Radwair Cycle
-BALLADRY-
“晩餐”
〜Dinner at a Port City〜
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 馬を止めたのは、一軒の酒場の前だった。二階があるところをみると宿屋を兼ねているのだろう。
「馬とめてくるからちょっと待ってろ」
 レリィを抱き降ろし、自らも降りて、手綱を引こうとしてシークェインは気づいた。レリィが下を向いて、彼の服の端をつまんでいる。
「…一緒に行くか?」
 こくん、とレリィがうなずいた。シークェインは微笑すると、レリィの手を引いて厩へ向かう。開いている場所を見つけて両側をつなぐと、馬の顔をひとなでしてシークェインは酒場正面へと戻った。入り口をくぐる。
「おう! おかみ、いるか?」
 入るなりの大声に、少し早めの夕食をとっていた客達が一斉に振り向いた。レリィは一瞬唖然とし、さっとシークェインの背に隠れる。
「あら!」
 空いた食器を片付けていた恰幅のいい中年の女が、彼を見るなり声を上げた。
「まあまあ、ずいぶん久しぶりじゃないか。座んなさいよ」
 シークェインに手招きしながら、おかみと呼ばれた女は奥の厨房に呼びかける。
「ちょっと、あんた! シー坊が来たよ!」
 レリィがいぶかしげな顔をする。
「シー坊…?」
「ほっとけ」
 レリィの手を引いてぐんぐん中に入る。空いている席につくと、奥から初老の男が手を拭きながら出てきた。
「おお、おお、シー坊か。またたくましくなったんじゃないか?」
 返事を待たずにおかみが口を挟む。
「エアヴァシーの頭領のシークェインってのは、あれはお前かい? まさかそんな名前の別人いやしないと思ったけども」
「ああ、おれだ」
「へぇ、すごい出世じゃないか。それで、こちらのお嬢さんは?」
 シークェインはにやりと笑った。
「なんか食わしてやってくれ。こいつ、うまいもの食ったことないんだ」
 レリィの抗議の目を無視して、
「おれの分も適当にな」
 付け加える。
「あいよ。うちの旦那が腕によりをかけて作るからね、期待して待ってなよ」
「なんでい、結局俺かい」
 二人が肩をそろえて戻っていくと、シークェインはレリィに目を戻した。
「ここの宿な、半年ぐらい世話になったんだ。ラドウェアに行く前にな。おれとシュリアストとで」
「…そうなんだ…」
 レリィは店内を見回す。年季の入った木造の建物は、雰囲気だけですら暖かく感じる。
「はいよ」
 トン、と皿を目の前に置かれて、注意をテーブルに引き戻す。パンと、ねじれた殻の貝が三つ乗っていた。その香りからバター焼きらしきことはわかったが、フォークとナイフとでこれを一体どうすればいいのだろう。
 レリィがナイフで殻を割ろうとしているのを見て、シークェインは噴き出した。
「こうやるんだ、ほら」
 巻き貝の身にフォークを滑り込ませ、ナイフで押さえてくるりと中身を取り出す。レリィの感心の眼差しに気づいて、シークェインは照れ気味に笑った。
「昔よく獲って食ってた。シルドアラにいた頃な。もっと小さいのだけどな」
 全ての巻き貝を見る間に裸にしてレリィに返す。と見せかけて一つをフォークに突き刺して、自分の皿にさらった。
「手数料」
「…いいけど」
 レリィは含み笑った。シークェインは目を細める。
 ―――やっと笑うようになった。
 次に運ばれてきたのは、塩を振って焼いただけの細長い魚だった。運んできたおかみが自信たっぷりに言う。
「今が旬だよ。そのまんま食べるのが一番うまい」
 普段の食堂では、常連以外には出さないメニューだ。両の手にナイフとフォークを持ったレリィが、また途方に暮れている。
「ど…どうやって食べるの?」
「貸してみろ」
 皿ごと受け取ったシークェインは、尾の方から背骨に沿って横にナイフを入れ、片側の身を切り離した。さらに背骨の下に同様にナイフを滑らせ、頭と背骨と尾だけを残して完全に魚を分解する。その手際のよさに、レリィは目を丸くした。
「シークってもしかして……器用?」
「慣れだ、慣れ」
 二枚のうち一枚を自分の取り分にして、レリィに皿を返す。レリィはひとまずその魚に挑戦してみることにした。ナイフで一口分を切り取り、口に運ぶ。
