Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"宣言"
〜Separation ( I )〜

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 会議はティグレインを待って開かれた。近衛長コウが、居並ぶ面々を見渡す。
「さて。聞いての通り、エアヴァシーの陥落が確認された。リタからの連絡も一切途絶えている。恐らく陥ちたものと判断していいだろう」
 ラドウェア城の不落は、エアヴァシーとリタの両城が健在であってこそだ。この城ひとつで、援軍も補給もあてのない籠城を続けることは意味がない。二城の落城は、ラドウェアの者たちの精神に大きな打撃を与えたが、同時に戦略的にも痛烈な痛手となっていた。
 再び口を開こうとするコウを、部屋着のままのティグレインが挙手で遮った。
「ヴァルトからの言伝(ことづて)だ。魔導師ヴェスタルはそう遠くには行っていないはず、だが奥の手を用意している事は間違いない。対策を急いだ方が良い、と」
 ヴァルトの「伝えといて」に、ティグレインは相当の補足を加えた。彼にそれができると踏まえた上でのヴァルトの「伝えといて」だ。
 一呼吸置き、続ける。
「ひとつ、知り置き願いたい事が有る」
 部屋いるのは、近衛長コウ、守備隊長シークェイン、文官長ルータス、巫女レリィ、そして女王ディアーナ。改まった様子のティグレインの続く発言を待って、部屋は緊張に満たされる。
「魔導師ヴェスタルはかつてラドウェアにいた。我が師であった男だ。だが、ディアーナ陛下の誕生と共に姿を消した」
 ティグレインはそこで一旦話を止めた。その場の全員が、驚きの表情を隠せずにいる。
「その際、ヴェスタルはユハリーエ前女王の胎盤を持ち出して行方を晦(くら)ませたと思われる。…『思われる』と言ったのは、誰もその現場を目にして居なかった為(ため)だ」
「ラドウェアにいただと?」
「その胎盤から龍の血を?」
 シークェインとルータスが同時に声を発した。
「……そうだ」
 両方への答えだ。シークェインの顔が険しくなる。
「なんで野ばなしにした! そいつを捕まえておけば今ごろ…」
「私の至らぬが故(ゆえ)だ」
 ティグレインが一回り声を大きくした。
「身近に在りながら左様な邪心を持つ者と見抜けなかった私の落ち度だ。如何(いか)なる責めも負う覚悟」
「だからなんだ! おまえが死ねばエアヴァシーが戻ってくるとでも思うのか!」
「シークェイン殿」
 なだめるようなコウの口調に、シークェインが反撃を加える前の一瞬の空白をついて、ディアーナが問った。
「ティグレイン。今のあなたは、どうなんですか?」
 しん、と部屋が静まり返る。何組かの視線が、ディアーナとティグレインの間を行き来する。
「今、あなたは、ヴェスタルを、どう思っているのか。聞かせてください」
「それは私もぜひお聞きしたい」
 ルータスが添えた。ティグレインはしばし無言のまま焦点を定めずにいたが、一度目を伏せ、今度はしっかりとディアーナを見つめた。
「師であった事は曲げようのない事実。されど、ラドウェアを脅かす存在である以上、徹底して抗戦する構えでおります。私は師弟の関係を克服し、かの者が最早(もはや)敵であると言う事実を受け入れねばなりませぬ」
 ディアーナはティグレインの言葉を、丁寧に吟味している様子だった。やがて、
「受け入れ、られますか?」
 静かに問う。
「受け入れてご覧に入れます」
 ディアーナと目を合わせたまま、ティグレインははっきりと言った。ディアーナは深くうなずく。そしてルータスに視線を移すと、文官長は満足げに微笑した。
「ご立派なお覚悟」
「皆、よろしいですか?」
 ディアーナは一人一人を見渡して確認する。シークェインは真一文字に唇を引き結んでいたが、異論を挟むことはなかった。それを確認して、コウが話を続ける。
「敵魔導師ヴェスタルは、エアヴァシーとリタの両城の攻略で現在魔力を使い切っており、積極的な魔法攻撃はないものと思われる。だが、敵が死人では、冬を待っても撤退はないだろう。既に味方の疲労も、精神肉体ともに限界に近い」
 コウはゆっくりと目線をディアーナに合わせた。ディアーナは厳しい顔で、じっとコウの言葉を待つ。
「打って出ようと思う」
「……はい」
 ディアーナは応じた。それが静寂に沈む前に、椅子を蹴(け)倒さんばかりの勢いで、シークェインが立ち上がった。
「おれが出る」
 一同の視線がシークェインに集まる。コウは口を開きかけたが、そこから言葉を告ぐのはためらった。
『レリィ様は―――』
 前魔導長にして妻アリエンの警告が脳裏によみがえる。
