Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"晴天"
〜Calm before the Storm〜

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 晴れていた。朝の光が、雲をまばゆいばかりに照らしている。
「朝てっかりは雨、だったかな」
 空を見上げながら、コウは独りごちた。大概はシャンクがそばに付き従っていて何らかの反応を返すのだが、今日隣にいるのは第四隊隊長のジャルーク、大柄で寡黙な男だ。
 点呼を指示する。その結果が報告として戻ってくるまでには、少しの時間があるだろう。後ろに控える巫女親衛隊隊長クライアに向かって片手を挙げると、クライアは気づいて深く頭を下げた。コウは歩み寄って尋ねる。
「巫女殿の様子を知りたいんだが、いいかな」
「はい。…落ち着いておられるかと」
 低い声でぼそぼそと応じる。その後ろから、長い杖についた飾りの涼しげな音をさせながら、巫女本人が現れた。紫の視線をコウに投げ、口角を上げて笑みを形作る。
「平気よ。今日は少し調子がいいの。うまくやれると思うわ」
 今回のレリィの仕事は全軍鼓舞、霊界に下りるものではないため、エンガルフと接触することはない。この戦いで役立てる最初で最後の好機、とレリィが意気込むのも無理はない。
「そうか。無理はしてくれるなよ」
「わかってる」
 親衛隊に見守られながら、レリィは再び内城門の方へと戻って行った。
 不意に、背後で止まる靴音を聞いた気がして、コウは振り向く。魔導師団を後ろに控え、魔導長がそこにいた。
「ティグレイン殿! お体は?」
「案ずるな、指揮は出来る。西門側の牽制をすれば良いのであろう」
 コウを見やってその唇が軽く笑んだが、それもすぐに収められた。
「改めて言うまでも無いが、エンガルフとの接触は極めて危険。場合によっては即時撤退も考慮されよ。…今一つ、」
 深紅の外套(マント)を揺らし、ティグレインは腕を組む。
「アリエンが今朝、出撃許可を求めに来た」
「えっ」
 意表を衝(つ)かれてコウは戸惑う。
「申し訳ありません、ご迷惑を…」
「それは構わぬが、」
 組んだばかりの腕を解く。
「抑えて置いて貰いたい。それだけだ」
 用件を伝え終え、コウに背を向けようとして、ふと立ち止まると、ティグレインは肩越しに振り返った。
「十年か。早いものだ」
「えっ、何がですか?」
「貴君が近衛長になってからだ」
「あ…。もうそんなになりますか」
 コウとティグレイン、近衛長と魔導長としてのつき合いは足かけ九年になるだろうか。近衛の役目は城と女王の守備、魔導師の役目は大陸を侵す亜人らの討伐、行動を共にすることは稀(まれ)だ。同じ敵を相手に戦うのは、隣国レキアが亜人と組んで精霊獣を連れ込んだ時以来となる。
 それにしても、コウ自身が記憶していなかった年月を、よくティグレインが覚えていたものだ。単に記憶力がよいだけでなく、周囲に十分以上に気を配っていたことが窺われる。ティグレインのこういったところに、常にコウは舌を巻く。
「斯様(かよう)な時に戦とは皮肉な物だ。何事も無く終わらせて酒でも酌み交わすとするか。―――いや、貴君は飲めぬのであったな」
「あ、いえ。ティグレイン殿のお相手なら喜んで」
 そう笑うコウに、ティグレインは微笑して目を閉じた。
「やめておこう。近頃は少々控えている」
 子供だましの嘘だが、コウはティグレインの不器用な心遣いに微笑(ほほえ)んだ。気づかず、魔導長は晴れた空を見上げる。
「願わくは、今少し平和な時代に生まれたかった物だ」
 応(いら)えを待たずに、外套(マント)をなびかせ歩き出す。
「魔導師団、西門へ移動せよ!」
「はっ!」
 命令を待っていた魔導師たちが、三列縦隊で移動を始めた。その最後についたティグレインの姿が、近衛や守備隊に紛れて消えていく。それを見送り、本隊の方へ戻るその前に、コウは足を止めた。前方から走ってきたジャルークに点呼の結果を聞き、片手を挙げる。
「ジャルーク、悪いんだがちょっと外してくれるかな。すぐ終わる」
「は」
 一礼して、色黒の偉丈夫は引き下がる。それを確認してから、自らの後ろに控える小さな影の方へと目をやった。
「何の用かな。アリエン」
 アリエン―――コウの妻にして前魔導長。彼女は、その小柄な身を魔導師団の制服に包み、意を決した眼差しでコウを射抜いていた。
「コウ……いえ、近衛長殿にお願いがあります」
「戦わせてくれと言う話なら、許可はやれない」
 そっけなく応じるコウに、アリエンは声を強めた。
「私は…元魔導長ですよ! 役に立たないなどということはありません!」
 コウは口を引き結ぶと、一旦目を閉じ、そして開いた。
「ティグレイン殿は何て言った?」
「……、」
『駄目だ。お前の魔力は底をついている。迂闊に魔法を使えば直(す)ぐに限界を超え―――命を失う事になる』
 アリエンの瞳が戸惑いに揺らぐ。
「ですが……ですがコウ、私は…」
 前魔導長として、この戦いを、ラドウェアの危機を、黙って見ているなど責め苦に等しい。だが、ティグレインの言葉に異論を差し挟む余地がないのも事実。
 アリエンの顔が、徐々に下がっていく。その小さな肩に、コウの手が乗せられた。
「母親だよ、君は」
 アリエンは顔を上げる。コウの優しい笑みがそこにあった。
「前魔導長である以上に、今の君は母親なんだ。マリルとリートとシューンの、大事な大事な母親だ」
 アリエンを抱き寄せ、コウは髪に口づける。
「子供たちを任されてくれ。譲れないよ、こればっかりは」
「…あなたという人は…」
 それは、あきれを込めて、そして時には愛情を込めて、コウに対する彼女の口癖。肩に置かれた手を握り、ゆっくりと下ろす。そしてもう一方の手を重ねて、アリエンは顔を上げた。
「コウ。生きて戻ってくださいね。子供たちのために。…あなたは父親なのですから」
「わかってるよ、アリエン」
 コウがうなずくのを確認すると、アリエンは夫から離れ、カッと靴の踵を打ち合わせた。胸の前に右腕を上げる、ラドウェア式の敬礼だ。
「ご武運を」
「ああ。行ってくるよ」
 コウはもう一度笑んで、外套(マント)をひるがえした。アリエンに背を向け、鎧の音を鳴らしながら、居並ぶ兵士たちの方へと戻っていく。それを見送りながら、アリエンは自分の呼吸が彼の運命を乱してしまうのを恐れるかのように、慎重に息を鎮(しず)めた。
「…コウ…」
 後ろ姿が逆光に消えていく。胸苦しさに耐えながら、アリエンはそれを見守った。

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