Radwair Cycle
-BALLADRY-
“遭遇”
〜an Encounter〜
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 一泊しただけで、二人は宿を出ることに決めた。名残惜しげなおかみたちに「また来る」と手を振り、馬首を巡らせる。レリィも小さく頭を下げた。
 一度ラドウェアに戻って全てを清算すること。これが彼らの目的になった。ヴァルト、コウ、ティグレイン、そしてディアーナ。巫女を続けるにせよやめるにせよ、今すぐにでもレリィが会わなければならない相手はたくさんいる。
 馬を飛ばし、四日の道のりを三日でベルカトールについた。往路とはまた別の宿に泊まったその晩。
「―――探したぞ、レリィ・ファルスフォーン」
 聞き覚えのある低い声が、脳髄に直接滑り込み、意識の目覚めより先に背筋を凍らせた。恐る恐る目を開く。
 いた。まさか、こんなはずは。
「…エンガルフ……!?」
 そう呼ばれた男は複雑な模様の布に包まれた手を口に当て、クックッと笑った。
「理解できまいな、なぜ私が地上にいるか。教えてやろう。私は龍の血を引く者だからだ」
 何を、言っているのか。龍の血を引くものといえばこの世にただ一人、龍の血の女王ディアーナだけだ。
 その様子にエンガルフはまた笑った。その口から出たのは、レリィにとって全く思いがけない名前だった。
「我が母はシャリュアーネ、ラドウェア初代の女王。父は霊界の王ヴィクタ、とうの昔に私が殺したがな」
 シャリュアーネ。伝説で何度も聞いた名だ。
 ―――暁の女王!
 エンガルフの言葉が真実であれば、それは即ちディアーナの遠い遠い血縁にあたることになる。
「龍こそはただひとつ、“狭間”を超え七界に現れ出(い)でる生き物。その血を引く私は、ある者に召喚されることで、地上への案内状を受け取ったというわけだ」
 エンガルフはレリィの枕元に寄り、人差し指で彼女の青白い頬をなぞる。
「これで四度目だ。次に会う時こそ、お前は私のものになる」
 レリィの隣で眠るシークェインを見やって、エンガルフは唇の端を上げた。
「恋人との逢瀬も残り数えるほどだな。ゆっくり楽しむがいい」
 レリィの頬から指を離し、その指を、見せつけるようにゆっくりとなめ回す。
「しばしの別れだ。楽しみにしているぞ」
 その背後に見覚えのある闇―――霊界が口をあけた。闇はエンガルフを取り込むように広がり、やがて完全に主の姿を消すと、自らもまた小さく揺れて消えた。
 レリィは金縛りにあったように動けなかった。ようやく動き方を思い出した手が、暖かいシークェインの手に触れ、きつく握り締めた。
「……ん?」
 眠気といぶかりとでシークェインは顔をしかめる。
「どうした」
 レリィは声を出すのも恐ろしいといった風に、がくがくと震えていた。
「エン…、エンガルフが…、」
 聞き覚えのあるその名前を、シークェインはもやに満ちた頭に探る。レリィは彼の腕にしがみついた。
「エンガルフが……これで四回目って……次に会うのが最後だって……」
 頭のもやが吹き飛んだ。
「来たのか!」
 レリィは震えが暴走したかのように何度もうなずく。
「なにされた!」
「だ、大丈夫、なにも……」
 突発性の恐慌が収まると、今度は忍び寄る恐怖に侵されて、レリィは息を引きつらせて泣き出した。
「わたし…ッ…わたし…うわああぁ……」
 シークェインはレリィの上体を起こし、懐に抱えるように抱きしめた。
「くそ、おれが起きてれば…」
「だめ…ッ、殺される…!」
 レリィはシークェインのぬくもりを求めるようにすがりつく。
「あれは……人間じゃ勝てない……」
「それじゃ黙って見てろっていうのか」
「…だって……」
「諦めるのか。あいつのものになってもいいっていうのか!」
「…………」
 レリィは押し黙る。
「ラドウェアに行けばきっと手がある。だから負けるな」
「でも……でもわたし……わたし……」
「おまえも、戦ってるんだろう」
 “わたしはいつだって戦場にいるのよ。”―――北方の国レキアとの戦いに向かう時、そう言って胸を張ったレリィを、シークェインは今でも鮮明に覚えている。
「戦ってるなら、生き残れ。おれが見ててやる」
 レリィの両肩に手を置き、濡れた瞳にじっと目を合わせる。
「生き残れ」
 レリィはもうこれ以上涙を流すまいと歯を食いしばっていたが、それも間を置かず決壊した。
「だめ…もう無理……わたし違う…もう昔のわたしじゃない……もうだめ……」
「ラドウェアに行くぞ」
 シークェインは強く言い切った。
「ヴァルトがいる。魔導長もアリエンもいる。絶対なにか方法がある」
「……シーク……」
「だから負けるな。二人でラドウェアに帰るぞ」
「…うん……うん……」
 嗚咽に息を詰まらせながら、レリィは何度も小さくうなずいた。

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