Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"こぼれた胸中"
〜Real Intention〜

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「お帰り!」
 帰還した騎兵隊を、本丸から駆け出たディアーナが出迎える。ジャルークは馬を下りて最敬礼した。彼に笑いかけた後、琥珀(アンバー)の瞳は落ち着きなくジャルークの肩の向こうを見やる。ジャルークは女王の懸念を察した。
「近衛長は、」
 その単語に、はじかれたように栗色の髪を舞わせてディアーナが反応する。
「カッシュ殿と共に離脱されました。恐らくは兄君を探しに」
 ディアーナの吸気が聞こえた。琥珀の瞳が見開かれる。が、一瞬の後には、女王は笑みを取り戻していた。
「わかりました。報告ありがとう、ジャルーク。間もなく《七星の王》の詠唱が始まります、皆も本丸か中庭に避難して」
「…良いのですか、魔導師団に停止命令を出さずとも」
 城の外に残っている者がいる。シークェイン、シャンク、そしてシュリアストとカッシュ。
 ディアーナは毅然と顔を上げる。
「止めません。《七星の王》を発動する機会は今しかないから。それに、」
 珊瑚色の唇が微笑んだ。
「大丈夫。帰ってくる。シークもシュリアストも、必ず」
 それが彼女の単なる希望なのか、はたまた計り知れぬ力を持つという《龍の血の女王》の予知なのか。後者であれと祈ることしかジャルークにはできない。
 城壁から引き上げた守備隊が、騎兵隊の後ろに群を成している。ジャルークは再び最敬礼し、馬に跨(またが)った。中庭に馬をつなげなければならない。
 城に収容された民には、決して城から出ぬよう近衛と文官が手分けして勧告を続けている。先ほどまで自身もその役目を負っていたディアーナが、次は守備隊を迎え入れに走り出す。
 ジャルークは馬上で振り返った。城正面の高い台座の上、《暁の女王》シャリュアーネ像の背が見える。初代女王。一列横隊で整列した魔導師団を力づけ、その身を以(もっ)てしてラドウェアを守らんとするかのようだ。《七星の王》が暴走すれば、あるいは魔導師団の防壁が耐え切れなければ、彼女もろともラドウェアは終わる。
「…頼みます」
 誰にともなく、ジャルークは呟いた。

◇  ◆  ◇


「何だってぇ?」
 カッシュは問い返す。前を行くシュリアストの鎧の音に遮られて聞き逃した。通信の魔導具の向こう、魔導長ティグレインが繰り返す。
『これより《七星の王》の詠唱に入る』
「マジかよ」
 カッシュは口笛でおどけて見せようとしたが、乾いた唇からは気の抜けた息が漏(も)れたにとどまった。
 守備隊は撤退し、門は閉まっている。二人は一旦塔の階段を登った上で、落下軽減の魔導具を使って城壁を降りる作戦を採(と)っていた。
 階段を駆け上る両脚が重い。今にも攣(つ)らんばかりだ。連日、体を酷使し続けた報いだろう。一段一段を踏みしめ、意識して力を込めながら上る。
「で、あいつらの、場所は?」
『―――』
 また聞き逃したかと耳を近づけるが、魔導具が響いた感触はない。
「連絡来て、わかったから、七星やるんだろ? ケチケチすんな、教えろよ」
『…北門双塔だ』
「承知!」
 魔導具から耳を離し、前に向かって声を張り上げる。
「《七星の王》の詠唱、始まるってよ!」
 シュリアストは振り向きもしない。
「分かった、あんたは戻れ!」
「あぁん? てめえが戻れ、近衛長!」
 息を乱しながら、二人は螺旋階段を駆け上がっていく。
「俺は、」
 疲れがそうさせたのか、辺りに満ちる死の気配がそうさせたのか。呼吸に乗って、シュリアストの言葉があふれ出る。
「俺は元々、人でなしだ。あいつを、見捨てることは、簡単にできる。だが、」
 ふわり、と流れた湿った風に、濃い腐臭が混ざる。シュリアストは素早く剣を抜いた。
「山ほど借りを抱えたままで、あいつを死なせるつもりはない!」
 胸壁を乗り越えたらしい不死の兵が、螺旋(らせん)階段の上から現れる。槍を持ってはいるが、恐らく生前は村人だろう。肉はそこかしこ腐り落ち、破れた質素な衣服から覗く腹には、不自然なほど白い蛆(うじ)が犇(ひし)めき合って蠢(うごめ)いている。
 階段は人ひとりが通れる幅しかない。それも、下から上への攻撃を阻む右回りの螺旋だ。シュリアストは最小限の動きで剣を突き出し、手応えなく刺さった剣先を薙(な)いで、相手を壁に叩きつけた。死人の手を離れた槍が、主の後を追って倒れる。
 すぐ後ろから二人目。バンシアン兵らしき軽装に、素手だ。シュリアストは剣を収める。
「離れろ!」
 シュリアストの声に、カッシュは何事かと構えたが、その警告の対象は自分の他にない。跳びずさるように距離を取る。
 シュリアストは死者の腕を掴み、気合一閃、相手の勢いを利用してその体を投げた。不死者の体が弧を描き、数秒前までカッシュがいた位置に叩きつけられる。弾みで胴体が無惨にちぎれ、蛆が飛び散った。
 シュリアスト・クローディア、シルドアラから海を越えてやってきた兄弟の弟。剣の腕は一流、と聞いている。それが体術までもこなすとは知らなかった。同じく体術を得手とするカッシュの目から見ても、感嘆に値する動きだ。鎧が枷(かせ)になるものと思っていたが、その認識からして改めざるを得ない。
 脇目もふらず駆け出すシュリアストの後を追って、もがく二体を踏み越え階段を上る。
「確かに俺は、近衛長だ! だが、」
 シュリアストは話を再開した。
「俺は、シークェイン・クローディアの弟だ! 本気であいつを、何とかする気があるのは、そうできるのは、今、ここにいる俺だけだ!」
「精神論でどうこうなるもんじゃねえっつの!」
 駆ける二組の足が、床に点々と落ちた蛆を踏みつぶす。
「ま、嫌いじゃねえぜ。つき合ってやろうって、思う程度にはな! ―――あいつら北門だってよ!」
 返事の代わりに、シュリアストは足を早める。次の敵が現れた。シュリアストは一瞬のうちに槍を奪い取り、脚を払う。カッシュは壁にへばりつくようにして、階段を転がり落ちる死者を避ける。
 現れる不死者らを、文字通りちぎっては投げながらシュリアストは進む。だがその動きが、一人倒すごとに重く鈍くなっていくのを、後ろを行くカッシュは見逃さなかった。
 視界が開けた。踊り場に出たのだ。
「よぉし、オッサンにも出番よこせ!」
 有無を言わさず、シュリアストの前に走り出る。その勢いのまま、跳び蹴りで一人を蹴倒した。拍子に、頬に腐った汁を浴びる。腐臭を嫌って手の甲で拭(ぬぐ)ったが、どのみち汗で流れ落ちるだろう。
「よし。片がついたら、飲もうぜ!」
 汗だくで大口を開けて肩で息をしているカッシュに、それと大差ないシュリアストは、微苦笑したようだった。
「片が付いたら、な」
「つけるんだよ!!」
 力強く宣言され、苦笑が微笑に変わる。
 決着が付くまで、あと少し。

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