Radwair Cycle
-BALLADRY-
“初めての海”
〜Illimitable Ocean〜
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 馬での旅はしばらく続いた。途中、ランデール、カルディス、フェンといった町で宿を取り、四日目にしてようやく遠くエスターンの街並みが見えてきた。
「秋晴れだな」
 透明感のあるすっきりした空に、シークェインはどことなく嬉しそうに言った。馬の揺れにもすっかり慣れ、先ほどまでシークェインの胸にもたれてすうすうと寝息を立てていたレリィが、同じ空を見上げる。
「寒くないか」
「うん、大丈夫…」
 しばらくして、肩ごしにシークェインを見上げる。
「シーク、わたしに気をつかいすぎてない?」
「いや?」
「そう…ならいいけど…」
 シークェインがレリィの顔を覗き込む。
「なんだ、心配したか?」
「無理してないなら、いいんだけど…」
 レリィは口ごもった。待ってもレリィの口から続きが出ないのを感じて、シークェインは笑った。
「おれがおまえのこと心配したら変か」
「変っていうか、なんていうか……。シーク、変わったね…」
「ああ、」
 言おうか言うまいか少し迷って、シークェインは結局言うことにした。
「おまえが死ぬほど苦しんでるなんて思わなかったしな。いるのがあたりまえだと思ってたし」
 レリィの後頭部に自分の額をつける。
「…でも、そうじゃなかったんだな」
 レリィは目を伏せたまま何も言わない。
「おまえがあのまま生き返らなかったらどうしようかと思った」
「わたし…」
 呟くようにレリィが言った。
「死んでたら今ごろどうなってたんだろう…」
 沈黙。馬のひづめの音だけが、規則的に時を刻む。背にした太陽が、まもなく暮れようとしている。
 キィ、という音に反応して、彼女は再び空を見上げた。茜色と青の混じり合う空に、白い鳥が飛んでいる。羽先だけが黒い。
「カモメだ。久しぶりに見たな」
「かも…め?」
「海鳥だ。海近いぞ」
 レリィは頭を上げ、その不思議な名を持つ鳥を目で追った。カモメはキィキィと鳴きながらぐるりと旋回して、エスターン方面へと戻っていった。

−  ◇  ◆  ◇  −

 エスターンは大陸を横断する大路の最東端、大陸で最も著名な港街。立ち並ぶ豪商の住まいを横目にしながら、港に近づくにつれて、威勢のいい魚売りの声と潮の香りが増してきた。シークェインは目を閉じて深く息を吸い込む。
「なつかしいな。海のにおいだ」
「海……」
 海に匂いがあるなど、レリィの知識にはなかった。馬は緩やかな坂を降り、角を曲がったところで展望が開けた。
「…あ…」
 港に停泊する貿易船と漁船―――レリィには区別がつかなかったが―――、その向こうに、建物の隙間から届く夕日の輝きと青い闇とが互いにもつれ合う海があった。水平線はゆるやかな弧を描き、その上には澄んだ夜が忍び寄っている。
「どうだ?」
「どう、って言われても…」
 これほどの膨大な量の水など見たことがない。しかも波のうねりと光の反射は一時たりとも休むことはない。レリィには表現のしようがなかった。ただ、
「…きれいね」
 それだけで精一杯だった。シークェインは満足げにうなずく。
「時間でもそうだけどな、晴れたり曇ったりでまた色が違うんだ」
「ふうん…」
「おだやかだな、ここの海は。おれの知ってる海は、もっと青くて荒々しくて…」
 シークェインは懐かしむように目を細める。
「ディアーナが前に言ったんだ。おれの目の色は空とおなじ色なんだと。だったら、シュリアストの目はおれの知ってる海の色だ」
 あの深い青。あまり間近で見たことはないが、あの引き込まれるような青が、彼の故郷のものだったのか。
「明日また見せてやるからな、海」
 レリィの頭をぽんと叩いて、シークェインは馬首を返した。

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