Radwair Cycle
-BALLADRY-
“雨”
〜Nothing helps me〜
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 雨音と湿った空気の中、レリィは眠りから覚めた。あたりはまだ暗い。だがもう一度眠りにつく気にはなれなかった。
 上体を起こす。ひどく気だるく気分は重い。数秒か数分か、その姿勢のままでいたが、やがて片足から寝台を降りた。向かいの寝台で、シークェインが寝息を立てている。レリィは緩慢に近づき、その側にしゃがみこむ。
 雨音だけが長いこと続いた。胸の内は、どういうわけか、引き裂かれんばかりに切ない。
「……助けて」
 寝顔にそう囁いた。
「助けて、シーク……」
 聞こえるはずもない。深い呼吸で気持ちよさげに眠っている。
 レリィはやるせない溜息をついた。立ち上がり、そっと扉を押し開け、部屋を出る。階段を一歩一歩、小さな軋みを立てながら降りる。誰もいない食堂は、冷たい湿気によどんでいた。
 出入り口の鍵は開いていた。リガートの宿は前払い制だ。ゆっくりと押し開けると、湿った空気が鼻腔に流れ込んできた。夜明け前の頼りない薄明かりは激しい雨に塗りつぶされ、あたりの建物を影のように描き出している。
 見知らぬ街を、よろめきながら、あてどなく歩いた。雨をしのぐ布も道具も何もなく、髪は毛先まで濡れ、服は水を吸って重くなる。
 まぶたを閉じる。雨音が心なしか強くなり、肩に当たる雨も激しくなった。動くことをやめた体が、急激に温度を失い始める。やがて彼女は膝をつき、崩れ落ちるようにその場に倒れ伏した。
 ―――このまま
 ―――このまま死んだら少しは同情してくれるかな。
 立ち上がる気力はもうなかった。
 どのくらいそうしていたか。複数の馬のひづめの音と、ガラガラ回る車輪の音が聞こえてきた。それは彼女の側に止まり、訛りのある男の声が降ってきた。
「嬢ちゃん、どうしたぁ?」
 荷馬車から降りた男は、レリィを助け起こす。
「あんたぁ、こんな所で。雨に当たったら風邪引くで。送るから乗んなさいや」
 送る、といわれても、レリィには帰るべき場所が思い当たらない。
「…… 一人で」
「あん?」
「帰れます…」
「そうかぁ?」
 悪い人間ではないのだろう。男は心配げにレリィを見守る。ぎこちなく立ち上がると、首だけで一礼して、レリィはきびすを返した。男はしばらくその背を見守っていたが、やがて馬に鞭を入れて、早朝の雨の中を再び走り出した。
 雨はいっそう強まったようだ。ゆらり、ゆらりと、一歩ごと揺れながら、おぼつかない足どりでレリィは歩く。
 ―――帰らなきゃ。
 ―――あの人がいるから
 ―――帰らなきゃ。
 ―――ああ……。
 重い足を引きずって、元の宿にたどり着く。ゆっくりと扉を開けたところで、これから階段を上って部屋に入らねばならないことを思うと、また倒れたくなる。
 雨の雫を滴らせながら、レリィは一歩ずつ音もなく階段を上っていく。部屋の扉はどれだっただろう。深い深い溜息と共に、レリィはその場に座り込む。
 また、長い時間が経った。
 ―――ああ、二号室って言ってたっけ。
 のろのろと立ち上がり、手すりにもたれかかる。立ち眩みが治まるのを待って、二号室の扉を開けた。
 寝台の上、シークェインは平和に寝息を立てている。レリィはびしょ濡れのまま彼の側に寄り、耳元に囁いた。
「シーク」
 寝息は乱れ一つ起こさない。
 ―――ほら。あなたは、気づいてくれない。
 自嘲のように唇をゆがめると、目頭が熱くなった。
「……シーク」
 名前を呼ぶと、涙があふれた。
「助けて……」
 起き上がるはずもない屍に語りかけるかのように、レリィは繰り返す。
「助けて…お願い……」
 レリィのすすり泣きは、夜が明けてもしばらく続いた。

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