「…………」
「どうだ、うまいだろ」
「う、うん」
 実際のところは口の中のものの分析に気を取られて、味も何もわからなかった。とりあえず食べられそうだとわかると、二口目を口に入れる。
「……おいしい」
「だろ?」
 絶妙な塩加減とジューシーな脂。魚といえば川魚か干物しか食べたことのないレリィには、確かな感動があった。
「そっちの巻貝も食べてみろ」
 促されて、レリィは殻から引き出されたグロテスクな物体としばらくにらみ合った。意を決してフォークを突き刺し、半分ほどかじり取ろうとしたが、弾力があってなかなか噛み切れず、結局一口に押し込んだ。
「どうだ?」
「………………」
 レリィは口を押さえて複雑な顔をしている。やわらかな部分と硬い部分が入り混じり、噛み切る作業に悪戦苦闘しているため、余計に複雑な顔になる。
 苦心して飲み込むと、シークェインに皿を差し出した。
「ごめん、わたしこれだめかも……」
「もったいないな!」
「バターとは合ってる気がするけど……なんか気持ち悪い……」
「まあ、慣れないうちはな」
 彼は無造作にフォークを突き刺して口に放り込む。
「シークって、好き嫌いなさそうよね…」
「あるぞ、きらいなもの。半熟卵とか」
「え、そうなの?」
「完熟か生ならいけるんだけどな」
「……普通、生の方が苦手じゃない?」
 他愛ない話だ。だがその他愛なさこそが、今までの二人には決定的に欠けていたのだろう。
 そういったやりとりをするうちに、テーブルの中央に中くらいの鍋が置かれた。
「はい、お待たせ。メインディッシュだよ。二人でつつきな」
「お」
 魚介のたっぷり入った鍋だ。トマトの赤をベースに、エビ、イカ、白身魚、二枚貝、そういったものがひしめき合っている。もっともレリィには、どれが何なのかさっぱりだ。
「まず汁を飲んでみな。魚介のダシがいっぱい出てるからね。あと、熱いから鍋に触らないよう気をつけるんだよ」
 厚手の手袋を脱ぎながら、おかみはレリィに指示した。レリィはやや体を硬くしてうなずく。
 シークェインが取り分け用の器に盛り、レリィに手渡す。スプーンを握り締め、レリィはそっと汁をすくって口をつける。
「熱っ」
「当たり前だ」
 レリィの反応がよほどおかしかったのか、シークェインはやたらと長続きする笑いをこらえるのに必死だ。
「な、なによ、そんなに笑って…」
「いい、いい。いいから飲め」
 改めて、レリィは息を吹いてスプーンの中の汁を冷ます。そろそろいいかと口に流し込むと、不思議な旨みが口内に広がった。
「おいしい……食べたことない味……」
「入ってるのがほとんど海のものだからな。具もうまいぞ」
 そうは言われても、レリィにとっては得体の知れない物のごった煮である。
「これ……なに?」
「イカの足だ、それ」
「イカ?」
「頭と足があってシャーシャー泳いで墨吐くやつだ。頭の方が食いやすいぞ。ほら」
「え、これが頭なの?」
「頭を切ったやつだ。煮るとこんなになるんだ」
 シークェインによって構築されたレリィにとってのイカ像には多分に間違いがあるだろうが、実物を見ない限り修正されることはないだろうし、恐らく実物を目にする機会もないだろう。
「これは?」
「エビの触角」
「えっ、虫!?」
 その反応に、シークェインはまた笑った。
「虫じゃない。エビは……あれだ、ザリガニなら見たことあるだろ」
「聞いたことだけ…」
「とにかく水に棲んでるんだ。まあ食え」
 シークェインの説明が適当極まりないものであったためか、レリィはその物体を避けて、無難に白身魚の切り身を選んだ。もっとも、本人にはそれが実際に魚なのかどうかの自信はない。あつあつをまた吹いて冷まして、まずは一口。
「…うん、おいしい」
「イカも食っとけ」
「えっと……これだっけ?」
「そうだ」
 リング状の物体を、ナイフで切り分けて口に持って行く。しばらく噛んでいたが、
「……よくわかんない味がする」
 それが彼女の結論らしかった。
 その後もあれやこれやと世話を焼いていたシークェインが、ふと言った。
「レリィ、酒飲めるか」
「え…。巫女だからお酒なんか…」
「だまれ」
