Radwair Cycle
-BALLADRY-
“開く傷口”
〜an Open Wound〜
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 馬に揺られながら、ふと思ったことを口に出した。
「前に、おれのこときらいだって、はっきり言ったよな。きらいだから近寄るなって」
「……うん」
「あれ、うそだろ」
 レリィは不意を突かれたようにシークェインを見上げた。彼は特にどうといったことのない、今日の天気の話でもしているかのような表情だ。
「なんでだ?」
「え?」
「なんであんなうそついた」
「―――」
 言うべきか言わざるべきか、レリィの落ち着かない目線が迷いを表している。馬の歩むひづめの音だけが、川沿いの大路に残されていく。
「まあ、」
 返事のないレリィに痺れを切らしたか、不器用な沈黙に耐え切れなかったか、シークェインが小さく笑う。
「ひっかかれた時には、本気できらわれたと思ったけどな」
「あれは―――」
 レリィは口を開いたが、息は止まった。
 ―――『愛してるよ、アリューシャ』
 覚えのある声が、脳裏をかすめる。
「や…めて…」
「ん?」
「やめてやめてやめてやめて…!!」
 激しく髪を振り乱しながら、必死でシークェインから体を引き離そうとする。馬が鞍上の異変に気づいて、鼻を鳴らし歩みを止める。
「暴れるな! 落ちる!」
 シークェインは手綱を放し、両手でレリィを押さえ込んだ。レリィはなおももがこうとするが、彼の力で押さえつけられては抵抗のしようがない。
「いきなりどうした」
「……ッ…」
 口を突こうとする叫びを必死で抑え、歯を食いしばってレリィは震えを殺そうとしている。
「なんかあったのか」
 肩で息をしながら、レリィは首を横に振る。だがそれでシークェインが納得するはずもない。
「あったんだろ」
「……言…えない」
「あ?」
「なんでもない…ッ!!」
 レリィは目をぎゅっとつぶる。乱れた長い髪はもつれ、吐息は苦しみに満ちている。
「わたしは、」
 不意にレリィが言った。その音量は、確かにシークェインに対する問いだった。
「わたしはディアーナの代わりなの?」
「はぁ?」
 珍しくシークェインが素っ頓狂な声を上げた。
「おまえはおまえだろ。なに言ってる。それにディアーナはあんまり気に食わん」
「うそよ…だってあなた…、」
「うそじゃない。会った頃はともかく、今はだめだ。あいつは見かけより小ざかしい。平気で八方美人やっていける女より、おれはおまえの方がいい」
「ディアーナのこと悪く言わないで!」
 シークェインはきょとんとしたが、次いであきれて苦笑した。
「どっちなんだ、おまえは。まあいいか。…なんの話しようとしてたか忘れた」
 額に指を当てて考える。
「わかった、あれだ。なんでおれのこと、きらいって言った?」
 蒼空の瞳で見つめられ、レリィはとっさに目を逸らす。ためらい、息をつき、ようやく彼女は言葉を発した。
「わたし……狙われてるの」
「狙われてる?」
 意外そうにシークェインが問い返す。
「だれに」
「エンガルフ……霊界の長子」
「霊界の…なに?」
「霊界の王よ」
 シークェインはあんぐりと口を開けた。彼の顔を見ていられず、レリィは目を逸らす。
「あと二回会ったときに、わたしを自分のものにするって…」
「なんだそれは!」
 突然の怒声に、レリィは首をすくめた。
「そんなのおれが片づけてやる!」
「無理よ!」
 レリィが思わず声を上げる。
「人間じゃないのよ! まして霊界の王…。ヴァルトと同じかそれより強いのよ。束になってかかったって無理だわ!」
「…………」
 憤懣やるかたなしといった様子で、シークェインは唇を一文字に引き結んだ。亜人の強さは知らないわけでもない。それにヴァルトと並べられては勝てる気もしない。レリィは自らの両肩をきつく抱きしめている。
 そこでふと、シークェインはまたしても最初の問いの答えを得ていないことに気づいた。再び問う。
「おれをきらいって言ったのと、そのエンガルフとかいうのが、どう関係あるんだ」
「弱みを握られたくなかった。……無理だったけど」
 レリィは唇を噛む。
「弱み?」
「…なんでもない」
「またそれか」
「……ごめん……」
「なんであやまる」
 そしてまた馬のひづめの音だけになる。
 リガードを出て三日。今日の夕方にはベルカトールにつく。かつてシークェインとその弟がたどった道を逆行する形だ。
 ぽつり、とレリィが呟いた。
「わたし……もうすぐ地上にいられなくなる」
「なに?」
 シークェインは怪訝な顔をする。
「ずっと…狙われてたの…。エンガルフに。五度目に会ったときにもらいに来るって」
「ちょっと待て」
 レリィの顔を覗き込む。
「ずっとって、いつからだ」
「あなたたちが来て…シュリアストの治療したときが最初…」
「おい…」
 あきれに似た表情の後、シークェインは声を荒げた。
「なんで黙ってた! そんなにおれが信じられないってのか!」
 レリィは答えない。
「くそっ…」
 シークェインは腹立たしげに馬の腹を蹴った。急かされたかと、馬は早足になる。しばらくの無言の後、シークェインは言った。
「おまえ、戻ったらヴァルトに言え」
「だめ!」
 思いのほか強い調子でレリィは否定した。
「そんな話したらみんなが心配する…」
「あれが心配するタマか。それにあいつならなんとかできる」
「できない!」
「おまえ、最初っからそんな諦めてばっかりでいいのか!? おまえが自分からおまえの人生捨てて、なにか残るものでもあるのか!?」
 少しの沈黙の後、レリィは毅然と言い放った。
「みんなを、危険に巻き込むわけにはいかない」
「…………」
 シークェインは顔をしかめた。そのまましばらくレリィの髪の揺れるのを見つめていたが、
「おまえが諦めても、」
 はっきりと言い切った。
「おれは諦めないからな」
 レリィは何か言いたげに口を開いたが、まぶたを閉ざして、微かにかぶりを振った。

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