Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"潰(つい)える宿望"
〜Ambition has Collapsed〜

<<前へ   次へ >>
 突如、エンガルフが片膝をついた。何事か―――カッシュもシュリアストも、当のエンガルフでさえも、起こったことを理解できずに瞠目(どうもく)する。
 その隙を逃す道理はない。シュリアストは剣の柄を手離すまいときつく握り締め、エンガルフの脳天めがけて振るう。だが素手で無造作に弾かれた。後ろに数歩よろめく。
 攻撃を受けてもなお、エンガルフはシュリアストに注意を向けはしなかった。シュリアストは息を整えながら注視する。
 《霊界の長子》は、片膝にとどまらず、背を丸めて左手をついた。
「力が、抜ける…だと?」
 琥珀色(アンバー)の瞳は見開かれ、未だかつて何者も見たことのないであろう驚愕の表情を顕(あら)わにしている。
「馬鹿…な……。何者だ……。この《霊界の長子》に…干渉するのは……何者だ…!!」
「シュリアスト!」
 今しかない。カッシュは走り寄りながら叫んだ。その語尾をかき消すかのように―――
 ゴウン、と空が鳴った。


◇  ◆  ◇


 地を這っていた霧が、低くたれこめていた雲が、ゆるゆると動き出す。静かに、やがて勢いをつけながら、巻き上げられていく。ラドウェア城の上空へ。
 頃合を、誰に教えられるともなく知っていた。すう、と息を吸い、 モリンは声を張り上げた。
「防御結界、展開!」


◇  ◆  ◇


 霧が渦を巻いて吸い上げられるその様は、森に身を潜めるヴェスタルにも確認できた。渦の中央、ぽっかりと雲に空いた穴からは、目に痛いほどの青空が覗いている。その様は、「地より天へ我は希(こいねが)う」で始まる詠唱系魔法を想起させずにはいない。―――ただし、その規模が、尋常ではなかった。
 ラドウェア本城の真上に空いた穴は、やがて城を飲み込みうるほどに広がる。光が差し込む。今にも、城が地を離れて天へと浮かぶのではないかとすら思われた。
「これは……よもや……」
 《波紋の刃》、《崩落の饗宴》、《氷結の沈黙》。いずれも詠唱系の最上級魔法だ。それらをも超える魔法。ありえない。ありえない、はずだ。が。
 歴史上ただ一つ、超級魔法が存在することを、ヴェスタルは知っている。数々の国を滅ぼした、今となっては唱えうる者のないはずの禁忌魔法を。
「馬鹿な…! 国ごと滅び去る気か?!」
 おかしい、とは感じた。あのヴァルトがそのような捨て鉢な作戦を採るとは思えない。だが。
「エンガルフ! エンガルフ!!」
 退路の確保は、この瞬間に何にも勝る優先事項となった。
 いかに龍の血に七界を渡る力があるといえども、ヴェスタルには霊界において闇に沈むことなく正気を保つのが精々だ。入り口を開けるのは、《霊界の長子》エンガルフに他ならない。
「エンガルフ! どこにおる! エンガルフ!!」
 応(いら)えはない。焦りが思考を圧迫していく。 見開いたままの暗灰色(ダークグレー)の瞳が、再びラドウェア城に向けられた。
「おのれヴァルト…、うぬだけは…!」
 空へと巻き上がる魔力の奔流、その源は、本城(キープ)の屋上にいる。もはや猶予はない。 ヴェスタルは両の手を構えた。その手の中で、魔力が光となって膨れ上がる。
 あの規模の詠唱系魔法を中断させればどうなるか、無論のこと知らぬわけではない。ともすれば城全体が吹き飛ぶだろう。龍の血の女王の命をすら巻き込んで。
 だが、ヴェスタルは躊躇(ためら)わなかった。魔力球の膨張が止まり、次いで凝縮を始める。
「ヴァルト…!」
 鬼気迫る顔。首に、頬に、額に走る継ぎ目。血管が白目を覆い尽くす。魔力を制御する手、その甲が、負荷に耐えきれず紐状に弾けた。魔力風にゆらゆらとたなびくそれは、もはや再生の力を持たぬことが見て取れる。
 ぐるり、と暗灰色(ダークグレー)の瞳が裏返り、血まみれの白目が露出する。魔導師の全身ががくがくと震える。今や魔力を制御しているのは彼の意識ではない、執念だ。
「お、のれ……ヴァル…ト……!」
 喉奥から絞り出すような声。重力に逆らうように徐々に上げた両手を、ヴェスタルは魔力の弾から引き千切るように放した。
「うぉ…ああぁ…!!」
 放たれた光が、轟音を立てて大気を切り裂く。ラドウェアの城、その屋上めがけて一直線に。
 だがヴェスタルがそれを見届けることはなかった。鼓膜が破裂し、両の耳から真紅が弾けるように噴き出す。開いた口と鼻からも血が舞った。赤い軌跡を描きながら、魔導師は倒れていく。地面に顎を打ちつけ、その衝撃で首がへし曲がる。鈍い音がした。それは果たして、永く己を縛っていた何かから開放された音であったかどうか。
「ヴァルト……シェード……」
 こぼれ落ちる血の泡を縫って、いくつかの名が漏れ出る。それらの名を自らの口で、最後にこの世に刻みつけんとするかのように。
「ティグレイン…………アリ…エン…………マリ……エ…ナ……」
 ヴェスタル・シュラック。龍の血に魅せられ、魔力を使い果たした者の末路だった。


◇  ◆  ◇


「―――、」
 モリンは息を飲もうとし、同時に声を出そうとした。結果、引き攣(つ)れた吸気が 咽をせき止める。
 一瞬の事だった。遥か彼方から、光。それを知覚した瞬間、上空で凄まじい爆音。緊張にはち切れそうな心臓を貫く振動。
 魔導師団の面々に動揺が走った。だが《七星の王》の発動にしては早すぎる。威力も明らかに小さい。何より、屋上、二人の術師の目前での爆発。何者かが彼らを狙った。恐らくは―――
「ヴェスタル…」
 魔法防御結界の前に散った光に、ヴァルトが呟く。
 ヴェスタルの渾身の、最期の一撃は、ヴァルトに届くことはなかった。ラドウェアの城と術者たちは守られたのだ。魔導師団の展開していた防御結界によって。
 もはや何の痕跡も残らぬ爆発の跡を、モリンは呆然と見上げる。その頭を、ふとよぎったものがあった。屋上の二人を守った防御結界。―――そう、防御結界。
 ―――『耐魔具だ。《七星の王》から、僅(わず)かなりとも身を守り得る可能性が有るやも知れぬ』
「カッシュさん!」
 記憶が閃いた瞬間、通信の魔導具に向かって叫んでいた。
「シークェイン様を! あの方が防御結界持ってる!」

<<前へ   次へ >>
▽ NARRATIVEインデックスへ戻る ▽