Radwair Chronicle
"降って湧いた災難"
〜Suffer a Calamity〜
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「アリエン。資料を借りる」
「ええ、構いませんが」
 謁見から四日後の事だ。
 市中にある大きな館に、私は無遠慮に上がり込んだ。二階の一番奥は、師がラドウェアにいた頃に私のものであった、勝手知ったる部屋だ。棚から分厚い本を二冊三冊取り出して机の上に投げ出す。
「粉末にして触媒とするか……。それが最も無難だが」
「例の黒真珠ですか?」
 私は曖昧にうなずいた。
「あるいは、対魔法護符とするか……」
 魔術加工してやれば、限りなく完璧に近い魔法防御結界を作り出す道具ができる。理論上は、だ。
「理論上は間違いなくそうだが、」
 私の知る限り先例が皆無だ。そもそも、
「護符とするにあたって込める魔力の量が……」
 皆目見当もつかぬ。魔法許容量の
「近いものは……」
 試した例が全くないわけではあるまい。だが魔導師とは得てして孤独な生き物。失敗を隠し通す者、愛弟子にのみ通じるよう暗号化する者、あるいは成果を墓まで持っていく者。それでもわずか一行なりとも手がかりをほのめかす文章はないものか。自分の部屋の資料には既にあらかた目を通した。残るは―――
「ティグレイン殿?」
 アリエンの呼びかけに、私は手を止めた。
「何か」
「いえ、まるで……」
 先日以来の寝不足に焦燥した私に、まるで狂人のようだ、との感想をアリエンが抱いたなど私の知る由もない。
「そのような姿では、ユハリーエ様もご心配なさるのでは?」
 そのような、が具体的に何を指すのか自覚はなかったが、アリエンがそう評する根拠のあるだけの何かがあることは想像がつく。
「……渡した事を後悔なされるやもしれぬな。むしろ返せと言われた方が気は楽だ」 
 あながち冗談ではない。餌さえなければそれに引きずられて危険を冒すこともあるまいに。
 うず高く積まれた文献の一番上のものをぱらぱらとめくる。ここで全てに今目を通す余裕などあるはずもないのだが、落ち着きのない手がそうせずにはいられない。
「もう少し専門的なものはなかったか」
 軽い呼気を聞いた気がして振り向けば、アリエンが笑っていた。私は自嘲気味に唇を歪める。
「滑稽か?」
「いえ。ティグレイン殿でも焦る事があるのですね」
 溜息と共に一度感情を洗い流して、改めて呟く。
「滑稽か」
 この期に及んで、私は迷っている。黒真珠、粉末にして触媒とするか、対魔法護符を作るか。
 私の気は対魔法護符に傾いている。だがもし失敗すれば、一生において二度と手に入らぬであろう貴重な黒真珠を塵にする事になる。ならばむしろ粉末にした方が、使い道の幅も広い。
 そういえば、私がなりふり構わぬほど何かにのめりこもうとするのはいつぶりであったか。寝食を忘れるほど必死になって作った最初の魔道具は、今思えば他愛もない御影石の守護石だった。
「父が生きていれば何か聞けたと思うのですが…」
 アリエンの呟きに、私は動きを止めた。止まった、というのが正しい。
「……そうだな」
"ティグレインよ。ぬし、自分が人間か否かと問うたな。
 良き事を教えてやろう。精霊は道具や魔法を使わぬ。奴らの行使するものはただの『力』だ。奴らにはそれだけで十分すぎる。
 人間ならば道具と魔法を学べ。良いな。"
 思えば私が魔道具を作り始めたのは、ひとえにその言葉があったからだ。ひとえに―――人間であるために。
 棚からさらに本を一冊引き出して、叩きつけるように机に置いた。
「―――対魔法護符を」

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