Radwair Chronicle
"やがて陽の差す方へ"
〜after the "Eclipse"〜
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 ベルカトール宮殿。その最奥の一室。
 外界の明かりが一切断たれた部屋では、サイドテーブルに据えられたランプだけが唯一の光源だった。先ほどまで焚かれていたとおぼしき、麻の残り香が漂っている。日常から完全に隔離されたこの部屋に慣れることができるのは、それを日常の一部とする主ぐらいのものだろう。
 やや緊張の面持ちで、デリオーズは主の前に立っていた。下からの報告を受け取ってからの参上のはずが、先手を打って呼び出された。例の男への執心の度合いが知れる。もっとも、主はそれを顔には出さない。ソファーに半身を横たえたまま、普段どおりの薄い笑みを浮かべている。
「首尾はどうだ」
「ご命令通りに」
「ほう。では交渉には乗らなかった、か」
 ベルカトール当主クライズは、どこかしら満足げな笑みを見せた。
 年齢は不詳。顔立ちは整っているが、普段の化粧を落とした今は、荒れ放題の肌や、こけた頬、目の下のくまを隠すものはない。かといって、脆弱な印象はなかった。ランプの明かりにかき消されることのない瞳の光は、貪欲な生者のものだ。
「で? 確かに仕留めたか?」
「はっ」
 当然とばかりデリオーズは答えた。クライズは足元の杖を取ると、デリオーズに向けて振った。仕込まれた刃が飛び出し、デリオーズの鼻先でぴたりと止まる。
「首は?」
 返答に窮する傭兵隊長に、クライズは身を起こして忍び笑った。
「あれを生かしておくと厄介だぞ、デリオーズ」
 ランプが生み出す濃い闇をまとったクライズの笑みには、不気味なほどのすごみがあった。どれだけ薬と快楽を浴びてもなお堕ちることはない、あるいはとうに堕ちついた奈落の底からベルカトールを支配する、屈指の切れ者であり曲者だ。仕えて数年になるが、いまだデリオーズの背には冷汗がにじむ。
 『あれ』を甘く見たわけではない。だからこその5人だ。あれが交渉に屈さずに生き残っている可能性は、どう計算してもゼロだ。
 デリオーズに計算違いがあったとすれば、5人を相手に戦意を喪失しない男、なおかつ5人を相手に立ち回る男が、この世に存在したというただ一点だ。その計算違いの結果、4年後にラドウェアの新守備隊長の名を聞いて、デリオーズは頭を抱えることになるが、それはまだまだ先の話だ。
 
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