Radwair
Cycle -NARRATIVE- |
"哀惜" 〜Lamentation〜 |
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北門双塔の片側、西の塔では、巫女レリィが怪我人の手当てにあたっていた。負傷兵の腕に包帯を巻きながら、彼女は小さく呟く。 「ごめん」 「はい?」 「こんなことしかできなくて…」 早くも重傷者の報告も来ている。もし今の彼女に何の事情もなければ、すぐさま飛んで行って治療しただろう。霊界に降り、生死をさまよう魂を、魔物どもから取り返す。それはラドウェアの巫女にのみ与えられた、今となってはレリィただ一人にのみ残された能力。しかし今、彼女は霊界に降りることを固く禁じられている。彼女自身の命を、《霊界の長子》エンガルフから守るために。 彼女が包帯を巻き終えた時、螺旋階段からひょっこりとディアーナが顔を出した。短いスカートに、髪をひとまとめにしたその姿は、魔導長ティグレインか文官長ルータスが見れば眉をひそめたであろう。動きやすい格好に相違ないが、女王の威厳のかけらもない。 「レリィ、手伝っていい?」 「うん…」 応じたと同時に、東の出入り口から二人がかりで患者が運び込まれた。その特徴ある鎧から、運ばれてきたのは近衛と知れた。胸を石弓の矢で貫かれている。誰が見ても、その命の残り火の細さは窺われた。 「ラギ!」 ディアーナが声を上げた。駆けつけて座り込み、両手で鎧の手を握る。彼を運んできた守備隊の者たちが、レリィに一礼して引き返していく。恐らくディアーナには気づかなかったに違いない。 「ラギ、しっかりして!」 兜を外されたその顔はまだ若い。半開きの口が、何とかしてディアーナの名を呼ぼうとするが、それは血の泡となって弾けて消える。 「だめ…、だめ、頑張って! レミーニャが待ってるんでしょ!?」 必死の励ましも届いているかどうか。 ディアーナは覚えている。靴屋の息子であったラギが、リタ貴族の令嬢レミーニャと結ばれんがために、近衛の道を歩き始めたことを。そのために雨の日も風の日も懸命に鍛錬を重ねてきたことを。そしてようやく近衛の地位を得、レミーニャの父から結婚の許可が下りたことを。 レリィはそのいきさつを知らない。だが、ディアーナの悲痛な声は、ひどく彼女を揺さぶった。 ―――だめだ……。 スカートの上に置いた手をぎゅっと握り締める。 ―――治せるのに。霊界(むこう)にさえ行けば治せるのに…! 『アイツに会わない一番確実な方法つったら、霊界に降りないコトじゃない?』 ヴァルトの言葉がよみがえる。そして、「ラドウェアの巫女の血を絶やしてはならぬ」という、幾度となく祖母から聞かされた教えが。 行ってはならない。決して。 ―――ごめん。何もできない…。わたしはもう巫女なんかじゃない…。 「ラギ、ラギ!」 ディアーナが呼べどもその名ももはや遠く、若き近衛は最後の息を終えた。 「ラギ…っ!!」 「……ごめん」 レリィは声を絞り出す。 「わたしが霊界に行ければ、助かったのにね…」 ディアーナは涙あふれる顔を上げた。手の甲でぬぐい、レリィに向き直って、ゆっくりと首を振る。 「だめだよ……レリィは行っちゃだめ」 なおもディアーナが続けようとした時、その視界の外でラギの手がぴくりと動いた。 レリィは息を飲む。たった今ここで息を引き取った、屍(しかばね)になったはずのラギの手が、ディアーナの首に伸びたのだ。 「……!」 とっさにレリィはディアーナの体を引き倒した。ラギの手が空をつかむ。体勢を整えようとレリィが振り向いた時には既に、立ち上がったラギが腰の剣を抜いて振り上げていた。 ―――かわせない! レリィは恐怖に凍りついた。全身から血の気が引く。その眼前で、鋭い金属音がした。 槍。一本の槍が、ラギの一撃を受け止めていた。ディアーナだ。槍立てが近くにあったのが幸いした。そして、彼女が槍術を幾分か習得していたことも。ラギの剣を斜めに滑らせてかわし、ディアーナは立ち上がりつつ後ろに跳ぶ。 ラギの攻撃は一度ではやまなかった。踏み込んでニ撃、三撃と打ち下ろされる攻めを、ディアーナは槍で受け流しながら叫ぶ。 「ラギ、どうしたの! ラギ! 返事して!」 その声が届いていないことは明らかだった。ただひたすらに、かわし、下がり、距離を取る。 『押されても慌てるな。隙をつかんで反撃に転じろ』 シュリアストの教えだ。ディアーナは弱々しく首を振る。できない。できるはずがない。一見ひ弱で、それでもどこか芯の強い、優しいラギ。