Radwair Chronicle
"降って湧いた災難"
〜Suffer a Calamity〜
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 またか。
 頭を押さえて私は呟いた。今週に入って八度目だ。女王はいよいよ私の趣味を―――もとい、私の研究を―――邪魔する回数の記録を打ち立てるつもりらしい。それも茶会だの庭の花が咲いただのと、取るに足らぬ用ばかりでだ。
「そう腐るな」
 苛立ちを露わに宝飾用具を片付ける私に、宵闇の魔導師が戸口で笑った。
「ちなみに私は最高で週に十五回だがな」
 心を読むことでもできるのか、常にシェードはひとつ先の言葉を取る。
 なるほど、十五回とは上には上がいる。無論何の慰めにもならない。深い深い溜息が口から滑り出た。
「もっとも、今回の用はお前にとってそう悪くない。期待することだ。ではな」
 言い残して魔導長は黒衣を翻(ひるがえ)した。私はといえば、予定に反して増える一方の未読の本の山に目をやって、もう一度溜息を吐き出した。
 部屋を出る前にもう一仕事だ。女王の間に入るまでに、このやり場のない怒りを始末しなければならない。

−  ◇  ◆  ◇  −

 深呼吸か溜息かもはや区別のつかぬものを幾度か繰り返して、どうにか私は落ち着きを取り戻すことに成功した。扉の近衛兵に名を告げ、謁見の間に足を踏み入れる。緋色の絨毯(じゅうたん)を踏み締め、女王の前に跪(ひざまず)く。
「ティグレイン・ブラグナード、ただいま参上仕(つかまつ)りました」
 二秒の間を置いて返される科白(せりふ)を、私は寸分違わず予測できる。
「よく来てくれましたね、ティグレイン。顔を上げてください」
 無礼にあたらぬ程度に素早く顔を上げる。作りかけの魔術紋投射具が机の上で私を待っている、一刻をも無駄にするつもりはない。だというのにこの女王は、ひどくのんびりとした話しぶりでますます私を苛立たせる。
「今日はね、エスターンから使者が来て。とても素敵なものをいただいたのですよ。それで、どうしてもあなたに見ていただきたくて」
 相槌を打つ道具ならば幾らでもいるだろうに、何ゆえよりによって私だというのか。
 私の内心に構わず、女王は膝の上に乗せた小箱を開け、私に見せた。
「……ほう」
 さすがに声が漏れた。確かに、大陸有数の港町エスターンのブランデルから、ラドウェア女王ユハリーエへの贈り物でもなければ、ここには存在しえぬ代物だ。大粒の黒真珠が二つ。この内陸も内陸のラドウェアでは、ただの真珠ですらそうそうお目にかかれるものではない。様々な宝石を扱ってきたが、私も実際黒真珠を目にするのは初めてだ。
「黒真珠でございますな」
「ええ」
 金貨にして百二十枚といった所か。女王の問いへの答えを私は用意した。はずだった。が。
「これをあなたに差し上げようと思って」
 魔術紋投射具の作成図が私の頭の中から転げ落ちた。
「こっ、……、」
 私としたことが、言葉に詰まった。
「これがあればよいものが作れるであろうと、以前言っていましたね」
「はっ…しかし、このような貴重なものを……」
 黒真珠でさえなければ、他のいかなるものであれ、丁重に断る自信はある。だがこれは。これだけは。
 女王はにこりと笑って箱を差し出した。まるで私が趣味にだけは至極素直であることを知っているかのように。―――訂正だ、知っているはずがない。万が一知っていれば、週に八度も邪魔を入れようはずがないではないか。
「あなたに使っていただくのが一番いいと思うのです。わたくしもそうしてもらえた方が嬉しいのですから」
 女王が追い討ちをかける。黙り込む私に、女王はあくまで穏やかに言った。
「聞けば、あなたは大陸で一番の付与術師だとか」
 よく耳にする無責任な賛辞に、私はようやく普段の調子を、―――少なくとも表面上は―――取り戻した。
「買いかぶりでございましょう。私は大陸全土の付与魔術師と競った事などございませぬ」
「謙虚ですね」
 女王は笑んだ。
「だからなおさら、あなたに使っていただきたいのです。もらっていただけませんか?」
 私は―――沈黙した。

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