Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"最後に、ひとつ"
〜Departure〜

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「―――先に言えっての!」
 思わず怒鳴りつける。通信の魔導具の向こうでモリンは首をすくめただろう。
 カッシュは咄嗟(とっさ)に頭を巡らせる。
 ―――どうする。
 ティグレインから魔導具一式を受け取った時点では、おおよそ八割の確率で、ラドウェアの外城壁やあの巨大な魔動人形と運命を共にすることになると思っていた。霊界でシークェインやシャンクと共に、「無茶言いやがって」と、一足遅れて来た魔導長を散々なじるつもりだった。
 だか、シュリアストが強情について来た。三人目の命を預かってしまった。話は変わった。
 シュリアストは現近衛長、ラドウェアを守るために常に先頭に立つべき人物である。ゆえに本来ならば、個人的な感情に任せて死地に突入するなど言語道断だ。だが、カッシュには止められなかった。止められなかったが、そのまま死なせる覚悟がない以上、どうにか生かして返すしかない。
 何より、シュリアストは女王ディアーナの―――本人たちが素直に認められるかは別として―――恋人だ。なおさらこの場にいてはいけない人物だ。断じて道連れにはできない。それもまたカッシュという一人の人間の個人的な感情だとしてもだ。
 ―――どうする。
 エンガルフを倒すなら今しかない。だが、再生の力を持つ者をどう倒すというのか。心臓を一突きにすれば勝機はあるだろうか。保証できる者は誰もいない。
 ゴゴウ、と空が鳴った。臓腑(ぞうふ)に重く染み込むように響き、上澄みが息の弾(はず)む唇から抜けて後方に失せる。見上げた空、光が分厚い雲を裂き、次の瞬間には消える。縦に、横に、光は天を走るごとにその間隔を狭めていく。
 ―――ダメだ、時間がねえ。
 カッシュは走りながら両腕の刃を納めた。勢いを緩めぬまま急旋回し、うつ伏せて倒れているシークェインの方へと進路を切り替える。目線をよこしたシュリアストに、腕を勢いよく振り上げて「来い」と合図する。
 だがシュリアストは従わなかった。エンガルフを葬る好機と見てか、重い腕を押して再び剣を振り上げ、振り下ろす。
 が、エンガルフは転がってかわした。剣先が湿った土を噛む。
「シュリアスト!」
 カッシュは苛立ちを顕(あら)わに呼び立てる。聞かず、シュリアストは剣を逆手に持ち替え、仰向けのエンガルフの首元に突き立てる―――寸前、剣先を片手でつかまれた。
 目が合う。ディアーナと同じ、琥珀色(アンバー)の瞳。
 シュリアストは極度の疲労と、エンガルフは超常の脱力と戦いながら、互いに歯を食いしばり、腕に力を込める。
 シュリアストが剣に全体重をかける。コウの遺志の宿った剣先が、霊界の長子の喉元を狙ってじりじりと下がる。それを止めるエンガルフの手指から、血が滲(にじ)んではかき消えていく。その身に流れる龍の血の力だ。
 天からの光に明滅する、エンガルフの顔。額には汗。頬にはりつく髪。眉間に深く刻まれる皺(しわ)
 自分も同じ顔をしているのだろう。シュリアストはどこか離れた場所から己を見たかのように、そう思った。
 目まぐるしく瞬く光と闇、そして幾重にも重なり合う轟音。この世の終わりのごとく現実離れした光景だった。時が動いているのかどうかさえ危うく感じられる。
 エンガルフは左手を持ち上げた。己の喉を狙う剣の腹に当て、横から力を加えていく。弱っているとはいえ人ならぬその怪力を受けて、剣身が震えながら徐々に徐々に曲がっていく。
 天の鳴動はもはや、矮小(わいしょう)な人間の存在そのものを押し潰さんばかりだ。潰されぬよう、かき消されぬよう、カッシュは腹の底から声を発する。
「シュリアスト、来い! 時間がねえ!!」
 シュリアストがこうも粘ると判っていれば、カッシュが加勢してエンガルフを葬ることができたかも知れない。だが時を戻すことができぬ以上、もしもの話に意味はない。
 死ぬ気か。本当に、何もかもを放り出して死ぬ気なのか。そうカッシュが疑いを向けた瞬間のことだった。
「……くっ!」
 ついにシュリアストは手を離した。双方の力から開放された剣が、弾けるように宙を舞う。その行方を見守ることなく、シュリアストは身を翻(ひるがえ)してカッシュのもとへ駆ける。
 あとは―――シャンクだ。倒れ伏したまま動きはなく、顔は兜で窺(うかが)えない。自力で立ち上がるのは難しい、そう判断したカッシュは再度シュリアストを向いた。どちらからともなくうなずき合う。
 重量を伴って轟く音が、隙(すき)あらば二人の足を地面に縫い付けようとする。逆らって、カッシュは全力でシャンクの方へ走った。一方のシュリアストは、そのまま兄のそばに膝をつく。
 シュリアストとて腕力に自信はあるといえ、いかんせん相手は巨漢シークェインと、彼だけのために誂(あつら)えられた特別製の分厚い鎧だ。転がすように仰向けさせ、背中から脇に腕を入れて抱き起こす。
 強烈な血の匂いがした。流れ出たシークェインの命の源が、己の鎧の胸当てにべったりと付着するのを感じる。
 我知らず、手が震えた。命はあるのか。あるとして、その炎はいかほど保(も)つのか。鼓動が胸を、鼓膜を、激しく打ちつける。己の体内に別の生き物が暴れている心地がした。
 カッシュがシャンクの上半身を抱え、彼の足を引きずりながら駆け寄って来る。
「シークから離れんな! 対魔結界持ってるから!」
 言いながら、カッシュは光瞬く天を見やる。まるで巨大な透明の円柱が城の上に立っているかのように、暗雲がゆるゆると円を描いて巡っている。
 ―――間に合うか?
 カッシュはシャンクをその場に下ろすと、ティグレインから預かった袋の紐を震える指で解いた。中身を地面にばらまく。全てが一級品の魔導具だ。そのほとんどを失う結果、作り主から食らう小言の量はこれら魔導具の数と価値の積に等しかろうが、それも生きて帰ることができればの話だ。
 目的のものを見つけた。赤い宝石の指輪。怪力の指輪だ。すぐさま左手の中指を通すと、右腕にシークェインを、左腕にシャンクを抱えた。シークェインの巨体は腕に余ったが、鎧の脇から半ば無理やり手を差し込み、己の首を支えにして固定する。
「つかまれシュリアスト! 手ぇ離すんじゃねえぞ!」
 語尾が吸い上げられるように空へ消える。轟々と耳を圧していた音は、いつの間にか止(や)んでいた。否、正しくは止んでいないだろう。魔法の発動に伴う魔力風が、地上のあらゆる音を攫(さら)っているのだ。
 シュリアストが何か言ったかどうかはわからない。だが鎧の腕が背中から回り、彼とシークェインの隙間を埋めるように、がっちりと固定したのを感じた。
 指輪をはめた左手に、カッシュは魔力を込める。両腕に幾分か力を加えただけで、二人の体は簡単に地を離れ持ち上がった。続いて、首元の浮遊の魔導具を発動させる。ふわりと全身が浮き、両足の靴底から大地の感覚が消えた。そのまま、じわりじわりと四人の体は上昇して行く。
 煌(きら)めく視界に目がくらむ。空を仰げば、光の渦はすぐ頭上にあった。範囲を広げながら緩慢に下りつつある渦、その中央に向かって吹きすさぶすさまじい魔力風に、シルドアラ兄弟の真紅の外套(マント)が激しくはためく。浮遊の魔導具で高さを調整しながらも、気を抜けばあの渦に吸い込まれて肉体が四散する、そんな想像がカッシュの背筋を凍らせる。
 目を下ろせば地上では、見えざる力に押しつけられていたエンガルフが、どうにか体を横に転がしてうつ伏せるのが見えた。誰もいない前方に右腕を伸ばす。その指の先、空気がわだかまって濁り落ちたかのように、闇が生じる。と思う間もなく、闇は空間を食らって領域を広げる。
 直感的にわかった。霊界の口を開けたのだ。
 逃げられる。《七星の王》の威力の届かぬ場所へ。だが、今の状況ではどうすることもできない。渾身の力を振り絞っているであろうエンガルフが霊界の口ににじり寄るのを、徐々に遠ざかる視界の中央に捉(とら)えて凝視するのみだ。
 その時―――カッシュの片腕が、強い力で振り払われた。


