Radwair Chronicle
"やがて陽の差す方へ"
〜after the "Eclipse"〜
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     出るぞ
 宿の割り当て部屋で開口一番、シークェインは言い放った。金貨の袋を荷物に押し込み、服をかき集めてさらに上から押し込む。
 大陸語ではない。故郷の言葉だ。それは即ち、相手が同郷人であることを表す。だが、ベッドの中の人物には、届いていないと思われた。シークェインが袋を背負って立ち上がってもなお、微動だにせず背を向けている。
      蹴 り 起 こ さ れ た い か
 過分にとげを含んだ語調に、ようやく反応があった。のろのろと、それこそ途中でシークェインの蹴りが入らなかったのが奇跡と言えるほどのろのろと、その人物は体を起こした。
 若い、のだろう。ゆるみのない体には、まだまだ完成しきらぬ感がある。だがその顔を見る限り、到底若いようには思えなかった。
 深海を思わせる青い瞳の奥は、ひどくよどんでいた。右目の上で無造作に分けられただけの髪は、長らく手を入れた様子もない。濃くはないだけに貧相な無精ひげが、顔のやつれに拍車をかける。
 何よりも、無表情であった。悲痛ではない。陰鬱でもない。だが一目見た者はそのどちらかを思い浮かべずにはいないだろう。表情を隠すがゆえの無表情ではなく、まるで表情を知らぬがゆえの無表情であった。
 それが、彼の弟だった。
 久しぶりに正面からまともに顔を見て、シークェインはいまいましげに息を吐く。自分の知る限りこいつは確かに弟だが、今のザマはどう見たってこいつの方が年を食ってる。
 弟がベッドから這い出すと、腰に巻かれた長い白布が、引き止めるように脚にからまった。そのまま倒れるのではないかとシークェインは手を出しかけたが、動きが緩慢である以外には問題なく弟は床の荷物を取る。支度は無用だ。彼の荷物は部屋を取った時そのまま、解かれた気配もない。
 兄を眼中に入れずにふらふらと出て行く彼を見送り、部屋に目を戻し、そしてまた振り向きざまにシークェインは怒鳴った。
    おい !
!」
 一振りの長剣が、ベッドの脇に投げ捨てられている。置き忘れるような代物ではない。
 『剣は要らない、もう持たない』。故郷からここに至るまで、ただ一度口走ったきりの弟の血迷い草は、いまだ深く根を張っているとみえた。
    あほか !      くそったれが !
! !」
 シルドアラ語を知らずともそうとしか聞こえない罵声を吐きながら、シークェインは鞘を引っつかんで剣を背負い、弟の後を追って階段を駆け下りた。

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