Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"孤独なる戦い"
〜No Hope〜

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 闇の中、肩で息をしていた。もう何人斬ったか知れない。汗がだらだらと顔を流れ落ちる。
 限界だ。起き上がる死体、いくら斬っても倒れない敵、仲間を切り刻まねばならない無念に、近衛も守備隊もみな怯え、疲弊しきっている。
 血滴を払って剣を収め、包帯を取り出す。ここは守りの塔の地下。重傷を負った、だが意識のある兵士たちが、運ばれてくる。かがみこんで、次の怪我人の顎紐(あごひも)を外し、兜を取り去ると、現れた顔は見知ったものだった。
「…バート」
「シュリ…アスト、か…」
 バートはきつく眉を寄せ、額に汗を浮かべて痛みに耐えていた。致命傷になりうるのは、胸に受けた矢傷だ。ランプを脇に引き寄せ、シュリアストはバートの鎧の留め金を注意深く外す。胸当ての下に手を入れて矢を一気に引き抜くと、バートの口からはうめきが、傷口からは血が吹き出した。
「今、止血する」
「…いや。もう、いい…」
「諦めるな」
 シュリアストは乱暴にバートの鎧下(ダブレット)を剥ぎ、止血用の布を傷口に当てる。
「もういい…。外に、捨ててくれ。迷惑になる」
「断る」
「ではせめて…妻に言伝を、」
「黙れ」
 一回り年上の兵士を相手に、有無を言わさずシュリアストは言った。
「死ぬな」
「…………」
 苦痛にゆがんでいたバートの唇の、口角がわずかに上がって笑みを形作る。シュリアストはうなずいた。
 重傷、それは即ち死の一歩手前。そして同時に、仲間を襲う不死の兵となる可能性の高い者たちだ。それは十分に理解している。その上で、ここにいる事を選んだのは自分だ。既に何人もの仲間を『処理』してきた。剣を振るうごとに濃さを増す血の匂いに、麻痺していたのは恐らく嗅覚だけではない。
「シュリアスト!」
 階上から声が降ってきた。
「リグスがやられた。今連れてくる」
 シュリアストの手が止まった。壁にぐるりと沿った螺旋状の階段の出口を見上げる。二人の近衛に運ばれて、ぐったりした様子の青年が降りてきた。
 万が一の時に被害が広がらぬよう、瀕死の兵士からは武器を回収している。運んできた近衛の一方が、仰向けに寝かせたリグスの腰からベルトごと剣を外した。シュリアストは立ち上がり、鎧の音を鳴らしながら彼らに近づく。
「グレイヤー、バートを頼む」
「了解」
 グレイヤーと呼ばれた近衛は、シュリアストと入れ替わってバートの傍(かたわら)に膝をつき、槍を置く。一方でシュリアストはリグスの鎧を外しにかかった。
「た…隊長」
 シュリアストの預かる隊に所属し、シュリアストを兄のように慕っていたリグスだ。シュリアストの方ははじめこそ疎(うと)んだものの、近頃はさせるがままにしていた。
「隊長……隊長、」
 口を動かしていなければ命が尽きてしまうかのように、リグスはシュリアストを呼び続ける。
「痛ぇよ。オレ助かる? ねぇ、いやだ、…死にたく…ねぇよ、死にたくねぇ…」
 目に涙を浮かべ、一呼吸ごとに訴える。
「止血さえ済めばどうにかなる。しっかり押さえてろ」
 胸の傷口に当てた布をリグスに握らせ、その上に左手を置いて、シュリアストは包帯をのばす。
 と、背後で鎧の音がした。
「…グレイヤー?」
 振り向くと、ゆっくりと横に倒れていくグレイヤーの姿があった。石床に鎧がぶつかり、金属音が鳴り響く。
 槍が、グレイヤーの咽を貫いていた。グレイヤー自身の所持していた槍。それを構えているのは―――バートだった。
 何が、起こったのか。
 頭が事態を把握するより早く、シュリアストの体は反応した。腰の剣を抜き、その勢いのままにバートの足元をなぎ払う。バートは、いや、バートであった屍(しかばね)は、後ろに跳んでそれを避けた。
