Radwair Chronicle
"囚われの魂"
〜Two Choices〜
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「失礼」
 ここしばらく耳にしなかった中低音の声が、その持ち主と共に部屋に滑り込んできた。真紅のマントが彼にまとわりつくように揺れる。魔導長ティグレインは、レリィの枕元に立った。
「ヴァルトから事の次第を聞きました」
 ―――裏切り者!
 レリィは口中で毒づいた。朦朧としたまま何もかも話してしまった自分が迂闊(うかつ)だった。相手がヴァルトでは誰に伝わるかわかったものではない。とはいえ、そうであれば真っ先に飛び込んでくるはずのアリエンが来ないところを見ると、ヴァルトも相手を選んで話したのかも知れない。
「この度(たび)の事、」
 何を言われるのか、レリィには見当がつかなかった。取り替えられた真新しい包帯を見つめるティグレインの額には、深いしわが刻まれている。
「非常に残念に思います」
 ―――残念?
 そんな軽々しい言葉で表現されたことへの怒りと、ティグレインを失望させたという悲しみが、入り混じった挙句に彼女に冷たい言葉を吐かせた。
「わたしがなにをしたってわたしの勝手でしょ」
「貴女様の身は貴女様だけのものではございませぬ。貴女様はラドウェアの巫女であらせられる。貴女様の命は同時にラドウェアの民のもの」
「民?」
 枕元に立つティグレインの威圧をレリィはたやすく跳ね返した。
「みんなが、必要なのは、巫女であってわたしじゃないわ」
 あざ笑うようにレリィは唇を引きゆがめる。
「あの人たちはわたしのことなんかどうでもいいんだわ。病気を治してくれさえすれば何でもいいんだわ!」
「それができるのは貴女様だけではございませぬか」
「だから死ぬなっていうのね」
 一呼吸。
「ティグもそうなのね!」
 ―――“血まみれの巫女”
 かつてアリエンはそう言った。疫病に侵された民らを、自分の身を削るようにして治療に当たっていたレリィを。
 ―――その身体中に浴びた血をわずかなりとも拭う手立てを私は知らぬ。
 ティグレインは頭を押さえた。責任感の強いレリィに、“役割”を盾にして思い直させようという作戦は失敗した。
 ―――なぜ言い聞かせる事が叶わぬのか
 ―――貴女は愛されているのだと
 ―――巫女としての能力ゆえにではなく、その脆(もろ)く壊れやすい一人の少女として故に
 ―――今しもなお愛されているのだと
 不憫だった。レリィもディアーナも、同年代の娘たちとはしゃいで遊ぶ年頃。それがこれほどまでにふさぎこんでしまった様子は、見ているだにつらかった。裏切られたような、むしろ仇を見るような燃える瞳で自分を睨むレリィが、ティグレインにはひどく不憫だった。
「出てって! もう来ないで! 出てっ……」
 あとはもう、意味を成さぬ泣き喚き声に変わった。
「……失礼」
 マントをひるがえし、扉を出る。十代の少女から逃げ出した自分に、ティグレインは苦笑した。だがすぐにその苦笑が引く。
 彼の視線の先、アリエンが待ち構えていた。
「ティグレイン殿」
「何か」
「あの言い方は、あまりではありませんか」
「あまり、とは?」
 とっさにアリエンは手を上げた。強い平手打ち。それをティグレインは甘んじて受けた。
「……あなたを、見損ないました」
 二人はしばらく向き合っていたが、
「そうか」
 それだけを言い残してティグレインはアリエンの横をすり抜けた。アリエンは振り返ったが、真紅のマントは揺れながら遠ざかるばかりであった。
 扉に目を戻す。狂ったような泣き声が聞こえてくる。
「レリィ様……」
 部屋への立ち入りはヴァルトに固く禁じられている。やるせない溜息をひとつ残して、アリエンは扉の前から去った。

−  ◇  ◆  ◇  −

 そのヴァルトはといえば、ひと悶着の真っ最中だった。
「なぜレリィが死ななければならないのだ!」
「や、それはレリちゃんの都合があるわけで」
「レリィを殺そうとする者は私が殺す!」
 白対黒。ヴィルオリスの切迫した声は思いのほか音量があり、ヴァルトは他者に聞こえぬよう音声遮断結界を張らねばならなかった。
 ヴィルオリスに明かすつもりはなかったが、彼のレリィに対する異常なまでに鋭い嗅覚は、何かが彼女の身に起こった事をかぎつけた。
「だから、自殺ってのは自分で自分を殺すことを言うわけ。オッケー?」
「自分で自分を……?」
 ヴィルオリスが理解に苦しむこと数十秒。無理もない。彼ら半精霊には自殺の概念がない。
「レリィがレリィを殺す……?」
「ま、そういう事ね」
「レリィがレリィを殺すのなら、私は何を守ればいいのだ。レリィを殺せばレリィが死んでしまう」
「んー、まあ、こういうのは一種の病気だから。ゆっくり休ませて治すのが一番いいのよ」
「休ませる……」
 ヴィルオリスは口の中で反芻(はんすう)した。それから心なしか不安げにヴァルトに目を戻す。
「それだけでいいのか?」
「それしかできないね」
 話をややこしくしないためには、ヴィルオリスにはそう思っておいてもらった方が都合がいい。レリィに最も近く最も暇(ひま)な人物としては最適だが、事情を話せば彼では、やってくる患者をことごとく殺しかねない。
「うちで預かろうか」
 ここに至るまで黙っていたコウが言った。
「子供とたわむれていれば、少しは気が晴れるもんだよ」
「あー……」
 しばし天井を見上げてから、ヴァルトはコウを指差した。
「それ採用」
 
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