『レリィ様はラドウェアの歴史上で最強の巫女。体調さえ万全であれば、たとえ霊界の王を相手にしても十分に戦えるでしょう。でも仮に、誰かを人質に駆け引きに出られたら……ましてそれが、』
 そこで言葉を切り、アリエンは遠く目を流した。
『レリィ様の想い人であったなら…』
「…いや、」
 コウは首を横に振った。
「駄目だ。貴公は行かせられない」
「なんでだ!」
 いきり立つシークェインに、コウは、彼にしては珍しく、突き放すように言った。
「ラドウェアは守りの地形だ。エアヴァシーとは違う。それに、」
 口調をやわらげる。
「今の貴公には冷静さが足りないな」
 シークェインは反論できなかった。握り拳を作り、だがそれをどうすることもできずに、弱々しく机を叩く。
「自分が行こう」
 言ったのはコウだ。座りかけていたシークェインが目を剥(む)いた。
「おまえ…、」
「そして、ロンバルドに替わって、この場にはいないが、シュリアスト・クローディアを副近衛長に任命したい」
 コウの発言に、室内の視線が交錯した。
「近衛長殿、それは…」
 ルータスが抗議の姿勢を見せる。
「伝統あるラドウェア近衛の副長の地位に、全くの異国民が就くとあらば、内部の反発は免れますまい」
「ルータス殿。彼らを異国民だとは俺は思わない。かつて根無し草だったにせよ、ラドウェアに根を下ろし、今やしっかりと根付いた、そういうものだと思っている。…シークェイン殿、言い方が失礼だったらすまない」
「べつに」
 シークェインはどっかと椅子に座る。
「おれはいいとも悪いとも言わない。あいつはおれの弟だからな」
「…魔導長殿のお考えは」
 発言を求められ、ティグレインはルータスにちらりと目をやった。
「先々代魔導長シェードは、何処(いずこ)から来たとも知れぬ者。魔導師団と近衛に同じ道理が通じるとは思いませぬが、近衛長が見込んだ者が然るべき地位に就くのは、伝統に外れる事ではございますまい」
「そうは申されますが…」
 苦い薬でも飲んだように、ルータスは眉をしかめた。
「…ディアーナ陛下は」
「私は…、」
 ディアーナは一旦口を閉じ、目の前の一点をじっと見つめた。
「私は、判断しかねます。シュリアストは私にとって近しい人。私の目が彼を正しく評価できるかどうか、自信がありません。ただ、コウが彼を評価するのであれば、私はそれを支持します」
「いえ。陛下から直接、彼についての評価をいただきたく存じます」
 言ったのはやはりコウだ。予期した展開ではなかったが結果よしと見たか、ルータスは興味津々といったふうで口ひげをなでている。ディアーナは考え考え、一言ずつ紡ぎ出す。
「私から見た、シュリアスト…。彼は、とても強い心を持った人です。真面目で、強い責任感を持っています。ただ、言葉で伝えることが得意ではない人で、人の上に立つ上ではその点が心配です」
「なるほど」
 ルータスはコウに目を戻した。
「他にふさわしい者がおらぬということですかな?」
「そう…ではありません。ただ、」
 かつての巫女の預言なのだ。恐らく、シルドアラから来たこの兄弟のどちらかが、ディアーナを守る『最後の盾』となる。
 だが、果たしてその解釈が正しいか否かはわからない。ゆえに、コウは口にすることはできなかった。
「…ただ、彼であれば任務を全うできると考えました」
「ふむ。しかし、先に言ったように、内部に反発が生じるのは必至。いかがしますかな?」
「いや、ああ見えて彼は部下の信頼は篤(あつ)い。反発が起こっても、周囲が説き伏せるでしょう」
「ほう。ずいぶん買われているのですな。では私はこれ以上何も言いますまい。近衛長殿を信じましょう」
「ありがとうございます」
 コウの礼に、ルータスは微笑した。ディアーナが皆に問いかける。
「それでは、シュリアストを副近衛長に。よろしいですか?」
 異論はなかった。コウがディアーナの方を向く。
「ではディアーナ様。近衛騎士団出撃の許可を」
「わかりました。ラドウェア近衛騎士団、出撃を許可します。…ヴェスタルの居場所はわかりますか?」
 ディアーナが今度はティグレインに問う。
「魔力探知で探し出せるかと」
「では魔導師団から、伝令の他にもう一人出して近衛につけてください」
「承知致しました」
 ティグレインにうなずいて、ディアーナは姿勢を正し、会議室の面々を見渡す。
「厳しい…状況です。でも、」
 一度下げかけた顔をくっと上げる。
「負けないで。ラドウェアの、みんなの命……かかっているから、お願いします」
 深々と一礼する。そして再び顔を上げた時には、彼女の琥珀色(アンバー)の瞳は強い意志に輝いていた。
 この出撃がいかなる結果につながるか、知る者はまだ、誰もいない。

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