"年に一度は"
〜Once a Year〜

七夕(現代パラレル)

 七夕。夫婦となってそれぞれの仕事を怠ったがゆえに天帝の怒りを買い、天の川を隔てて引き離された織女と牽牛が、年に一度、見(まみ)えることが叶う日だという。
 そんなロマンチックな神話と無関係に、コウ・クレイド・ヴェフナーは、居酒屋でシャンクを相手に管(くだ)を巻いていた。おおよそ、年に一度。その頻度であるからシャンクの方にも余裕があると見えて、繰り返される愚痴にも嫌な顔ひとつせずに相槌を打っている。
「俺だって毎日会社で働いてだよ、仕事のできない奴だって山ほどいて、そういうしわ寄せがこっちに来て、残業することだって週に二度三度じゃないじゃないか。疲れてるんだよ。それなのに、家に帰った途端にツンケンされたら、こっちだって耐えられないじゃないか」
「そうですねぇ…」
 片頬杖をついてうなずきながら、シャンクは空いた手でコウの三杯目のウーロンハイのグラスを自分のウーロン茶とすり替える。視線を落として話していたコウは、気づいた様子もなくウーロン茶を口に運んだ。グラスを置き、体内の酒気を全て吐き出すかのような深い深い溜息をつく。
 周囲の酒飲みたちの、しばしば騒がしい程の盛り上がりに、普段は酒飲みに分類されることのないコウが、普段にはない表情で顔をしかめる。グラスを呷(あお)り、普段よりは少々乱暴にテーブルに置く。そしてまた、普段よりも重い溜息。訪れた沈黙に、シャンクは述べ損なっていた感想を述べる。
「皮肉ですね。何もこんな日に喧嘩しなくたっていいじゃないですか」
「ああ、うん…、ん? こんな日?」
「7月7日ですよ。七夕」
「ああ、笹に願い事を書く…」
「そこじゃないですよ言いたいのは」
 シャンクは苦笑を咬み殺す。
「織姫と彦星が、年に一回会える日ですよ?」
「うん、うん…、まあ、そうだな」
 シャンクの言わんとするところはどの程度届いているのか、コウは視線を低い天井にさまよわせる。通例として酔いが醒めれば無駄に謝り倒すようになるのだが、そうなるまでにはしばらく時間がかかるだろう。
「で、結局どうなったんです?」
 その問いに、コウはまたしても溜息をつく。憤りによる感情の上昇と落胆による降下とは、後者が勝ったようだった。
「……『実家に帰らせていただきますから』だってさ」


「して、何時(いつ)より私の家はお前の実家に相成ったのか」
 紺色の浴衣に身を包み、くすんだ銀髪を後ろにまとめたその姿は、明治の書家がふらりと時代を超えたかと見えた。
 人ごみの中、子供たちの手を引いて前を行くアリエンは、声が届かなかったか、聞こえぬふりか、答えを返す素振りはない。恐らく後者だろう、先刻までの問いにはてきぱきと答えていたのだから。
 左右に並ぶ出店からは威勢のいい呼び込みの声。祭り囃子(ばやし)の笛と太鼓が、晴れた夜空を音で彩る。末子のシューンはちらちらとティグレインを振り返るが、コウにはせがむ肩車を、さすがに遠慮したかティグレインにはせがまない。
「―――主婦が日中暇で何もしていないと思われるのは、とにかく心外ですね」
 ベンチに腰掛け、シューンの余した綿飴をくるくると回しながら、アリエンの口調はこの場にいない誰かを刺すかのように刺々(とげとげ)しい。
「子供会やPTAの役員もあるし、町内会だって何だかんだと。ストレスは溜まるし、子供の面倒も見なければならないし、毎日の献立を考えるのだって勿論(もちろん)大変です。できて当たり前、できなければ主婦失格。責められるのはいつも私では納得が行きません」
 子供たちが広場の笹に願い事を書きに行った今が幸いと、アリエンは日頃押さえ込んだ不満を饒舌にまくし立てる。積極的な反応を見せないティグレインの様子は一見聞き流しているようだが、それもアリエンにとっては慣れたところであり、下手な相槌よりは気が休まるというものだ。
「それなのにコウといったら…、」
「ティグ先生!」
 雑踏をかき分けて、シューンの手を引いたマリルが、次いでリートが駆け寄ってくる。
「これつけて、届かないの」
 握り締めた3枚の短冊。アリエンがベンチを立つ。
「貸しなさい、ママがつけてあげるから」
「だめ、ママには見せないの」
「それにママじゃ届かないもん」
「ね」
 145センチが言葉に詰まる。ティグレインは微かに鼻で笑うと立ち上がった。アリエンを残して子供たちを後ろに従え、人ごみに踏み込んで行く。
 広場に設置されていたのは見事な笹だった。夜空に向かって広げられた大ぶりの枝、そこから垂れる葉と色とりどりの短冊。風もないというのに、擦れ合う葉の涼しげなざわめきが聞こえる気がする。
「先生、これ」
 追いついたマリルから手渡された、三枚の短冊。ティグレインは目を通す。

『パパとママがりこんしないで
    中直りしますように  マリル』

『ママが えがおになりますように
                 リート』

『ママがげんき になりま
       すように    シューン』

 思うところは様々あったが、まずティグレインの口を突いたのは、
「マリル、仲直りの仲はこの字では無い」
「えっ」


 深まっていく夜の空を見上げて、ディアーナは笑んだ。
「今年は、織姫と彦星、きっと会えたね」
 独り言ではない。隣にはエリンがいる。二人で五時間歌ったカラオケの帰り道だ。
「あら、ディアーナって結構ロマンチストなんだ?」
「だって一年に一回しか会えないんだよ? 気にならない?」
「えー。あたしと関係ないしなー」
 ドライなエリンにめげるでもなく、ディアーナは続ける。
「でも、ケンカもできないぐらい遠くにいるより、ケンカしてもいいから毎日近くにいたいな」
「まあね。逆に、一年に一回ケンカするぐらいが丁度いいのかもね」
 組んだ両手を高く上げ、エリンは歩きながら伸びをする。
「あーあ、どっかにいい男いないかなー。奥さんに実家帰られちゃった疲れたおじさまとか」
「ふふ、そういう人は実家でリフレッシュした奥さんとすぐ仲直りしちゃうんだから」
「あっ、願いごと書こうかな! いい男に出会えますようにって」
「エリンはよく出会ってるじゃない」
「えー。もっといい男希望ー」
 二人の上、ビルの狭間を、天の川が音もなく流れていた。

End.

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