 左手でリグスの傷口を押さえながら、体の位置を変えてバートに剣の切っ先を向ける。だが、この姿勢で戦うには限界がある。
「しっかり押さえてろ」
 リグスに告げ、シュリアストは立ち上がりざまに肩からバートにぶつかった。バートがよろめいたその機を逃さず、剣を突き出す。胴鎧を外してはいたが、もはや死人である以上、胴にいくら傷をつけても大きな効を成さない。腕や足を切り落とすか、それが無理なら腱を切るかだ。
 右の肩口に突き刺した剣が、ぶちりと何かを断ち切る。だが。
「わ、うわあぁっ!!」
 リグスの悲鳴だった。振り向くと、グレイヤーが、自らの咽に刺さっていた槍を引き抜いて、上からリグスを刺し貫こうとしていた。
 シュリアストは身をひるがえして止めようとした。間に合う、はずだった。
「、」
 不意に、体ががくんと沈み込んだ。彼自身気づかなかった、気づかぬふりをしていた、疲労の蓄積が脚に来たのだ。シュリアストが前のめりに倒れるのと、グレイヤーが槍を振り下ろしたのは同時だった。
 無様に床に叩きつけられたシュリアストは、しかしすぐさま片膝を立てて起き上がった。
「リグス…ッ!」
「あが…っああ…!」
 槍を突き立てられた胸をかきむしり、リグスは必死の形相で宙に吼える。髪を振り乱し、体をよじり、足をばたつかせて、迫り来る死の支配から逃れようとする。それでも一呼吸ごとに、胸の深紅は広がっていく。
 シュリアストは前後に大きく揺れながら立ち上がり、グレイヤーの肩をつかんだ。強く引き寄せ、槍を奪い取る。剣を右手に、槍を左に、荒い息をしながら、彼はグレイヤーに立ち向かった。
 皮肉屋のグレイヤー。口を開けば、出るのは辛辣な台詞ばかりだった。シュリアストがその標的となった事も何度かある。腹に据えかねたシュリアストがきつい脅しをかけ、コウに二人呼び出しを受けた事もある。
 今、皮肉の代わりに、グレイヤーの咽にあいた穴と口からは、血が泡立ちながらふきこぼれる。目をあらぬ方向に向けながら、武器を失った手を前に出してシュリアストにつかみかかろうとする。
 鎧を着込んでいる分、バートよりも守りは堅い。シュリアストはグレイヤーの鎧の隙間、左腕の付け根を、剣で正確に突き刺した。体ごと一気に下方へ力を込める。斬るというよりは、骨を折り砕く一撃だった。グレイヤーの左腕がぶらりと垂れ下がる。
 後退して、再び槍と剣を構える。息は上がっている。後ろに目をやると、バートもまた立ち上がって拳を握っていた。振り上げる一撃をかわし、背後を取られぬよう壁に背をつける。
 この疲労を抱えて、二人。相手はいずれも素手だが、死者の怪力がある。それぞれ片腕ずつ奪いはしたが、それで戦意を喪失してくれるはずもない。
 助けを呼ぶという発想はなかった。自らが招いた窮地だ。片をつける義務がある。シュリアストは槍を後ろに落とし、両の手で剣を握りしめると、再びグレイヤーに斬りかかった。左手をかわし、空いた脇に突きを入れる。血がしぶいた。生きた人間なら、肺を傷つけられて死に至っただろう。
 さらに柄で殴りつけ、体勢を崩したところを、足をすくってうつ伏せに倒す。剣を逆手に持ち、鎧に守られていない両腿に突き立てる。おびただしい量の血が噴き出した。動脈を切ったのだ。間もなく失血でグレイヤーは立つ力を失うだろう。あとはバートだ。
 鎧がない分、バートを斬り伏せるのはたやすい。力任せに剣を袈裟がけに振り下ろす。剣は肩から胸まで食い込んだ。血しぶきに目を細めながら、足を支えに引き抜く。バートはその場に崩れ落ちた。
 血の匂いが、刻一刻と濃くなっていく。血溜まりの中でもがくグレイヤーとバートを見ながら、シュリアストは荒い呼吸を繰り返していた。
 その背後から、手が伸びた。

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