 シークェインは手を伸ばし、レリィの額を指で小突いた。
「今は巫女は忘れろ。ちょっと飲んだぐらいで巫女の資格なくなるわけじゃないんだろ?」
「え……う、うん…」
「よし」
 シークェインはカウンターの方を向いた。
「おかみ! 麦酒2つ!」
「あいよ!」
 威勢のいい返事が返ってくる。
「ちょっ、ほんとにそんな…」
「いいだろ。もし酒のせいで巫女じゃなくなるんなら、おれが代わりにアリエンの平手食らってやる」
 シークェインは自分の頬を打つ真似をする。
「怖いぞー、アリエン」
 レリィはくすりと笑う。その瞳は心なしか穏やかな安らぎに満ちている。
「優しいシークだ…」
「なんだそれ」
 妙な顔をするシークェイン。
「変か?」
「ううん」
 シークェインが問いただそうとする前に、テーブルに木製のジョッキが2つドンと置かれた。
「はい、お待ち」
「こ、」
 おかみが去ってから、レリィは眉を寄せて囁いた。
「こんなに飲めない……」
「結構いけるもんだぞ」
 早速ぐっと一口あおるシークェインを見ながら、レリィはおそるおそるジョッキに口をつけ、中身を傾ける。
「…苦い…」
「ああ、そうか」
 シークェインは自分が初めて飲んだ時の事を思い出した。今のレリィと同じ感想だ。
「鍋つつきながらだと結構いけるぞ」
「そう…?」
 シークェインは鍋からあつあつのホタテを取り出し、口に入れて麦酒で一気に流し込んだ。
「こんな風に」
「無理…」
 呟きながらも、食べかけのイカを口に運んでは麦酒を飲んで顔をしかめる。
「シークは、こんなのがおいしいの?」
「味がうまいというより、のどごしがいい」
「のどごしね…」
 レリィはジョッキの中に泡立つ麦酒を凝視していたが、意を決して一気にあおった。
「おい、いきなり無茶するなよ」
「大丈夫、まだ半分……」
 ジョッキを下ろして息をつく。
「なんとなく……わかるかも」
「なにが」
「のどごし…」
「そうか」
 シークェインは片肘をテーブルに乗せ、頬杖をついて笑う。娘の成長を見守る親のような心境だった。
 食べては飲み、飲んでは話をする、そんな時間を過ごすうちに、鍋は空(から)になった。レリィの食べた量こそシークェインの半分以下だが、それでも彼女にしては随分な量を食べたことになる。
「おいしかったぁー。おなかいっぱい」
 朱のさした両頬に手を当てながら、レリィは至福の表情だった。
「ほっぺた熱いー」
「酔ってるな」
 シークェインが笑む。
「上で休むか」
「うん」
 レリィは立ち上がった途端によろめいた。すぐさまシークェインが支える。
「おい、大丈夫か?」
「んー、だめかも」
「しょうがないやつだな」
 頭をひとなでして、シークェインは彼女を横抱きに抱き上げる。
「おかみ! 勘定置いてくからな」
「あいよ。三号室が空いてるからね」
 レリィを抱(かか)えたまま、シークェインは器用に懐から硬貨を数枚出してテーブルに置いた。二階への階段を上がる。ドアを開け、寝台にレリィを横たえる。が、シークェインの首に腕をからめたまま、レリィは離れようとしなかった。
「ん?」
「うふふ…」
 首を伸ばし、シークェインの頬に軽く口づける。
「ありがと」
「…………、おう」
 珍しく照れたように、シークェインは口をつぐむ。それから指でレリィのあごを軽く上げてやると、彼女は目を閉じた。ゆっくりと、やがて深く、口づけを交わす。髪をなでる手が頬から首元に伝い、ワンピースのボタンを外す。そこから手が滑り込んでも、レリィは抵抗しなかった。しないどころか、シークェインの背に手を回し、上着を引っ張り上げて脱がそうとする。
「レリィ」
 ワンピースの肩を下ろしながら、シークェインは囁いた。
「レリィ……」
「愛してる」
「先に言うな」
「うふふ」
 シークェインはレリィの白い胸元に口づけた。
「おれも……愛してる」
「うん…」
 レリィがシークェインの上着を脱がし終えると、彼は自らズボンを脱ぎ、レリィのワンピースを足から脱がせた。
 シークェインが寝台に乗ると、寝台は大きな軋みを立て、二人の衣服は床に滑り落ちた。

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