Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"浮上"
〜Coming to the Surface〜

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 白い浮遊円盤が石畳すれすれを低空滑走する。その上で均衡を取るのは、副魔導長カッシュ。彼の茶褐色の瞳が、前方に騎馬の群を捉えた。門をくぐって帰還した騎兵たちだ。
 間もなく、兜に赤い房飾りをつけた近衛長シュリアストを識別できた。カッシュは隊の進路を妨げぬよう、大通りの脇に浮遊円盤を寄せて進む。シュリアストの方もまた、カッシュに気づいた。
「全軍前進! このまま城へ戻れ!」
 近衛長の命令を受け、ジャルークが代わりに先頭に立って隊を誘導する。シュリアストは列を離れ、カッシュの行く手を遮るように馬を止めた。
「どうしたんだ」
「ちょっと様子見な」
「何の」
「いいじゃねえか」
 シュリアストは城壁を振り返った。この先に残されている者は、限られている。
「…エンガルフか」
 兄か、と言わなかったところに、いまだ残る兄弟の葛藤をカッシュは感じた。シュリアストは険しい顔をする。
「あんたは戻ってくれ」
「断るね」
「言いたくはないが…近衛長の命令だ」
「悪いな、魔導師団は近衛長の管轄じゃねえんだよ」
「俺が行く」
 耳を疑う余地なくはっきりと届いた。カッシュは目を剥(む)く。
「おい、そりゃまずいだろ。ティグのヤツが何て言うか…」
「近衛は魔導長の管轄じゃない」
「そういう問題じゃねえよ」
「あんたが行って、万が一《七星の王》に人が欠けたらどうする」
「一人ぐらい大丈夫だっての。ま、その前に拾って来るさ」
「無理だ」
 きっぱりと、シュリアストは言い放った。その物言いにカッシュは眉を跳ね上げる。が、このシュリアストが、エンガルフと交戦して生き残った唯一の人物であったことを思い出した。あの血みどろの戦場から帰還していながら、剣を持てなくなるような心の傷にならなかったのは、十分に驚愕に値する。だが。
「てめえなら何とかなるってのかよ」
「…ならない可能性は高い」
「よし、わかった。二人で行くぞ」
 カッシュは降ろしていた片足を浮遊円盤に乗せる。止められたところで聞く気はなかった。察してか、シュリアストが素早く問う。
「霊界に行く方法はあるのか?」
「ねえけど、一回は地上に出てくるだろ、奴は」
「だが、」
「どこに現れるかって? 探すしかねえよ」
「…………」
 シュリアストはうなずいたようだった。馬首を巡らせ、外門に向けて大通りを駆け出す。カッシュは浮遊円盤を操り、それに並んた。


◇  ◆  ◇


 曇天の空と城壁とが目に入った。正確には、目に入っていたことをようやく認識した。
 全身の震え、荒い息、滝のような汗。心臓に爪を立てられたかのような恐怖が、心身を蝕(むしば)んでいた。時間を奪われたかのように、ぽっかりと記憶に穴が空いている。その間に何が起こっていたかは判らない。
 速い呼吸は収まらない。見開いた目の表面が乾いていく。心臓の鼓動に鼓膜が破れそうだ。
「霊界の闇の中で狂い死なすも悪くはないが…」
 クックックッ、と男の声が笑った。耳に入ってから頭に届くまでのいくばくかの時差を経て、つい先刻まで自らの体のあった場所が霊界だったと知る。
「見てみたくなったのでな。貴様が血を流し地面に這いつくばって許しを乞う姿を」
 瞳を、動かす。模様の入った衣をまとい、自分を見下ろす男の姿。この男は何者だったか。そもそも自分は何者だったか。
『都では必ず本名を名乗りなさい。わかりましたね、シークェイン』
 混乱の間を縫って届いた声は、遠い記憶の母の声。
「………、…う…」
 震える唇の隙間から、ようやく声が出た。同時にそれが己の声だと認識する。
 かつては体の一部のように動いていたはずの鎧兜が、ひどく重い。それどころか、己の体そのものすら、意のままに動かすことができなかった。血が通わぬ冷たい指先を、かろうじて拳に握り込む。
 横隔膜を震わす恐怖を抑え込むように、深呼吸をひとつ。意識的に生気を取り戻しながら、地面に投げ出された腕を引き寄せ、腹筋に力を込め、シークェインはおもむろに上体を起こした。
「……エンガルフ」
 記憶が焦点を結ぶ。レリィを付け狙う《霊界の長子》。
「きさまは、許さん」
「許さん、だと? 私が貴様に許される必要がどこにある」
 エンガルフは顎を上げて、シークェインを傲慢に見下ろす。その態度で、凍りついていた心が炎を取り戻した。
「レリィはおれのものだ!」
「それは生憎だ。貴様はもうじきここで死ぬ」
 その台詞が合図になったかのように、シークェインは跳ね起きた。エンガルフの喉元に両手を伸ばす。
 得物はない、だがそれはエンガルフも同じ。体格では圧倒的に勝っている。ねじ伏せる自信はあった。
 だが。
 前から、次の瞬間には後ろから、衝撃を受けた。急激すぎる動きに、兜と頭蓋骨に守られているはずの脳が揺さぶられる。
 危うく暗転から復帰した視界に、蹴りを放った姿勢のエンガルフが見えた。シークェインの体が、城壁からはがれるように崩れ落ちる。ガシャリと鎧の音が鳴る。
 両手両膝をつき、立ち上がろうとしたが、果たせなかった。腹部に痛みと圧迫感を覚える。見れば、胸甲が大きくえぐれるようにへこんでいた。
 ―――なん、だと…!?
 もともと攻撃を受け流す形状、加えてシークェインのために特製された分厚い胸甲。正面から両手剣や斧を受けたところで耐え切る鎧だ。それを蹴りひとつで大きくへこませ、なおかつ大の男と鎧を合わせた重量を壁まで吹き飛ばした。
 エンガルフは両腕を広げる。まるで天に向けて挑戦するさまをシークェインに見せつけるかのように。
「さあ、私を恐れよ。ひれ伏すがいい、力の前に」
 へこんだ鎧に押された胃が苦痛を訴える。だが体の起こす訴えはそれだけではなかった。
 ―――まずい
 ―――まずい……
 ―――体が
 ―――体がっ…!!
 膝が。指先が。腿が。全身が。音を立てんばかりに震えている。食いしばって耐えようとした歯すらも、滑稽なほど高い音で鳴る。
 ―――くそっ……!!
 冷や汗が背を濡らしていく。呼吸が追いつかない。先刻の霊界の闇が、記憶のどこかから甦(よみがえ)り、背筋を冷たく焼く。
 そこへ、高らかな蹄(ひづめ)の音を立てて近づいて来る一騎があった。

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