Radwair Cycle
-BALLADRY-
“閉ざされた心”
〜Closed Heart〜
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 今。あれから三日が経つ。二人は馬に揺られて南へと向かっていた。
「また宿があるからな。もう一晩泊まって、明日の夕方にリガートに着く。エアヴァシーの近くだ」
「…………」
 レリィの反応は薄い。
 それ以上の会話もないままやがて夕刻になり、シークェインの言った宿が見えてきた。近年建て直された真新しい木造の建物だ。先に馬を降り、次いでレリィを降ろそうとすると、
「つっ…」
 小さな声がレリィの口から漏れた。見れば、両すねの内側がすりむけて赤くなっている。馬具でこすれたものらしい。なまじ足が白いだけに、傷は痛々しい。
「―――なんで言わなかった」
 木の匂いのする宿の一室で、宿の者に借りた傷薬を寝台から投げ出された両足に塗りながら、シークェインは幾分怒ったように問った。
「ごめん…」
「なんでおれに謝る。おまえだろ痛いのは」
「…………」
「ほんとになんも言わないんだな、おまえは」
「え?」
「言えよ。そんなにおれは頼りないか?」
 レリィは押し黙る。布を巻き終えて、シークェインは立ち上がった。
「下から飯もらってくる。じっとしてろよ」
 レリィはうなずきもせず、布を巻かれた両足を見下ろしている。 シークェインは身をかがめ、レリィの額と自分の額を合わせた。
「元気出せ」
 少しの間の後、無言で首を振るレリィ。
「そうだな。出せって言われて出るもんじゃないしな」
 わかっている。わかっているが、実際目の前にいるレリィにできることは何もないという事実を知っているがゆえに、シークェインは笑むことに失敗した無表情となって部屋を出た。

−  ◇  ◆  ◇  −

 この宿でも、レリィはほとんど食事をとらなかった。逆にシークェインは、レリィを見守った三日分を取り戻すようにがつがつと食物を口に詰め込んだ。
 明け方、シークェインは彼女の傷をかばって横抱きに抱いて鞍に乗せ、宿を出た。空は雲ひとつなく晴れているが、風は冷たい。この下り坂が終わればもう目の前に、丘の上にそびえ立つ巨大な城砦が見える。ラドウェア三城のひとつ、エアヴァシーだ。
 シークェインは道を大きく迂回して丘を避けた。ラドウェアからの伝令で、守備隊長と巫女の行方不明は知られているだろう。こんな所で捕まってラドウェアに引き戻されるつもりはない。
 丘を迂回すると、夕闇の忍び寄る空の下、エアヴァシーの城下町ともいえるリガートが見えてくる。非番の守備隊員に逢わない保証はないが、ひとまずは寝巻きのままのレリィに服を買ってやりたかった。
 着いて早々に宿を決め、半ば無理矢理レリィを連れて、シークェインは服屋の扉をくぐった。入るなりあれこれと色や柄を見つくろうシークェインを、レリィは椅子に腰掛けて心ここにあらずといったふうに眺めている。
「よし、この色だな」
 彼がレリィに合わせたのは、橙色のワンピースと黒の上着。店員がサイズを測り、問題ないと見たところでシークェインはそれらを購入した。
 宿に戻ってからも、レリィの口数は少なかった。ランプに照らされ浮かび上がる寝台に腰掛け、膝の上に乗せた服に目を落としている。
「いやか? その服」
「う、ううん」
 毒はもう抜けたのか、目線がほうけたように宙に浮くことはなくなり、彼女の瞳には理性が戻っている。
「じゃあ着てみろ」
「…………」
 レリィは不安げに目を上げる。
「手伝ってやるか?」
「い、いい…」
「じゃあ後ろ向いてやるから、終わったら言えよ」
 そのようなことを今さら気を遣う仲ではないのだが、シークェインは慎重に外堀を埋めていくことにした。しばらくしてから、ようやくレリィは着る気になったらしく、階下のざわめきに交じって衣擦れの音が耳に入ってくる。
「…終わった」
 その声に、シークェインは振り返る。そして、自分の見立てが間違っていなかったことに満足した。ただ難を言うなら、レリィの表情だけが暗い。
「もうちょっと嬉しそうな顔しろ」
 シークェインは大またでレリィに近寄り、両の頬をつまむ。
「…………」
「似合ってるぞ」
 レリィは微かに左右に目線を振る。その口が、何か言いたげに開かれたが、思い直したように閉ざされた。
「ん?」
 シークェインが目ざとく認める。
「なんだ?」
「……シークが」
「おれが?」
「わたしなんかに構ってるなんて、なんだかおかしい…」
「おかしいまで言うか」
 憮然と唇を引き結ぶ。
「おれの女なんだから、おれがそうしてやるのは普通だろ」
 言ってからまた口を引き結び、視線を斜め下の床に這わせる。
「今までなにもしてやれなくて、悪かった」
「…………」
 レリィの珊瑚の唇が言葉をつむぐより先に、目からぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。
「レリィ?」
「う……あ…、」
 咽が詰まったようにしゃくり上げ、最後には号泣になった。買いたてのワンピースのスカートの上に、ぽたぽたと涙が落ちる。ぬぐってもぬぐっても涙はあふれてくる。シークェインは彼女を寝台に座らせ、抱き寄せた。そのぬくもりにレリィの涙は勢いを弱めたが、しゃくり上げる声はしばらくやむことはなかった。

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