◇  ◆  ◇


 ―――最早(もはや)
 ―――最早、間に合わぬ。
 魔力の放出による高揚に晒(さら)されながらも、ティグレインは後頭部から項(うなじ)にかけて、凍りつくような冷たさを感じていた。
 詠唱が、間もなく終わろうとしている。何度も何度も最後まで確認した文字の並びだ、終わりが分からぬはずもない。
 カッシュは。シャンクは。シークェインは。シュリアストは。命を吹き飛ばされ欠片(かけら)も残らないだろう。この手で発動させる超級魔法の、想像を絶する威力によって。
 燃えさかる光の中、ティグレインは視線を横に滑らせ、隣に立つヴァルトを見やる。
 ルニアス。ヴァルトは確かに言った。「我 《黒耀の魔導師》ルニアス」と。
 その名には聞き覚え以上のものがある。ラドウェア初代魔導長だ。おとぎ話にも登場するその名を耳にせぬ者は、言葉知らぬ赤子くらいのものだろう。
 だが、ティグレインはそこで自ら思考を止めた。体内の魔力の流れを滞らせぬよう、目を閉ざして意識を集中する。だがその必要もなかっただろう。抗(あらが)いようもない強い力に、全身から魔力が吸い出されて行く。
 立ちこめていた霧が、出口を見つけたように流れ出す。頭上に広がる無窮(むきゅう)の天へと、渦巻きながら吸い上げられ、太陽の光が地上に届く。ティグレインは再び薄く目を開けた。眼下に再び広がった、壊滅した城下街。これが見納めになるのだろう。この命は、もうじき終わる。
 ―――さらばだ、ラドウェア。
「させませんて」
 耳に聞こえたのか、体に響いたのか、定かではない。確かなのは、それがヴァルトの声だということだ。
 ティグレインは、我知らず笑みを浮かべた。穏やかな、されど挑戦的な笑みだ。再三、思い出す。運命に抗うと決めたことを。
 詠唱は最後の行に差し掛かる。時が、来る。胸を激しく打つ鼓動は、緊張と覚悟によるものか、強すぎる魔力の流れに人の体が精一杯抵抗するがゆえか。
 ヴァルトの手から、漆黒の短刀が離れた。垂れ込めた雲に、魔力光が穿(うが)った巨大な穴。その中央に吸い込まれて行く。そして―――
 ヴァルトの唇が、最後の詠唱を刻んだ。
「汝らが手より 放たれし 剣束ねて ひと所に落とせ!」

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