Radwair Cycle
-BALLADRY-
“許されるなら、この時を”
〜a Calm Moment〜
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 霊界に降りられなくなった―――仕事を失った。自然、レリィはベッドで無為に時間を過ごすことが多くなった。
 アリエンの願いで何度かコウの家に赴き、子供たちと触れ合うことはあったが、それ以外は館の外に出ることはなかった。
 暦の上ではあれから一ヶ月になるが、レリィは日付を数えていない。今日も朝食を摂っただけで、残る時間は眠り続けた。眠りは浅く、同じ夢を繰り返し見る。
 それは幼い時に見た夢。ベッドで寝ている自分。閉じた窓を染める、まがまがしくも鮮やかな橙色の光。それはもしかするとただの夕陽だったのかもしれない。だがもし庭を焼き尽くす火の手の色だったら。否、そうとしか思うことができなかった。
 ―――外には出たくない。わたしはここで死のう。この部屋で死を待とう。どうせ逃げられない。
 突然、バンという音と共に窓ガラスにひびが入った。
「レリィ!」
 聞き覚えのある男の声が呼んでいる。窓ガラスのひびが大きくなる。
「レリィ!」
 男だけではない、やはり聞き覚えのある少女の声も入り混じる。
 ―――やめて。その窓を割らないで。
 外なんて見たくない。現実なんてほしくない。
「やめて!」
 自らの声で、レリィは目を醒ました。
「レリィ?」
 自分の顔を覗き込んでいる人物に気づいて、すぐさま応じる。
「なんでもない」
 それからようやく頭が回り始めた。声をかけたのはシークェインだ。
「…なにか用?」
「字教えろ」
「は?」
 見ればシークェインは小脇に紙束を、手にはインクとペンを持っている。どうやら本気らしい。
「そんなの…わたしよりティグとかアリエンの方が……」
「つべこべ言うな。教えろ」
 ベッド脇の低いテーブルに筆記用具を置き、どっかと腰を下ろす。仕方なしに、レリィは重い体を引きずり起こす。
「字って言われても…」
「共通語は大体わかる。だから、ラドウェア古語」
「古語知らなかったの?」
 レリィはあきれた。ラドウェア古語といえば、巫女や女王、魔導師らをはじめ、地位ある者は当然修めておかねばならぬ言語だ。なぜなら重要書類のほとんどは、ラドウェア古語で書かれている。
「よく守備隊長やってこれたわね」
「シャンクがいたからな」
「あ、そう……」
 シャンクも苦労が絶えないわね。―――思ったが、口には出さなかった。
「今から、やるの?」
「今からだ」
 まるで決定権を握っているのがシークェインの方であるかのようだった。勢いに負けて、レリィは彼の隣に腰を下ろす。
「じゃあまず基本文字から……」
 レリィが一文字書き、発音を繰り返しながら、シークェインが五回ほど書き連ねる。数文字まで行ったところで、レリィが適当に文字を指して、シークェインの発音を確かめてから、次に進む。
 小一時間ほど経って、レリィが先に疲れたようだった。
「…まだやる?」
「じゃあ明日にするか」
 シークェインはインク瓶にふたをして、紙を整える。
「…他にやることないの?」
「おれか? まあ、訓練見たりちょっと参加するぐらいだな」
 片付けの手を止めて、彼はレリィを見やる。
「おまえはどうなんだ」
「なにもない…かな……」
「コウのところ泊まったんだろ?」
「…うん」
「少しか気晴れたか?」
 沈黙の後、レリィは首を横に振った。
「コウはいろいろ……気休めとか言ってくれるけど、」
 レリィは視線を遠くにやる。
「コウだって、自分の子供が病気になったら、わたしがどんな状態でいたって治療頼みに来るわよね……」
 シークェインはうつむいたレリィの横顔をしばし眺めて言った。
「当たり前だ」
「……そう…よね、やっぱり……」
「だから、そういう時はおれがあいつを殴る」
 レリィは下げかけていた目線を上げ、唖然としてシークェインを見た。
「おれはそのためにここにいるんだ。わかったか」
 こつん、と額と額をぶつけて、シークェインは笑った。
「…うん」
 レリィの顔に微笑が浮かぶ。ここ最近になるまで、なかった表情だ。シークェインは目を細める。
「美人だな」
「な、」
 レリィは顔を赤らめる。
「なによ、それ」
 そんなめまぐるしい表情の変化も、見られるようになってきた。
「けっこう長いこと顔見てきたのにな。なんで今になって気づいたんだろうな」
「……寝顔のほうがかわいいとか言ったくせに」
「言ったかそんなの」
「言いました!」
「いつ」
「ラドウェアに来てすぐの頃」
「言ったか?」
「言ったってば」
「…まあ、いいだろ」
 シークェインは大きな手をレリィの後ろから回して肩を抱く。
「おまえがいて、おれがいて、それでいいだろ」
 レリィは戸惑ったが、やがて照れたように下を向き、小さく柔らかな笑みを浮かべた。
 ―――願わくは、この時を、永遠に。
 外を雪がちらついている。二人に残された、最後の冬だった。

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