初めての狩りで、親鹿に止めを刺すのをためらって大怪我をした。「私と同じだね。だって、私も小さい時コウに、捕まえてたウサギを逃がしてあげてってせがんだもの」―――そう笑い合った、ラギ。 槍を構えながらも途方にくれるディアーナとラギとの間の空間を、ヒュッと黒い影が横切った。緑色に光る線がその後を追い走る。 「まー、座っとき、な!」 目にもとまらぬ速さでまばゆい緑の魔導紋が描かれ、それは光の球と化してラギの右足を吹き飛ばした。勢いラギはもんどりうって、うつ伏せに床に叩きつけられる。 だがそれもひと呼吸の間。完全に砕かれたはずの膝をかばうでもなく、のろのろとラギは立ち上がった。レリィが思わず後ずさる。 「なッ、な…に、これ…」 「あー、こりゃダメだわ。ちょい目ぇつぶっといて」 黒い影―――ヴァルトは驚いた様子もなく次の紋を描き始めた。 「ヴァルトだめ、やめて!」 突然、ディアーナが後ろからヴァルトに抱きついた。 「お?」 完成寸前の紋を、ヴァルトはかき消す。 「いいけど、オレが死ぬよ?」 言葉通り、まさにラギの剣がヴァルトの頭上に振り下ろされようとしていた。ディアーナは呼吸を止める。 次の瞬間、いまひとつの影が割り込んだ。金属音に似た音が響き渡る。その人物の手の先、盾のような円形の結界が、ラギとの間に展開されていた。 魔導長ティグレイン。十本の両の指にはめた指輪はいずれも魔導具、魔力を込めて展開する盾状物理結界もその効果のひとつだ。結界を解除すると同時に、懐から捕縛糸を取り出して放つ。剣を振り上げた状態のまま、ラギはその糸に捉えられた。間髪いれずティグレインは低い詠唱を始める。 「我はムーレインソローラ 《窓》の支配者なり 」 「ティグ…!」 「あー、止めてもムダ」 思いのほか強い力で、ヴァルトはディアーナを引き戻す。 「我が声 我が名に 目覚め応じよ 汝が名は裂風 」 体の自由を取り戻そうと身をよじるラギを、ディアーナは祈るように見守る。 「我が右の手に触れし物を 塵と成せ! 」 ラギが捕縛糸を断ち切るより早く、ティグレインの詠唱は終わった。足元から巻き起こった一陣の旋風が、急激に勢いを増す。鋭い唸りを上げるそれは、もはや風ではなく刃。突き出したティグレインの右手を包み込んだと思いきや、その先にあるラギの体を、轟音と共に鎧ごと切り裂いて行く。 つい今の瞬間までラギであったはずの、ばらばらになった手足とそれぞれから噴き出す血に、ディアーナは思わずよろめいた。とっさにレリィが支える。 「ティグ…!」 魔導長に向けたレリィの目は非難に満ちていたが、ティグレインは表情を崩さなかった。 「やむを得ぬ措置にて、失礼仕(つかまつ)りました。されど、自省なされよ陛下。この者が既に死んでいた事、判っておられたはず。しかるに貴女の行いは、死者を生かしヴァルトを殺(あや)めんとした」 「……うん…そうだね…」 沈んだ顔のまま、ディアーナは確かにそう言った。 「ごめん…」 消え入るような声のディアーナを、レリィは哀れみを帯びた目で見つめる。対して、ティグレインはかすかに笑った。現実を直視し、自らの非を認める事を恐れない、この君主だから、ついて行ける。 広がる血の海から一歩二歩軽やかに退いて、ヴァルトはくるりと半回転する。 「死なない死人ね。困りましたコト」 「死なない、死人…?」 それは今まさに目にしたものだ。だがディアーナは、彼女といえども、立て続けに起こった災いの筋をつかめずにいた。はなから説明する気のないヴァルトに代わって、ティグレインが口を開く。 「何の準備も無しに死体を動かすなど、屍術(ネクロマンシー)でも不可能。増してやこの距離、この数。いかな魔導師とて出来よう事ではございませぬ。これは到底、人の業(わざ)とは…」 最後まで聞かず、レリィが動いた。三人に背を向け、よろよろと数歩歩いて、倒れるように膝をつく。 「レリィ!?」 ディアーナが駆け寄った。レリィは両手を床につき、全身の震えと戦っている。 ―――あいつだ ―――あいつが近くにいる!! 「レリィ、大丈夫? どうしたの?」 顔を覗き込むディアーナを、首を振って拒絶する。何とか側の壁に手をついて立ち上がると、おぼつかない足取りで塔を出て行った。 「レリィ、そっちは…!」 「だいじょぶ」 またしてもヴァルトがディアーナを引き戻す。ティグレインは無言でレリィを見送り、ディアーナの前に立つと、ふわりと外套(マント)をなびかせ、ひざまずいた。 |
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