレインには解らない。指先が無意識に、顔の火傷の痕をなぞる。
「生きて居(お)らぬ可能性が高いと言ったのは貴殿だが」
「うん。でも今回の《七星の王》、アイツも必要なんだわ」
 ティグレインの呼吸が引き攣(つ)った。
「何を今更…! かの者が居らぬ事はとうに承知の上であろう!」
「や、本人がここにいる必要はないんだけど、過去の名前じゃ均衡(バランス)崩すから」
 相手に理解を求めるわけでもない、独り言めいた口振りだ。そして、ティグレインの方に顔を向ける。いつもの悪戯(いたずら)な表情に苦笑を一匙(ひとさじ)混ぜて、ヴァルトは片目をつぶった。
「迷ってんのよ、これでも一応」
 ティグレインははっとした。一国の運命を担うのだ、ヴァルトといえども迷わぬはずがない。余裕ありげな様子と過去の行いの精確さから、つい頼り切っていた。
 昔のヴァルトならば、むしろ何も告げずに実行しただろう。迷いを表に出さなかったのか、はたまた迷いなどなかったのか。滅ばば滅びよ、そんな投げ遣りさもかつての物言いに感じ取れたヴァルトだ。その彼が今、迷っているとはっきり言った。
「…ヴィルオリスは、」
 口にしようとしているのは単なる希望であり、それ以上のものではない。言ってはならない、と常の自分が引き留める。過去、魔導長としてラドウェアを守ることが多かれ少なかれできたのは、緻密に最善の道を探す努力をしてきたからだ。緩んだ歯車など用を成さない。
 それでも、今。ヴァルトの背を押さねばならないと、ティグレインは強く感じた。魔導長であるティグレイン自身もまた、責任を引き受ける覚悟をしなければならない。否、魔導長だからではなく、ヴァルトに背を預けられた人物としてだ。ゆえに、力を込めて宣言する。
「ヴィルオリスは―――生きている」
「だよね」
 ヴァルトの即答が、待っていた答えだと告げる。
「オッケー。やりますか」
 パン、とひとつ手を叩いて、《漆黒の魔導師》は挑戦するように天を仰いだ。

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