聞き違えたか、発音違いか、そうデリオーズが疑った隙に、青年は椅子から立ち上がっていた。机に手をついていたデリオーズは思わずそれを離し、無意識のうちに背筋を張った。見上げがちの位置にある広い肩に分厚い胸。立ち上がったただそれだけで、威圧感が三割増す。
その肩が、ひるがえった。
ついでのように、報酬の袋をひとつつかみ取る。その手にしてみれば袋はあまりに小さい。しかし同時にその手は、ひとつでいいとはっきり示した。
どうやら勧誘はしくじったらしい。デリオーズは渋面を隠しおおせなかった。引きとめようとしても無駄だろう。この短い期間に、デリオーズはこの青年の性格を、嫌というほど知っていた。言うなれば、それほどこの青年の性格はわかりやすかった。
「……お互い敵にはなりたくないものだな、シークェイン」 |
通じたかどうか。首だけで振り向いた青年の態度は、至ってそっけない。
それが別れの挨拶として適切であるはずがない。だがこの青年は、いつとて本名を呼ばせる事を好まなかった。
背中を見送りながら、デリオーズはクライズへの報告と、下された命令の遂行とに頭をめぐらせる。困難さでは前者が勝るが、早々に手を打たねばならないのは後者だ。
青年へのデリオーズの執心にはいくらか好感が混じっていたが、主たるクライズの執心はそのまま焦りと言い換えて良いだろう。ただでさえシルドアラ人は目立つ。あれだけ目立ち、あれだけの働きをされ、このわずかな日数で傭兵隊の中でも大いに噂になった。その男が敵国に回りでもしたら。
その懸念はデリオーズにしてみればおおげさだが、わからぬでもない。だが、さしあたって日没までには解決するだろう。
奥の部屋へと引き上げる前に、デリオーズは机に残された袋ひとつを取り上げ、短い感慨にふける。
惜しい男だ。実に惜しい男だった。
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